はっぴいえんど カタログ再発記念スペシャルトークイヴェント
タワーレコード渋谷店 B1F CUTUP STUDIO
出演:松本隆/鈴木茂、安田謙一(司会)

きみを燃やしてしまうかもしれません、の永久機関盤。

 イヴェント取材後、渋谷マークシティの上りエスカレーターに揺られる。溢れかえる下り集団の他民族率に驚いた刹那、無意識の隧道を抜けて“浮かぶ驛の沈むホームに”の詞が唇のレール上を通過して行った。最新リマスターCD発売記念トークイヴェントに登壇した二人(松本隆/鈴木茂)の談話が、千切れ雲状に流れては脳裡を漂う。

 「遠藤賢司さんの詞って割と、松本さんの詞と似ている気がしていた。コトバの選び方とかね」(茂)/「うん、彼は凄い才能だったよね」(隆)、記憶の単線上で“夜汽車のブルース”と“抱きしめたい”がタブレット交換する。音搦みで小坂忠の“機関車”が連結される。世代を超え、50年以上も愛される名曲陣が縦走を始める。政治の季節が萎えていく70年代初頭は“物悲しい汽笛”の歌が多く唄われた。高田渡の“出稼ぎの唄”、シバの“夜汽車に乗って”、のちに岡林信康も“月の夜汽車”を美空ひばりに献上した。当日のイヴェントで「あの人は(GS系の中でも)例外的な存在」と両人がリスペクトしたかまやつひろしも〈♪今夜の夜汽車で~どうにかなるさ〉と70年に煙を吐いた。なかでも『風街ろまん』の方向板として掲げられた“抱きしめたい”は、虚無な時代の曠野を切り裂く斬新性・弾丸力において群を抜いていた。右手に「ガロ」/左手にURC、の老成した少年らは即座に〈つげの影〉を読み取った。厳冬の山荘は鉄球で砕かれ、六無主義と呼ばれて未来も霧ふかし。が、『風街ろまん』を聴いて木漏れ日が視えた。

 「とりあえず漫画という表現手段を通じてやってるぐらいのことを、ロックを使ってできないかってこと。それがひとつの基本テーマだった」、71年の座談会(いわゆる日本語のロック論争)での松本発言だ。続けて「だから言葉もああいうふうになったんだと思う。ちょっとつげ義春の『ねじ式』ふうでしょ」とも語っている。1stの通称『ゆでめん』の冒頭曲“春よ来い”が、永島慎二の作品「春」の主人公のモノローグを下敷きにしているのは有名な話。じつはイヴェント前日、難なく再会出来た松本の自著「風のくわるてつと」に加え、角川文庫版も書庫から掘り出した。表紙の〈first edition 19721110〉という印字に改めて気づき、親本(ブロンズ社版)の奥付を見直したら確かにそうだった。取材の帰途、井の頭線車内である既読文の記憶が蘇り、帰宅後「連合赤軍“狼”たちの時代 1969-1975」というムック本を紐解いた。

 探したのは宮谷一彦の一文だったが、先行頁のコラムに付された次のコピーが眼球を直撃した。〈ディランとペキンパーを漫画でやるとどうなるか〉、当時の上村一夫・宮谷一彦と並び〈ヤンコミ三羽ガラス〉と呼ばれた真﨑守による回顧文の中身だしだった。宮谷は少し後ろの連作コラム内で漫画家⇔助手の〈徒弟制度的職人技〉に触れ、後者は〈大量生産のコピー機なんです〉と疑義を唱えていた。自身はその方法を捨て、助手を共同制作者にしようと試みた。それは〈漫画のバンドのセッションをしようという実験です〉と綴り、パートナーの個性と画力を高めることで〈漫画製作の現場を競い合う一つの「場」にしようと考えた〉と述懐し、自ら〈「バンド」漫画家〉とも称している。さらに〈「唄う」「叫ぶ」ことは瞬発的で量産も可能です。しかし「語りかける」物語を作るのは、理論を整合するのに長い時間が必要とされます〉とも書いていた。再びポイントを前掲の松本談話に切り替えよう。優れた作業員の手腕を想わせる連結シーンが視られるはずだ。

 「ぼくが急に言いだしたのね、英語じゃだめだって。何て言うのか……ほら、〈場〉とか、そういう言葉がはやった時期なんです。〈自分の生きてる場〉とか……はやったでしょ? 〈存在〉とかさ。ちょっと実存ふうなんだけど、なんか〈場〉っていうのを覚えてるな。そういうこと言い出したんですよね、ぼくが」。両者の見事なシンクロぶり、どうだろうか……その松本の案で宮谷のペンによる『風街ろまん』のジャケ(4人の顔写真のレタッチ)と内側の都電イラストが生みだされた経緯を想うと、やはり世代的感慨は深い。リイシューのオリジナル3タイトルを流しながら、今度は〈昭和・二万日の全記録〉を謳った全集の第15巻「石油危機を超えて 昭和47年-50年」を広げ、19721110前後の出来事を調べてみた。すると〈線路〉をめぐる幾つかの物語が浮上してきた。じつは翌11日は東京都交通局が都電7系統のうち、錦糸町駅前‐日本橋間など5系統を廃止し、残るは荒川線(三ノ輪橋‐早稲田間)の55両のみとした日。見出しが刻む〈都電最後の日〉は忘却されても、宮谷の描いた6番線のすれ違い図はいつまでも瞳の中でガタゴトと揺れつづけている。

