2010年代末の東京に突如現れた謎のバンド、Orangeade。佐藤望、大沢建太郎、黒澤鷹輔という3人のメンバーは、それぞれカメラ=万年筆(caméra-stylo)、北園みなみ(大沢の前名)、ポートレイツとして活動しており、その前歴には他にない個性がすでにあった。そんな3人が一緒にいるということにざわつくポップ・マニアも少なくなかっただろう。
だがOrangeadeはライヴの機会も少なく(なにしろ表に出ることを拒むメンバーもいる)、正式な音源は即完売した自主制作のCDシングル『Orangeade』(2018年2月)と7インチ・シングル“わたしを離さないで”(同9月)、ミニ・アルバム『Brocolli is Here』(同12月)のみ。2019年4月に“わたしを離さないで”のミュージック・ビデオが公開され、『Orangeade』の配信が解禁されるまで、インターネット上で楽曲を聴くことすらできなかった。
しかし、そんな彼らにがっつり心をつかまれてしまったミュージシャンがいた。TWEEDEESの沖井礼二もそのひとり。シティ・ポップの枠組を軽々と拡張し、ある意味パンク的とも受け取れるようなジャンルの破壊性と得体の知れなさを、沖井はOrangeadeに感じ取っていた。
そして、じつはOrangeadeのメンバーも音楽体験の初期に、沖井がかつて組んでいたバンド、Cymbals(97~2004年)からの影響を強く受けていたという。そんな世代を超えた相思相愛から実現した対談は、はからずも両者の音楽性の本質にも触れる興味深い時間になった。
沖井礼二が惹かれるOrangeadeの〈不気味さ〉
――まずはこの対談について、なぜ沖井さんとOrangeadeという組み合わせなのか知りたい人が多いと思うのですが。
沖井礼二(TWEEDEES)「僕からOrangeadeへの〈好き好きオーラ〉は結構出していたと思います(笑)。ただ、僕から対談させてくださいと言ったわけではないんです。むしろ〈本当に私でいいんですか(笑)?〉というくらいで」
佐藤望(Orangeade)「たぶん、去年の11月にあったRYUTistの東京公演の打ち上げでお会いしたのが最初でしたね。それから、年末のOrangeadeのライヴに来ていただいて※」
――沖井さんはOrangeadeのことをいつから知っていらっしゃったんですか?
沖井「最初のシングルが去年の2月に出たときから、普通にファンとして聴いていました。〈これは何が起きつつあるんだろう?〉って思いましたね。
デビュー作って大抵〈あっ、こいつらはこういうことがやりたいんだな〉というのがパッとわかるじゃないですか? それなのにOrangeadeは最初からすごくわかりにくくて、謎めいていたし、いまも謎めいているんですよ。音に媚びがない。聴けば聴くほど、知り合って話せば話すほど……。そこが〈どういうことなんだろう?〉っていう興味あるんですよね」
――Orangeadeの背景としては、望くんのカメラ=万年筆(caméra-stylo)や婦人倶楽部、大沢建太郎くんの北園みなみ名義での活動などもあるわけですが、それもチェックされていたんですか?
沖井「カメラ=万年筆も北園みなみもちょこっと聴いたことはあったけど、まさかそこがくっつくとは、と思いました。とはいえ、〈ただくっついただけじゃないんだろうな、何か考えているぞ〉っていう……言葉は悪いけど、〈不気味さ〉があった(笑)。その不気味さのヒントが得られればと思って今日は来ました」
大沢建太郎(Orangeade)「僕はCymbalsをずっと聴いていたんです。なので、沖井さんがOrangeadeのことを話題にしてくれていると知ったとき、僕のなかのCymbals的な要素が音楽に表れているからなのかな?なんてちょっと思っていたんです」
沖井「佐藤くんも僕の昔の音楽を聴いてくれていたんですよね?」
佐藤「僕はめちゃくちゃ聴いていますね。沖井さんが使うオン・コードの並行(移動)とかは、自分の作品に使っています。完全に沖井さんからの影響です(笑)」
大沢「沖井さんはベーシストだから、特徴的なアプローチがありますよね。僕もベースがメインの楽器なので、聴けば聴くほど共感できるところがあるんです」
沖井「そういうことなのかな~? Orangeadeに惹きつけられている理由が、まだうまく説明ができないんだよね。僕が当時やっていたこととか、やろうとしていることとかをあなた方のなかに見つけたっていう感覚は、実は音楽的にはあんまりないかもしれない。
どちらかといえば、姿勢への共感みたいなものなのかなあ。Orangeadeには少なからず、ポップスっていうもののあり方をぶっ壊してやろうっていう気持ちがあるんじゃないかな? それが独特の気持ち悪さとか不気味さとかに繋がっているのでは、と思うんです。
例えば、佐藤くんは〈売れたい〉ってことをよく話しているけれど、〈売れるためにはこういう音楽を作って、こうしたほうがいい〉っていうのをわりとスルーしているじゃない?」
一同「(笑)」
