安孫子真哉が主宰するKiliKiliVillaから昨年7月にリリースされたSEVENTEEN AGAiNの最新作『少数の脅威』は、筋金入りのパンク・アティテュードと貪欲な音楽愛を溢れんばかりに詰め込んだ、まさにマスターピースと讃えたくなるアルバムだった。個人的にはこの1年間でもっとも愛聴した一枚になったが、音楽シーンのなかでも、もっと脚光を浴びるべき作品ではなかっただろうか。いまのところ、その内容に見合った評価や認知を得ているとは言い難い。

むろん筆者も偉そうに言えた義理ではない。すでに活動歴10年に及び、NOT WONKら若いパンクスからは熱狂的な支持を集めている彼らの魅力に気付いたのは、『少数の脅威』を聴いて、ライヴを体験してから。フロントマンのヤブユウタは、社会への問題提起を発するメッセンジャーと、ただだ音楽を愛して止まないバンドマンという、2つの軸を常に抱えているように見え、その狭間で揺れ続ける彼の残像が筆者の心を掴んだのだ。その後ライヴを観れば観るほど、その蜃気楼の如きイメージにこそヤブの本質が投影されているように思え、いつか対話をすることで、その幻影に輪郭を与えることができればと願っていた。

今回、幸運にも『少数の脅威』のアナログ盤のリリースに合わせて、ヤブにインタヴューする機会をもらった。レーベルを裏側から支えるスタッフの与田太郎を交えて、ヤブという男のパンクスとしての矜持――それが育まれた過程から彼を突き動かし続ける動力源までを大いに語ってもらった。

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SEVENTEEN AGAiN 少数の脅威 KiliKiliVilla(2015)

〈僕の思うパンクとは自分のなかで答えを出すこと〉
表現者としてのあるべき姿と、アルバム『少数の脅威』

――ヤブさんの表現には、特にライヴで顕著な気がするんですけど、政治にであれ社会にであれメッセージを発しつつも、その背後には常に逡巡が見える気がするんですよね。

ヤブユウタ「いま伝えていただいたニュアンスはすごくありがたいです。そもそもパンクが好きだからパンク・バンドをやっているという自負はあるんですけど、パンクをやるならなにかを発信しなくてはいけないという前提を持っています。生活していくなかで問題がたくさんあるじゃないですか。誰に頼まれているわけでもないんですけど、誰かに伝えるなら、そのひとつひとつに答えを出さなきゃいけないと思っているんです。〈共感してほしい〉や〈わかってほしい〉ではなく、まず自分のなかで答えを出したい。それができていなかったらなにか言っているようで、なにも発してないのと一緒だと思うんです。〈こういう問題があるよね?〉〈こういう感情があるよね?〉という提起だけじゃなく、現時点での答えを出していきたい。その答えを押し付けようというのではもちろんなくて、〈僕はこう考えてます〉というのを発しているだけなんですよね。なので極めて独り言に近いとも言える」

与田太郎「考えを思い浮かべるだけの人も多いよね。考えを言語化して説明するのは訓練がいるじゃない? 意識してそうしようと自分を訓練しないと、できないことだと思うんだよね。だから、ヤブくんはよく意志を持ってやれているなと思う」

ヤブ「それを簡潔に言うと〈イメージする〉ということですよね。イメージと答えは対極にあると思っているから、僕はイメージじゃなく答えを出したいんです。〈人それぞれ〉というメッセージもあるし、例えばSEKAI NO OWARIの“Dragon Night”はそういうことを歌っていますよね。それは僕のなかではパンクとは対極にあるもので、パンクは自分の答えを出さなきゃいけないものだと思っているんです」

与田「ヤブくんは自分に落とし前を付けている感が半端ないよね。ミュージシャンでそういう意識でなにかを語ろうとする人ってあんまりいない。僕はその内的動機はどんなものなのかが気になっているんです」