 数頁前には〈鉄道100年記念切手【鉄道の変遷を図柄に】〉の見出しが躍り、62形蒸気機関車の切手写真が掲載されており、〈汽車ソングス〉と〈都電画〉の時代背景に合点がいった。さらに紙上をスイッチバックしてみたら、画・林静一によるあがた森魚の『乙女の儚夢』が〈抒情歌謡アルバム〉として紹介され、8月27日には蒸気機関車による〈さよなら運行〉の特別編成企画として山陰本線米子‐出雲市間を〈初のSL四重連〉が走った事も記録されている。特別編成の四重連というコトバの響きからつい連想したのは、イヴェント当日のトークで「元々、はっぴいえんどはピラミッド型のバンドではないんで、桑田くんが中心にいるサザンなんかとは違ってね」「でも、解散の、本当の理由は僕ら二人はイマイチ知らないんだよな(笑)」という二人のやりとりだ。雪の銀河を疾走する松本特有の幻想詞、その画力を補って余りある大瀧詠一の独特唱法、汽笛や黒煙や雪の舞いをも連想させる鈴木の敏腕奏法、冬の機関車の勇壮性や鉄路の轟きや客車の軋み音まで拾うかのような細野の通奏低音……なかでも松本のドラムがよりクリアに聴ける今回の復刻盤に関しては、こんなキャッチボールも印象的だった。

 「松本さんのドラムは結構凄いんですよ(笑)、かなり感情的なドラマ―でね」(茂)、「茂に褒められて嬉しいな(笑)。それは、じぶんで詞を書いてるからさ」(隆)。さらに「彼のドラムが違うのは打楽器なんだけど〈絵を描く〉ような、色合いをね」と敏腕ギタリストが奏でると、「茂のほうが詩人だねえ(笑)。確かに語呂とかね、絵を知っているからイントネーションとかもリズムに係わる諸々を知っているから後々、詞を書く際にも役立ったよね」と天才作詞家が叩き返した。かつて松本は「好きなドラマ―は三人いて」と、リヴォン・ヘルム(バンド)、B・J・ウィルソン(プロコム・ハルム)、ドン・スティーヴンソン (モビー・グレープ)を讃えていた。今回のトークでは「細野さんはあり得ない所にキックを入れてくれって要求するんだ。“花いちもんめ”とかね、あんなコト出来るの、ボンゾぐらいだよ」と笑った。「譜面に起こすの大変だろうね、今回はそこも是非聴いてほしい」との同志褒めには、「リンゴに学んでいる部分が多いかな。そう叩かせているのはポールかもしれないけれども……」と応じていた。

 桜庭一樹の小説「少女七竈と七人の可愛そうな大人」が大好きだ。ヒロインは鉄道模型と幼馴染の少年(名は雪風!)のみを友に孤高と憤怒の日々を生きる美少女であるが、再読の度、わが胸中を周回するBGMはいつも今回復刻された四重奏の傑作3枚だった。浮かぶ驛の沈むホームに……。

トークの全長版はMikiki(当サイト)で順次公開予定です。こちらもお楽しみに!

 


PROFILE: はっぴいえんど
日本のロック・バンド。メンバーは細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂の4名からなる。エイプリル・フールで活動していた細野と松本が大瀧と鈴木を誘い、1969年にバレンタイン・ブルーを結成。翌70年に現名義へ改名し、アルバム『はっぴいえんど』(通称〈ゆでめん〉)でデビュー。全日本フォークジャンボリーや岡林信康のツアー、高田渡や加川良の作品へ参加後、71年に『風街ろまん』を発表。72年末に解散。73年に3rdアルバム『HAPPY END』とシングル「さよならアメリカ さよならニッポン/無風状態」を同時リリース。1985年6月15日、〈国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW〉に出演。2021年には日本武道館でのコンサート〈風街オデッセイ2021〉にて細野、松本、鈴木がはっぴいえんど名義で演奏。2023年に『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』3作の最新リマスタリング盤を(CDとアナログで)同時リリース。

 


RELEASE INFORMATION
2023年11月1日 NEW RELEASE!

伝説のロックグループ、 はっぴいえんどの名作オリジナルアルバム3作品がCDとアナログ盤で再発売。CD初回盤には 貴重な未発表音源も収録!