銀座にマクドナルドの日本第一号店が出来た1971年の盛夏、Jazzと文学を纏ったクラスメイトと親しくなった。大江健三郎の文庫版『性的人間』と『Milestones』のLP盤を貸してもらい、倉橋由美子の『暗い旅』と『YELLOW CARCASS IN THE BLUE/笠井紀美子+峰厚介四重奏団』を自腹で買った。後者のタイトル曲で「菊地雅章」の名前を刻み込み、翌月の小遣いは前年発表の『POO-SUN』に化けた。冒頭の《DANCING MIST》に心を撃たれてから28年後の1999年師走、Out There!という音楽誌の発行人兼編集人として“当の狙撃者”を取材した。優しい笑顔だった。

【参考音源】菊地雅章セクステットによる“DANCING MIST”のライヴ音源

 

「俺が影響を受けたピアニストは結構いるんだけど、まずセロニアス・モンクに始まって、バド・パウエルか。デューク・エリントンアンドリュー・ヒル、そしてポール・ブレイかな。この人たちがメジャー・インフルエンスで… 他にブギ・ウギのミード・ルックス・ルイスや、ブルースのオーティス・スパンもずっと聴いてるね。合間合間に結構聴いたのがアール・ハインズ、初期のビル・エヴァンスマッコイ・タイナーレッド・ガーランドもピアノの音がきれいなんでよく聴いたな」

 彼の源流が率直に明かされた。『TANDEM/菊地雅章&渋谷毅』を録り終えた直後の開放感からだろうか。計5時間を越えても止まらない濃密な語り下ろしは、本人による大幅な加筆を得て3号に渡る長文連載へと結実した。

 「きれいなピアノの音というのを最初に俺に意識させてくれたのは、俺の弟(雅洋)が弾くピアノだけどね。キース・ジャレットも90年代の前半に結構聴いたな。俺の好きなのはやっぱり『FACING YOU』と『RUTA AND DAITYA』だけどね。そして今ハマっちゃってよく聴いているのが、ギル・エヴァンスのピアノなんだよ。といってもCDで3枚ほどしかないけどね」

 連載の通しタイトルは「音楽は誰のものか」。2回目の副題は〈ギル・エヴァンスの教えてくれたこと〉と冠したが、両者の交遊録は毎回の通奏低音として常に爪弾かれている。1983年頃、ギルが家族と別居して79丁目のアパート暮らしを始めると互いの行き来がさらに深まった。

 「その日も俺の部屋に入ってくるなり、『お前の音楽にしても俺の音楽にしても、センチメンタルだから売れにくい。でもマイルスの音楽もセンチメンタルだけど、彼のは売れたな』っていうようなことをギルが言ったのよ(笑)。今考えてみるとマイルスが売れたのは、持ち前のスター的な外観は置くとしてもその音にこめられた“CRY”。いわば“泣き/啼き”の大きさとメロディの強さじゃなかったのかと思うね。だから人の心を打つんじゃないかな」

 菊地雅章、享年76。七夕の訃報を機に件の連載I・II・IIIを再読し、初めて換算してみたら6万8千字を越えていた。毎号びっしりの2段組で総頁数は54P、Out There!が最も紙幅を割いた音楽家だと今更ながら気づいた次第だ。

 のちに哀切と憂愁が薫りたつ名盤『メランコリー・ギル』を送り出した菊地雅章に、「最高の友であり先生」はこう言い遺したという。

 「もう一つギルが俺に言ったことは、ピアノのサウンドをあまり聴き過ぎるなということなんだ。“耽美に過ぎるな”ってことだと俺は理解しているけどね。大体ギルはサジェストする場合、同じ事は2度言わないんだけど…そのことは3~4回に渡って言ってたよね。俺が多分に耽美的な性向を持っているのを見抜いてたんじゃないかと思うし、確かにそれはピアニストがいいピアノを弾いた場合にハマりやすい陥穽だよね。もちろん耽美を悪いとは思わないけど、それに溺れちゃうとなんだか音楽の本質がどこかに行っちゃうような気がするのよ。なんか音楽的に自分の成長がとまってしまうようなね。とくにギルのピアノを聴くとそれを痛感するよね」

 どの行からもPOOさんの人柄が滲み出ていて飽きない。観念や理屈を排し、あくまでも逸話で語り通してくれている配慮に気づく。Out There!がVol.8以降休眠してから早14年。古書市場で全巻揃い組を掘るのも難儀だろう。ならば故人の朽ちない厳選語録こそが一番の弔いにならないか…個人的な感傷を排し、還暦当時の菊地雅章の談話をここに採録した理由である。

【参考音源】菊地雅章 “Sunday Lunch”

 