ヤブ「なんなんでしょう……。もう性分なんでしょうね。お2人が指摘してくれた自分のスタンスは、商業的な意味ではバンドの成果に繋がるものではまったくないと思うんです。そこを努力したってバンドの成功とはリンクしないですし、むしろネガティヴに受け止める人も多いかもしれない。でも自分がスッキリした気持ちで発せられない言葉を選んでいる時点で、なにもやってないのと同じになっちゃうかなと思うんです」

与田「表現者としてのあるべき姿がヤブくんのなかにあって、それを自分に課してる感じがあるよね。それがセールスには結び付かないことを知っている感じもまたカッコイイ」

ヤブ「光栄です。僕の存在を知ってくれてたりライヴを観てくれたりした人のなかでも、それを好意的に捉えてくれている方は少ないような気がする。けれども、好意的に受け取ってくれる方が、いまのこのやり方でも少なからずいることは本当にありがたい。もっとキャッチーな人間でいることよりも意味のあることのような気がするし、きついですけど無駄骨じゃないんだなと思えます」

――2015年は3作目のアルバム『少数の脅威』も出し、ツアーも回り、その後カセット音源の『LEMON』も出して、と精力的に活動をされていた印象でしたが、改めて振り返ってみてどういった年でした?

ヤブ「1月から振り返ってみると前半はずーっとアルバムの制作をしてましたね」

――確か、2014年の11月から始めていたんですよね?

ヤブ「そうですね。死ぬほどきつかったことが思い出されます。去年はバンドをやってるなかでいちばんきつかったんじゃないかな。一生忘れられないと思います。ミックスはいろいろな経緯があって、僕が自分でやることにしたんです。録りながらミックス作業も並行して行って、毎日4時、5時に寝て、朝7時に起きて、会社に行って、帰ってきてからまたミックスをやるという繰り返しでした。〈これはもしかしたら死んでしまうのではないか〉と思っていましたね(笑)」

――どうしてそんなに過酷な道を選んだんですか?

ヤブ「毎回ちゃんと更新したいんです。それが第三者から見て良いものになってるか悪いものになっているかは、その人の判断にお任せするんですけど、僕自身のなかではファーストがありセカンドがあり、それを踏まえて今回も前作以上のものになってないと嫌だなという気持ちで、作曲からなにから取り組んでいたんです。自分が描いている音像を作るための方法論は、これまでの2作を経て少しずつ培ってきていたので、それだったら今回は思いきって自分たちの手で、自分たちが納得できるものにしていこうという単純な理由でした」

――今作の音作りの面で参照にしたものはあるんですか?

ヤブ「うーん、まず近年流行っているサウンドや特定の作品に極端に似ている音像にはしたくないなという意識がありました。広い視野からすれば局地的だと思うのですが、例えばリヴァーブやディレイが強烈に効いている空間系の音像――2009年頃のペインズ(・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハート)を思わせるようなサウンドが巷で流行っている印象があったんです」

――2000年代終盤〜2010年代初頭にスランバーランドやキャプチャード・トラックスがリリースしていた音源のイメージですよね。

ヤブ「そうですね。そういう音を僕たちが前面に押し出すのは違うかなと。すごく微妙なニュアンスなんですけど、普遍的なものをめざしつつ、それでも現在進行形の音とかけ離れたものにはしたくないんです。ちゃんと2015年のサウンドにしたいと思っていました」

――“ダイヴ”あたりは、ポッシュ・アイソレーションに代表されるコペンハーゲン周りのハードコアな音ともシンクロしているように思ったんですよね。

ヤブ「それは嬉しいですね。実際にコペンハーゲンのバンドの音作りは参考にしました。『少数の脅威』のあとに作ったカセット『LEMON』の1曲目“Come & Through”はコミュニオンズの7インチ“Love Stands Still”が頭にあったんです。ただ、それをできるだけわからないようにはしようとは思いました。カッコ良く言えば自分たちの音に昇華しているというんですけど、カッコ悪く言えばバレないようにしようと(笑)」

コミュニオンズの2015年作『Communions』収録曲“Love Stands Still”

 

――以前のインタヴューで、中田ヤスタカが作るサウンドに感銘を受けたとおっしゃっていましたけど、そういう観点で、音にぶっとばされた作品は昨年ありましたか?