沖井「でも、僕以外にも、いろいろな人たちがそういうところでOrangeadeに引っ掛かっているっていう空気を感じるんですよ。意識的にか、無意識的にかはわからないけど、この人たちは何か新しいことを始めようとしている。
ライヴを観たとき、あれだけ高度な音楽を丁寧にやっておきながら、〈こいつらパンク・ロックじゃん〉って僕は思ったんですよ。僕が観たかったものがそこにあった。あの後、家に帰るまで結構興奮していました。他人のライヴを観て、そういう経験をあんまりしたことがなかったので。自分が想像していたのとは違うところでぶん殴られた感じがすごくあったんですよね」
佐藤「あの夜は観に来ている人たちに僕らの音楽を攻撃的に提示したような感じでしたね。MCもすごくぶっきらぼうで(笑)」
沖井「〈Orangeadeです。現代音楽やってます〉って(笑)。僕はあれ、〈美しかったな、いいな〉って思っていますよ。〈現代音楽やってます〉って一言が僕には結構響いて、それが冗談だとしても本気だとしてもかっこよかった。特に今回の『Broccoli is Here』は、現代音楽だって言われても納得できる。実際、そういう要素が入ってきちゃっているし、これからもっと入ってくるんだろうなっていう気もします」
大沢建太郎と佐藤望、Cymbalsからの影響を語る
――大沢くんが言った、Cymbals的な要素がOrangeadeにあるのかもしれないという指摘については、どう思われます?
沖井「あの頃は僕も攻めているつもりだったから、サーヴィス精神も大事だけども、媚びたらつまんないものになる、とにかく媚びだけは排除しようみたいな気持ちは当時すごくあった。それで、当時(所属していた)ビクターともずいぶん喧嘩しましたけど(笑)」
大沢「Cymbalsは、当時の尖ったキャッチコピーがたくさん残っているんですよね。それと、沖井さんの過去の音楽で僕がいちばん惹かれていたのは全体の雰囲気で、歌詞や音楽で表現しようとしている街並みとか、人間関係とか。すごくロマンティックな感じっていうか、方法で説明できない何かに自分はいちばん惹かれていました。唯一のものを表現していたなと思います」
沖井「それはうれしいですね。逆に言うと、それしかできないんだろうなあって自分では思っています。いまはTWEEDEESをやっているけども、結局やろうとしていることはいまでも変わらないんだろうな、自分は不器用なんだなって。もうすぐ50(歳)になるのに」
大沢「一貫したものを感じています。ずっと」
――大沢くんがここまでストレートに好きな音楽のことを発言する機会もあまりないかも。
大沢「いやあ、珍しいと思いますね。僕は沖井さんの音楽の影響からなんとか脱却しようとしていたことが一時期あったんですよ。そのために持っている邦楽のCDをほとんど全部売ったこともありました。この音楽を作っている人たちが見ている理想を(自分も作り手として対等に)見るようにしなきゃダメだなって思ったんです」
佐藤「僕は、音楽を自主的に聴くようになってリアルタイムで最初に聴いたのがCymbalsなんですよ。同時代で聴いて影響を受けているのはCymbalsだと思います。きっかけは、兄がすごくCymbalsを好きで、アルバムが全部家にあったからでした。初めて“Show Business”(デビュー・アルバムである2000年作『That's Entertainment』の1曲目)を聴いたときは、ホントに電撃が走りましたね。
そのうち〈どこが好きなのか? なぜ好きなのか?〉っていうことを考え始めて、そこから分析的な聴き方をするようになって。だから、最初に分析したのがCymbalsの曲だったんです。たぶん、僕の曲でめっちゃベースが動いているのはCymbalsのせいです(笑)」
大沢「確かに(佐藤の曲は)ベース、すごく動いてますよね。僕が最初にCymbalsを知ったのは、中学のときにFPM(Fantastic Plastic Machine)のラジオを毎週聴いていて、山下達郎が〈タワー〉っていうテーマで選曲を依頼する回でCymbalsの“Higher than the Sun”(2002年作『sine』収録曲)が流れたのがきっかけでしたね。僕にとってもリアルタイムで聴いて影響を受けたのはCymbalsが唯一くらいです。当時から〈ベースが独特だな〉って印象は強かったですね」
沖井「そうだったんですね。それはすごくうれしいんですよ。だけれども、なんだろう……いまは、もはや同業者でしかないので。Orangeadeの音楽がCymbalsから影響を受けているのかどうかなんて、僕が聴いてもわからないくらい独自のものとしてこのバンドは成長をしている。
個人的な体験としてCymbalsがみなさんのなかにあるのかもしれないけれど、いまはたくさんある〈粒〉のなかの小さな粒の1つでしかないんだろうなあって思っています。Cymbalsっていう粒があって、YMOっていう粒があって、ドビュッシーっていう粒があって……。それでも、1粒ちゃんと残ってくれているから十分名誉だし、僕は光栄です。あなた方の音楽を聴いているときに、僕の音楽の粒があるなんて思っていなかったので」
――バンドとしてのOrangeadeの個性は、沖井さんにはどう見えています?
