常にアップデートされる盆踊りの入門書として

 いきなりだが、〈音楽〉ほど、その内部に、そして外部に複数的なボーダーが張り巡らされてしまっている現象はないと言ってしまってはいけないだろうか。

 ジャンルがあるだけではない。演者と観客にわかれ、さらに産業化されたものは、〈作り手〉も単に歌手や演奏家だけではない。送り手もいれば、私たちのようなインサイダーなのか外野なのかわからないような存在もいる。〈芸術〉とされる音楽もあれば、そこに入れられない、入らない音楽もある。祭り・祭祀や芸能、あるいは他の芸術・芸能的な諸ジャンルとの境界はどこにあるのか。云々。

 先に諸ボーダーあるいは境界といういい方をしたが、これらのボーダーは常に動くものであり引き直されているものでもあるが、確固としたものとしたものであると信じ込み、信じ込まされることで固定されてしまう。

大石始 『盆踊りの戦後史――「ふるさと」の喪失と創造』 筑摩書房(2020)

 本書の著者・大石始さんは、そうした狭義の〈音楽〉への問いを抱えつつ執筆活動を続けてこられた、意外にも数少ない書き手の一人だとなんとなく認識していた。だからということもあり、書名はもっと大胆でもよかったのかもしれない。著者は、既に「ニッポン大音頭時代」「ニッポンのマツリズム」と出されてきたので、あえて硬めに控えめにしたのかもしれないし、たしかに書名通りに〈盆踊りの戦後史〉を丁寧に追いかけているので、書名に偽りがあるわけではない。と、同時に、私などは副題にも、ややもぞもぞとしてしまう。〈ふるさと〉から離れたさまざまな人びとによる都市あるいは郊外の〈コミュニティー〉創設(あるいは仮設)の試みの一つとして〈盆踊りの戦後史〉を捉えたものとして本書はある。

 しかし、そんなまとめから溢れ出し、こぼれ落ちるものとして〈盆踊り〉があることが本書の細部には示唆されてもいるからだ。著者による〈盆踊り〉の〈戦後史〉以前への解釈ともいうべき第一章での郡上おどりをめぐっての議論の紹介(31~32ページ)、第六章の震災後の福島県浜通り地域での調査報告に耳を澄ますことでみえてくる、〈最後に残る生きる場〉としての芸能というあり方(208~210ページ)。また、本来の盆踊りの本質ともいうべき〈死者と生者の交流の場〉としての意義が〈アップデート〉されていくだろうという提起(237~243ページ)。特定の時間と空間(場)のなかで、誰もが参加でき、複雑な作用を生み出していく芸能。それがさらにその個別具体性をはみだしていく強度。著者はそうしたものをも掴み取ろうとするかのようでスリリングだ。

 私自身が今、進めている作業と共振する部分も多く、個人的にも刺激を多く受けながら読んだが、常にアップデートされる盆踊りの入門書としても広くオススメしたい。