ヤブ「この1年はサウンド趣向に大きな変化はないですね。勘違いかもしれないですけれど、個人的にはいまは過渡期のように思います。すごく局地的にポスト・パンクやハードコアがまたリヴァイヴァルしている印象もありますが、それも数年前からありますし、もっと言えば一時的な流行ではなく、地続きで連鎖しているものですよね。ブルックリン周辺でトキシック・ステイトというレーベルがあって、ハンク・ウッド&ザ・ハマーヘッズやクレイジー・スピリットとかを出しているんですけど、それら現行のバンドと往年のハードコア・バンドとの違いは、ほんとちょっとの新鮮味だけだとも思うんです。アイスエイジが2011年に出したファースト『New Brigade』がハードコアの枠組みを超えて評価されたのも、そういったほんの少しの新鮮さだけだと思う。それができてるかできてないのかという差異なのかなと」

ハンク・ウッド&ザ・ハマーヘッズのライヴ映像

 

アイスエイジの2011年作『New Brigade』収録曲“New Brigade”

 

ヤブ「だからサウンドのアップデートはちょっとのニュアンスの変化や新しい配合だけで良いように思う。NOT WONKやTHE SLEEPING AIDES & RAZORBLADESもそうなのかもしれないのですが、そのわずかな差異こそが、多くの人にとって新鮮に聴こえるサウンドを構築する要素なのかもしれないなと。彼らが作る音楽と彼らが参考にしてきた音楽には、熱心なパンク/インディーのリスナーじゃないと気付けない変化しかないのかもしれない。NOT WONKやTHE SLEEPING AIDES & RAZORBLADESは物凄いハイブリッドですよね。NOT WONKは、加藤(修平)くんの好きな80年代や90年代前半の音を、新鮮な気持ちで2015年に鳴らしてあれになったというのが大事なんですよ」

NOT WONKの2015年作『Laughing Nerds And A Wallflower』収録曲“Laughing Nerds And A Wallflower”

 

THE SLEEPING AIDES & RAZORBLADESの2014年のシングル『FORGET ME』収録曲“NOT A DAY GOES BY”

 

――少しのニュアンスの変化が新鮮さを生み出すというのは、インディーやパンクに限った話ではないですよね。ところで『少数の脅威』のアナログ盤はCDとは曲順が違うんですね。

ヤブ「A面とB面で独立した道筋を立てて構成したような気がします。特に“少数の脅威”がB面の1曲目というのは意識しました。CDのときも1曲目を“ダイヴ”にするか“少数の脅威”にするか迷ったんです。僕が好きなインディー・ロックの作品のなかでも、1曲目はすごくラフでバーストしたガレージ・ソングで始まるアルバムが多い気がしてて。そのマナーを一度模倣してみたかったという安直な理由だったりもするんですけどね。アナログ盤にしたことで〈2つの1曲目〉を作れたのが良かった」

――ラフなガレージでスタートするアルバムで、具体的に念頭に置いた作品はありましたか?

ヤブ「いまパっと思いついたのはヴューのファースト『Hats Off To The Buskers』ですね。僕のなかではとても思い入れが強いアルバムなんです。世間的にはストロークスやリバティーンズと比較すると印象が薄いと思うんですけど、僕にとっては当時のUK、USのギター・ロック/ガレージ・パンク・リヴァイヴァルのなかで初めて、一聴したたけでしっくりきたアルバムだったんです。ヴューを聴いてから、やっとストロークスもリバティーンズも受け入れることができたようなところもあります」

The Viewの2007年作『Hats Off To The Buskers』の1曲目“Comin’ Down”

 

〈空気感の変化、浅はかなようでいてそれが重要なんです〉
KiliKiliVillaにいる新鮮さと、ハブになるという意志

――ヤブさんはいま『少数の脅威』を、腰を落ち着けて聴くことはありますか?

