INTERVIEW

Omodaka 『Gujoh Bushi』 伝統と革新を融合させた日本音楽の新たな形=キメラ民謡

Ⓒ2019 PLUG FLOWSHOW
 

[English Transration]

ジャパニーズ・ハウス・ミュージックの祖、寺田創一が〈テクノ民謡とモーション・グラフィックスの融合実験企画〉を行うため、2001年に立ち上げたプロジェクト・Omodaka。民謡 × テクノ × チップチューンというその唯一無二の音楽性のみならず、巫女装束に仮面という出で立ちに、ゲーム機やカオシレーター、“イエロー・サブマリン音頭”でもおなじみの民謡歌手・金沢明子がデカデカと映るモニターを駆使するライヴ・パフォーマンスも、2009年の開始以降、国内・国外で大反響。そんなOmodakaが、10月28日(月)に配信先行で、11月6日(水)にはフィジカルで、5年ぶりのアルバム『Gujoh Bushi』をリリースする。Omodakaの誕生秘話から、現在、そして今後の活動に至るまで、寺田本人に話を伺った。

Omodaka Gujoh Bushi Far East Recording(2019)

 
Ⓒ2019 PLUG FLOWSHOW
 

Omodakaの始まりは競艇から

――寺田さんは80年代から活躍していらっしゃいますが、Omodakaとしての活動開始は2001年です。当時は〈競艇〉をテーマにした楽曲を多数制作していらっしゃいますよね。

「当時たまたま麻雀とパチンコの曲を手掛けたので、〈次は競艇だ〉と思って、競艇のこともよく知らないのに作り出したんです。でも、初めて行った競艇場で大きな大会をやっていて、みんなやさぐれてるし、流血沙汰の喧嘩とかもあって、そのワイルドさが衝撃的でおもしろかったんですよね。そこからすっかりハマってしまって。競艇場でボロボロに負けて、帰ってきて曲にする。出来た曲を映像作家の方が作った映像と合わせる。そんなことがOmodakaの初期の活動でした。競艇の楽曲と同時に、民謡をまったく別のオケに乗せるという、いまのスタイルにも取り組んではいたんですが、この頃のメインは競艇の楽曲のほうでした」

競艇を題材にした2001年作“MONKEY TURN”
 

――〈Omodakaというプロジェクトを始めよう〉というのと、〈競艇の曲を作ろう〉と思ったのは、どちらが先ですか?

「2000年くらい、Omodakaというプロジェクトをやろうと決めた時に最初に作ったのが競艇の曲だったので、ほぼ同時だけどOmodakaのほうがちょっとだけ先、だったような気がします。〈Omodakaをどうしていこうか〉というヴィジョンみたいなものは、当時すごくおぼろげでした」

――では、いまのOmodakaのプロフィールにもある〈テクノ民謡とモーション・グラフィックスの融合実験企画〉というテーマも、後から定まっていったんですね。

「テクノ民謡も始めてはいたんですが、当時の自分としては競艇のおもしろさのほうが大きかったんですよね。でも何年かするうちに、自分の音楽のことを第三者から〈テクノ民謡〉と言われるようになり、それでこういうプロフィールになっていったんです」

――その〈競艇シリーズ〉は2008年のEP『Favorite Games』で一区切りつきます。

「競艇は6艘のボートが走るので、〈競艇に関わる曲を6曲作ろう〉と思っていて、CDのジャケもその6色に合わせて作っていまして。そこで6作品が完結したので、一区切りをつけました」

――そこからはテクノ民謡にシフトしていったのでしょうか?

「2009年からライヴ活動をするようになるのですが、だからと言って〈競艇に次ぐテーマを設けよう〉とか〈民謡をやっていくぞ〉っていう意識があったわけでもないんです。でも結果的には、ほぼ民謡をやってるんですけどね」

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人間から人間味を削りたかった

――そのライヴ活動では、仮面をつけた巫女姿で、手にはゲーム機やカオシレーターを持ち、演奏するジャンルはテクノ民謡という、ひとつひとつの要素が濃すぎるものですが、まずはあの見た目についてお聞かせください。あの外見は2009年からああだったんですか?

「あの見た目と、ステージ上にディスプレイを置いて映像を流すというのは2009年からです」

――ちょうど10年ですね。なぜ巫女さんだったんでしょう。

「なんでですかね……。ライヴというのは歌なりパフォーマンスなりをお客さんに見せるものだと思うんですけど、自分としては映像作家の方たちと一緒に作った映像のほうを観てほしくて。だから舞台に人間がいるのではなくて……人間から人間味を削りたかったというか、物体とか、幽霊的なものにしたかったんです。それにちょっと、ジャパニーズ・ホラー的なイメージでやりたかったというのもあると思います。仮面をしているのも、演者から出るパーソナリティーを遮断したくて。とは言え、DJが曲をかける場合はシンガーがいなくても成り立ちますけど、自分がライヴを始めたころはバンドと一緒にやる機会が多くて、ステージ上に人がいないのは致命的な欠陥だなと思ったので。

金沢明子さんが歌う様子をディスプレイに映し出すっていうのも、そういうところから来ています。舞台に人間は必要でも、そのディスプレイで歌っている人を際立たせるために、人間味はない方がいいと思ったんです。ただ、ライヴをしていくうちに、そんな気持ち悪い存在でもパーソナリティーを出したほうがお客さんはおもしろがるっていうことがわかってきましたけどね」

――もちろん〈中の人〉が寺田さんだというのは、知ってる人は知ってるわけですよね。

「別に隠してはいないので、知っている人には親近感を持ってもらえるようになったと思います。最近は(Omodakaと自分自身を)よく関連付けてもらえるようになりましたし」

――寺田さんといえば日本ハウス・ミュージック界にもっとも初期から参加されている方でもあるわけですが、〈実はそういう人がOmodakaの中の人なんだよ〉と関連付けて観たほうがいいのか、それとも切り離して考えたほうがいいのか、迷うところでもあります。

「もちろんどっちでもいいんですけど、Omodakaのパフォーマンスとしては、それを知っていても知らなくても楽しめるようにしたいとは思っています。例えば何かスピンオフの映画作品があって、本編を全然知らない人が観ても世界観が出来上がっていて楽しめるし、本編との関連を知ってる人は伏線が繋がってより楽しめるような、そういう作りにしたいですね」

――寺田さんは近年ハウス・セットでのライヴ活動も多く行っていて、そことの境界線はきっぱり引かれていますか?

「寺田創一ハウス・セットでのライヴをやるようになったのは2015年からで、Omodakaとハウス・セットのどちらでもやる新曲が少し出てきたりもしていて。だからきっぱり分けているつもりはなくて、むしろ少し近付いてる面もあるかもしれないですね。今作にも、元々はハウス・セットで作ったけど、金沢さんに歌い直してもらってオケも(Omodaka用に)作り直した曲があったり、90年代に(寺田創一名義で)横田信一郎くんと一緒に作った曲を、最近のOmodaka用にして収録したものもあったりして。自分が意識する・しないに関わらず、両者は近くなってきてるかもしれないです」

――パフォーマンスの面ではどうですか? Omodakaでは飛び跳ねたり踊ったりしていますが、ハウス・セットでもそうなってきていますか?

「自分では違うって思ってるつもりでも、両方観てる人からすると身体の動きは同じみたいですね。恰好は違うんですけど(笑)」

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