どんなに細やかなニュアンスを必要とするメロディーにもすんなりと溶け込む、得難い歌声が見い出されて20年。多くの出会いと瑞々しい感性を糧に成長してきた彼女は、今日も新しい世界へと目を向け続けている

 坂本真綾がCDデビューして20周年。彼女のキャリアは、菅野よう子に見い出されて共に歩んだ最初の約10年と、多くの作家陣との出会いを楽しみながら活動の幅を広げた後半の約10年という、濃厚かつ特別な時間の積み重ねで出来ている。もともと歌手を志していたわけではない。児童劇団に所属し、声優をしていた15歳の女の子が、アニメ主題歌の歌唱を機に歌手デビューし、ひとりのアーティストとしてオリジナル曲を次々とリリースすることになる。ほぼ同時に作詞にも挑戦し、その瑞々しい感性を言葉にして、透明感溢れる歌声で真っ直ぐに歌った。そうして坂本真綾の歩みは始まったのである。

 菅野が手掛けたデビュー曲“約束はいらない”は3拍子のリズムでゆったりと壮大なメロディーをなぞる、難易度の高いナンバーであったが、その後も一曲一曲、高い要求に応えるようにして坂本真綾は歌に挑む。子供の頃からCMソングを歌う仕事をするたびに、〈歌って褒められることが嬉しかった〉という彼女は、求められることに応えることがひとつの喜びであったようだ。そうして活動を続け、世間の〈坂本真綾〉に対する認知度も高まりつつあるなかで思春期を過ごし、本当の自分とは何なのかを探しながら、仕事場で子供扱いされることや、学校では同じ悩みを友達と共有できないことへの葛藤や孤独感を歌詞に綴っていく。特にセカンド・アルバム『DIVE』(98年)やサード・アルバム『Lucy』(2001年)はまさに10代後半~20代にさしかかる多感な時期にしか生み出せない鋭さとナイーヴな感性が豊かに入り混じるものになった。葛藤や孤独感を言葉にするにもポップ・アーティストたるものセンスが必要で、坂本真綾にはあらかじめそれが備わっていたように思う。“I.D.”という楽曲にこんな表現がある。〈あっちこっち行った/死んだふりもした/できるだけ違うものに/なろうと思ってたけど/問題なんか初めからなかった〉と。ダークでディープな感情も、どこか彼女らしい言葉のチョイスに軽やかさと清涼感が加わる。歌う、ということが何気なく始まった彼女だけれど、歌のなかに答えや希望を求めていた足跡が、初期の作品にもちゃんと残っている。

 みずからの表現により自覚的になったのは4作目『少年アリス』(2003年)の頃。ミュージカル〈レ・ミゼラブル〉への挑戦もあり、これまでにない環境のなかで挫折感を味わいながらも、それでも歌っていくんだと強い覚悟を決めたタイミングでもある。だからこそ、この作品には激しめのエモーショナルなナンバーも多い。そして同作を最後に坂本真綾はプロデューサーである菅野よう子の手を離れ、新しい道を歩んでいくことを選択する。彼女は最近のインタヴューでも「私はいままでも何か二択があったら、ちょっと大変かもしれないほうを選んできた」なんてサラリと語っている。現状に満足することなく、いつも自分のなかの好奇心と向上心を引き連れて、信じた道を突き進んでいく。

 そうしていろんなアーティストやアレンジャー、エンジニアと一曲一曲を制作したのが5枚目のアルバム『夕凪LOOP』(2005年)。いまでこそ気さくで素敵な大人の女性のイメージがあるが、実は、当時の彼女は人見知りな一面もあった。だが、何度も「初めまして、坂本真綾です」からスタートしなければ進まない制作現場では、人見知りなんて言ってられない状況に。それに加え、ライヴが苦手でファンクラブ・イヴェント以外ではほとんどライヴをしない期間も長かった。しかし、そこにも勇敢に挑み、ひとつひとつを乗り越えていく様をファンに見せながら進んでいくのも、坂本真綾というアーティストのおもしろさである。

 6枚目のアルバム『かぜよみ』を携えて2009年にツアーを回り、そこで得た感触からライヴへの思いが増し、その翌年の2010年、初の日本武道館公演ではお客さんが360度を囲むステージでドラマティックかつパワフルなライヴを成功させる。

 そして多くの豪華ミュージシャンたちの楽曲提供でも話題となった7枚目のアルバム『You can't catch me』(2011年)はオリコンチャート1位も獲得。

 さらにすべての楽曲の作詞/作曲をみずからが手掛けた、その名も『シンガーソングライター』(2013年)というタイトルで8枚目のアルバムをリリースするなど、アーティストとして常に挑戦と新鮮さを失わずに、自身の目に映る新しい世界を、音楽を通じて届け続けてくれている。

坂本真綾 『FOLLOW ME UP』 flying DOG(2015)

  最新アルバム『FOLLOW ME UP』から聴こえてくるその歌声たちを耳にして思うのは、何て、生きることそのものの素敵さを知っているんだろう、ということ。朝の澄んだ空気や、雨音の美しさや、人と笑い合う喜びや、別れの痛みも、音楽の端々から溢れ出している。歌うことで自分を探していたデビュー当時とは違う、大人の女性ならではの価値観も盛り込みつつ、それでも変わらないのは〈瑞々しい感性〉と呼ばれていたものなのでは。瑞々しい感性――それはこの世界への純粋な好奇心であり、それを誰かに伝えたいと思う素直な気持ちなのではないか。坂本真綾は15歳だったあの頃からいままで、それを見失わずに歌い続けている。〈新しい世界が見たい〉と手を伸ばし続けている。そこがまさにポップ・アーティストとしての、揺るぎない芯の強さなのだろう。