ヤブ「もうほとんど聴かないですね、ハハハ! 作ってるときは他人の音楽を聴くと、自分が作っているものとすぐに対比したくなってしまうから、制作中は毎日100~200回とか同じ曲を聴いてたんです。作り終わった瞬間にヒュッと聴かなくなりますね。たまに誰かが褒めてくれたり、感想を教えてくれたりしたときに〈あー、そう言えばそうなのかもしれないな〉と確認のために聴くくらいです。先のことを考えているほうが楽しいので、あんまり深々と思い返したりすることはないです。と言うとせっかくアナログ盤が出るのにまったく宣伝にならないですけど……(笑)」

与田「SEVENTEEN AGAiNにとって『少数の脅威』がリリースされた2015年はKiliKiliVillaと歩んだ1年だったと思うんだよね。自分たちでI HATE SMOKEというレーベルを運営しているにもかかわらず、KiliKiliVillaと一緒にやろうと言ってくれたのは俺たちとしてもすごく嬉しかったし、そうすることでなにか変化を感じられたのかを教えてほしいな」

ヤブ「I HATE SMOKEはベースの大澤くん(OSAWA17)が主宰しているんですが、以前と違っていまはなんの後ろ盾もなく、完全に独立してやってるんです。同じバンドのメンバーであり、レーベル・オーナーでもあり、アルバム制作に際して双方の側面から彼にいろいろな負荷をかけてしまうのはどうなんだろうかと、ずっと考えていたんです。安孫子さんにはセカンド・アルバム『FUCK FOREVER』の頃からいろいろアドヴァイスをもらってましたし、今回は全面的に一緒に作ってもらえた。与田さんや福井(隆史)さん(KiliKiliVillaの運営スタッフ)にいろいろ助けていただいて、精神面にもゆとりができていた。作業自体はきつかったですけど、アルバムを作ることに集中できていたと思います」

――KiliKliliVillaから出したことで、いままでとは異なった達成感は得られましたか?

ヤブ「まだアルバムが完成して、それを放り投げて進んでいっている最中でもあると思うんですが、いままでとは異なる方面に響いているという実感もあります。アルバムのリリースごとに音も歌詞のニュアンスも異なっているんですが、バンドの本質はファースト・アルバム『NEVER WANNA BE SEVENTEEN AGAiN』から『少数の脅威』まで変化していないんですよ。もちろんサウンドも歌詞も、進化させているつもりではあるけれども、本質自体は変わっていない。変わっているとすれば空気感なんです。でもそれは浅はかなようでいて実は重要なことで、やってる本人がそれを感じられているのかどうかですごく異なってくる。KiliKiliVillaというレーベルが出来て、そこで僕らもやらせていただいていることで、僕ら自身も新鮮な気持ちを共有できている面が多々あって。『少数の脅威』をKiliKiliVillaから出すことで、僕らの存在に気付いてくれた方が少なからずいるように感じています」

与田「俺たちにとって、SEVENTEEN AGAiNとヤブくんは、レーベルのなかの一バンドとそのメンバーという領域を越えているんだよね。CAR10やNOT WONKもSEVENTEEN AGAiNがきっかけとなってリリースできている。すごく心強い存在であるし、レーベルのストーリーとして整合性を持たせてくれたよね、レーベルとしてもSEVENTEEN AGAiNをリリースできると決まったあたりから全体が回りはじめたんだ。ヤブくんの存在が求心力になって勢い付けてくれたと思うんだよね」