沖井「僕がバンドを作るときの考え方は、メンバーの役割を固定しないほうがおもしろいってことなんですよ。僕はベース弾きだけれども、それ以外のこともやるし、〈この曲にはこういうベーシストが合うな〉って思ったら、そういう人を呼んだほうがいいとも思う。で、この3人もたぶんそうだと思うんです。クレヴァーな編成だなと思います。僕好みの編成と言えるのかもしれない。音楽的になんでもできる編成じゃないですか」
バンドを組む理由は〈こいつ、おもしろそう〉という直感
――沖井さんはOrangeade結成のいきさつはご存じですか?
沖井「2人が大沢くんを挟むようにして誘った、というような話はどこかで読んだかもしれない」
黒澤鷹輔(Orangeade)「そうですね。まず、大沢くんと最初に接点を持ったのは望さんなんです」
佐藤「僕は北園みなみの音楽が大好きだったんです。それで、Twitterとかで連絡を取り合うようになって、婦人倶楽部のリミックスやカメラ=万年筆のジャケット・デザイン(2015年作『眠り粉EP』)をお願いしましたね。そういう付き合いがありました」
沖井「直接の面識はなかったの?」
佐藤「ちょうど彼が北園みなみのファースト(2014年作『promenade』)を作ったタイミングで会って、〈おもしろい人だな〉って思いました」
黒澤「僕は下北沢のmona recordsにポートレイツというバンドで出たとき、当時monaのスタッフだった望さんと出会いました。僕も北園ファンだったので、あるとき知り合いのミュージシャン4、5人で、当時大沢くんが住んでいた(長野の)松本に行ったんですよ。それが最初の出会いでしたね。その後、大沢くんのほうから〈ユニットでもやるか〉みたいな誘いが来て」
大沢「(黒澤となら)おもしろそうだなと思ったんですよ」
黒澤「僕も〈あっ、じゃあ、望さんも誘ったらおもしろそう〉って思ったので、望さんを誘ったんです」
沖井「すごくいい話だなあ。みんなが相手のことを〈おもしろそうだ〉って思っていたところがいいよね。計算づくじゃなくて、〈こいつはおもしろそうだから〉っていうのが理由で結成でしょ。それかもしれないなあ、僕が感じてる不気味感っていうのは。〈悪巧み〉っていうとちょっとニュアンスが違うけれども、〈あいつのギターがいいから誘った〉みたいな、そういう音楽的な話じゃないのがいいよね」
佐藤「そういう理由は一切ないですね。僕はマジで(鍵盤が)下手だから(笑)」
黒澤「望さんは下手じゃなくて、ヤバいくらい緊張するから、本来のパフォーマンスを発揮できないんですよ」
佐藤「とにかく僕は演奏したくないので(笑)」
――そこも独特のおもしろさですよね。望くんは〈演奏したくない〉って言うし、大沢くんも北園みなみでCDを出しているのに……。
大沢「やたら人前に出たくない」
黒澤「僕は人前に出たいっす」
大沢「そこがいいバランスかなって思います。黒澤は出たがりなので」
沖井「いま話を聴いてて、僕がバンドを組むときの気持ちもわりと同じだと思った。〈一緒にこういうことをやったらおもしろくね?〉みたいなのって、おもしろい奴としゃべってないと出てこないから。
例えばCymbalsも、矢野(博康)がそういう奴だった。土岐麻子もそうで、一生懸命(音楽について)考えている俺と矢野に対しての敬意がまったくなくて(笑)、ぶち壊してくるんだけど、それがまたおもしろかった。
TWEEDEESも同じ。清浦夏実は僕のキャリアとか知識とかは全無視。だけど、そこに覆いかぶさってくる彼女のアイデアがおもしろかったりする。結局そういうおもしろさがないと、チームで音楽をやるときにいいものは出てこないよね」