 さて、話はマイルス邸でのやりとりへと転調する。ある日、ギルから「マイルスがお前に会いたがってるから行ってこい」と告げられた。

 「背の低いアップライトのピアノがあってさ…マイルスが『俺にちょっとピアノを弾いてくれないか』って言うわけ。俺も“来たな”って思ったから、『そのピアノはずいぶんとチューニングが狂ってるみたいだし、それにこれはオーディションだろうし…俺はオーディションでよく弾けたためしがないからいやだ』って断ったんだよ。そして『俺の目を見て決めてくれ』って付け加えたんだよ。今にしてみると俺もずいぶん乱暴なことを言ったなとは思うんだけど、でもそれはその時の俺の正直な気持ちだからね。でも、マイルスもさすがだよね。生意気だとかといったふうにはとらないで、俺の言ったことの意味だけを素直に受けとめてくれたみたいでね」

 そこからの、マイルスの流儀が洒落ている。

 「暫く間をおいて、俺の側に来て『Will you work for me?』って至極丁寧に頼むわけ。それで決まり(笑)。もっともそれ以前にギルが俺のアルバムを聴かせてたらしいし、どう弾くかは知っていたみたいね。でも嬉しかったよ。この俺がマイルスのバンドに入れるんだから」

 ギル没後の1年が過ぎた某日、ホテルのレストランで偶然マイルスと再会した。「12階のスィートに住んでるが寄らないか?」と誘われた。

 「窓際にギルの大きな写真が置いてあるので懐かしい気持ちで見ていたら、マイルスが『Do you know he loved you?』っていうから、俺も『I did,too』って答えたんだけど、涙が出そうで困ったよ…。俺が14年間一緒に住んでいた女と別れて苦しんでいる時に、『心が痛む時、お金は多少なりともその痛みを和らげてくれるから』と言って、ギルが3500ドルのチェックを送ってくれたことがあるんだ。『SEE YOU SOON, LOVE, GIL』ってメモと一緒に。あれにはまいったね。たぶん自分も余分なお金を持ってるわけじゃないのに…あの人は、ある意味で人生の達人だったな」

 その女性との別離後に発表された、ソロ盤『ATTACHED』には、《SAD SONG》《INTERMISSION MUSIC》と2曲のカーラ・ブレイ作品が収録されている。計3回に及んだ長文連載「音楽は誰のものか」、その最終回には特別付録よろしく稲岡邦弥氏(現Jazz Tokyo)の文章「Dancing Poo(菊地雅章とギル・エヴァンス)」が寄せられた。その文章の最後は、稲岡氏宛に『ATTACHED』の感想を告げてきたカーラ自身の言葉で締められている。

 「私の楽曲をいろんなミュージシャンが演奏してくれるけど、こんなふうに弾いた人を知らない。本当に戦慄が走ったわ…」

 菊地自身も同じ号でこう言い遺している。

 「あと、ピアノ・ソロで考えているプロジェクトとしては…カーラ・ブレイの曲でも1枚作ってみたいな。カーラの曲は既に10曲くらいレパートリーに入っているから、あと少なくとも15曲くらい自分のものになったらレコーディングしようと思っているんだ」

 エディット・ピアフ作品集が象徴するようにPOOさんの“歌”に寄せる想いは深い。同連載では(最近人気再燃中の)篠原ともえに楽曲提供したという仰天秘話も飛び出して「それが結構楽しかった」と明かしている。結果は他の楽曲提供者も含めて企画総体が没ったそうだが…。

 「それとピアノ・ソロで考えているのはポップスから俺の好きな曲を選んで作ることなんだ。今のところピーター・ガブリエルの《Here Comes The Flood》とかスティングの《Roxanne》、それからボブ・ディランの《Lay Lady Lay》、ジャネット・ジャクソンの《Funnky How The Files》などを選んで、果たしてピアノ・ソロでできるものかどうか…いろいろな方法を考えながら弾いてるけどね。これからもっともっとポップスを聴いて好きな曲を探さないとね」

 1971年の盛夏、少年の心を射抜いた鍵盤の狙撃者が28年後の邂逅で迎い入れてくれた際の、笑顔と握手の温もりとその第一声を忘れない。

 「おぉ、キミが末次くんか!」

 


菊地雅章(きくち・まさぶみ)[1939-2015]
ジャズ・ピアニスト/キーボード奏者。愛称は「POOさん」。東京芸大附属高校作曲科卒業後、58年にプロデビュー。66年に渡辺貞夫カルテットに参加し、67年には日野晧正と双頭コンボを結成する。68年バークリー音大に留学。72年以降はニューヨークに拠点を移し、80年代にかけてギル・エバンス・オーケストラマイルス・デイビス・グループでも演奏、エルヴィン・ジョーンズとも交流を深める。90年代はゲイリー・ピーコックポール・モチアンを加えた自身のトリオ“テザード・ムーン”、およびソロ・ピアノで活動。既成のジャンルにとらわれない自由な音楽性で膨大な数の作品を発表し続けた。代表アルバムは『ススト』『テザード・ムーン』など。2015年7月ニューヨークの病院で死去。享年75歳。


寄稿者プロフィール
末次安里(すえつぐ・あんり)

1954年、東京生まれ。女性誌記者を皮切りにフリー一筋の著述家。『OutThere!』『JazzToday』を創刊し、Ustreamの公式番組『BlowUp! shooting』(http://www.ustream.tv/channel/blow-up-shooting)の編集長を。

 

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