ヤブ「NOT WONKの加藤くんも逐一SEVENTEEN AGAiNの話をしてくれますけど、僕らはまったく規模の大きいバンドじゃない。名前だけでも知ってくれている人が全国にはたして数千人もいるんだろうかと思うんです。それでもとても気にかけてくれている人が局地的にいるというのがある意味特殊なことだと思うんですよ。僕自身もめちゃくちゃ不思議なんです(笑)。それをめざしてやってきたわけでもないけど、僕も他のメンバーも、いろんな音楽を好きな人間が集まっているバンドで、さまざまな音楽の複合体なんです。ツアーをするにしても、複合体であったから、さまざまな場所にいろんなことを思ってくれる人がいらっしゃっるのかもしれない。正直自分ではよくわからないものですけれど」

与田「CAR10やNOT WONKの世代から見ると、SEVENTEN AGAiNは1つの理想形ではあるんだろうね。嘘をつかずに自分たちのスタイルとアティテュードで自分たちがやりたいことをやっててさ。KiliKiliVillaのイヴェントでSEVENTEEN AGAiNがライヴをすると他のバンドのメンバーたちがいちばん前で飛び跳ねてるじゃん。あの姿を見ると、これは普通の出来事じゃないなと思うんだよね。ヤブくんがそうなりたくてやってるわけではないだろうけど、彼らにとっては自分たちもこうなりたいと思うんだろうね。シーンの真ん中にいて、いろんなところにアクセスできるハブになっている。その恩恵をいちばん受けたのはKiliKiliVillaなんだよ」

2015年7月の東京・新代田FEVERでのライヴ映像

 

ヤブ「そうなんですかね。ですが、その〈ハブ〉という表現はとても嬉しいです! なんとなくバラバラだった人や物事が、ときどきでも集合したら、新しいなにかを生み出せる可能性があるんじゃないかと考えてきました。例えば『少数の脅威』のツアーで、名古屋ではガガガSPとSTANCE PUNKSに出てもらえて、そこに東京からTHE SATISFACTIONという僕らの好きな東京の若いパンク・バンドを呼んだんです。彼らはガガガSPやSTANCE PUNKSと対バンする機会はなかなかないと思う。そういった、本質的には価値観を共有できそうなのに、なかなかあり得ない組み合わせを実現することで、年齢や興味の異なるバンドが交わる機会を作れたらいいなと。本当は僕らなんかより、もっと活動規模の大きいバンドがそういうことをたくさんやるべきだと思うんですけど、僕が知らないだけかそういう動きはあまり目立たない気がする。でも、そういうことを積極的にやらないと、どんどん閉鎖的でつまらなくなってしまうとも思うんです。僕は行ったことすらないですけど、傍から見てて、いまの大きいフェスにもそういう印象を持っています。なので小規模であっても、風通しの良い空間を作れたら良いなと常々思っているんです」

与田「それは安孫子の言っていることとまったく一緒なんだよね(笑)」

ヤブ「海外だと、グリーン・デイみたいなバンドが地元の若手バンドをツアーに連れて行って、そのバンドがまたさまざまに派生していくといった動きが多々ありますよね。最近だとイギリスでもリバティーンズがサーカ・ウェイヴスのような若手をヨーロッパ・ツアーに連れて行っていた。それを僕らに置き換えるのは規模が遥かに違いすぎるんですけど、そういうことは誰かがやるべきだと思う」

THE SATISFACTIONの2015年のカセット『はすe.p.』収録曲“マッチ”

 

サーカ・ウェイヴスの2015年作『Young Chasers』収録曲“Fossils”

 

――ヤブさんのそうした動きは確実に下の世代にも影響を与えていると思います。例えばHomecomingsがLUCKY TAPESを招いた大阪Pangeaでのツーマンでは、And Summer Clubというほとんど無名のパンク・バンドをオープニング・アクトにしていたんですよ。

ヤブ「僕らからの影響では絶対にないと思いますけど(笑)。そういった風潮が多方面に広がると、とてもおもしろいですよね。それを日本で早い時期から鮮明に打ち出せていたのはGOING SETADYじゃないかな。彼らが一気に売れたとき、それまで西荻WATTSで一緒にやってたバンドを、赤坂BLITZなど大きい会場で共演させて、いままで知らなかった人に紹介していったのは凄く意味があったと思うんです。安孫子さんとも話していたんですけど、GOING STEDAYがライヴに呼んだバンドに、お客さんはピクリとも反応しなかったみたいなんですよ。本人たち的には〈やっぱりこういうことをやっても意味がないのかなー〉と当時は落胆していたそうなんです。でも一定期間やり続けた結果、僕らの世代から下はGOING STEADYから繋がる事柄やルーツに気付いて、自分たちでもこういうことができるんじゃないかと掘り下げはじめた人が多いんです。それが地続きで今日まで繋がってきてるんですよね。だから規模の大小はあれど、やり続けないといけないと思うんです」

与田「いまの話を聞いて、あらためてヤブくんと安孫子は芯が近いと思ったな」

ヤブ「でも、いまどき安孫子さんほどメジャー的なものを拒絶する人は珍しいですよね。それを拒絶する価値観は、日本だと90年代後半から2000年代前半にとても盛り上がった感覚だと思うんですよ。ここからは〈YES〉、ここからは〈NO〉という感覚が、その頃はいまよりもわかりやすかった気もします。その価値観は、メジャーとインディーの境目が不明瞭になっている2016年の日本では、以前よりも稀薄になったと思うんです。近年だと、インディーのアイドルがそれまでパンクに熱中してた人たちも巻き込んで熱狂させたことなどが、そうした状況を如実に表してましたよね。そこで安孫子さんが正しいのは、一見飽和しているように見えるけど、実はいまのほうがハッキリと分断されているからなんです。メジャーとインディーの境目は見えづらくなっただけで、むしろ大きくなっている。だから安孫子さんみたいにめちゃくちゃわかりやすく拒絶反応を示す人は、いまとても貴重で重要だとも思うんです」

2012年作『FUCK FOREVER』収録曲“FUCK FOREVER”

 

 

〈1人の強い熱こそが物事を新しく進めるんだと思う〉
A PAGE OF PUNKに学んだこと、提示し続けた先の興奮

――ヤブさんのリスナーとしての遍歴も知りたいです。海外の音楽への入り口は?

ヤブ「たぶん最初に自分で買った洋楽のCDは……高1のときのタヒチ80のファースト『Puzzle』のような気がします。」

――へえ! じゃあパンクやロック、いわゆるうるさい音楽を聴くきっかけになったのは?

ヤブ「それ自体はもう少し前ですね。中2の時にミッシェル・ガン・エレファントの“Out Blues”という曲にワッとなったんです。いまだにミッシェルでいちばん好きな曲ですね。ちょっと自分の趣向を決めた曲のような気もします。でも、それと同時に当時好きだった女の子の影響でR・ケリーとか甘々のR&Bも聴いていたんですよ。その流れで2パックとかヒップホップも聴くようになった。日本のヒップホップも聴いてましたね。ヒップホップに飽きてきたのはカニエ・ウエストが出てきたあたりで、そこからは完全にパンクばっかりになったんです」

ミッシェル・ガン・エレファントの98年のシングル“Out Blues”

 

――ヒップホップに飽きたのはどうしてなんですか? カニエの登場はセンセーショナルだったと思うんですよ。

ヤブ「自分でバンドをやりはじめたからだと思います。それまではバンドに興味なかったし、自分がなにか音楽をやることを考えたこともなかった。ただ友達の五十嵐サブロー※という奴から〈やってみない?〉と言われて気軽に受けてみた。そいつもちょっと変な奴で、普通は高校生だったらコピーから始めると思うんですけど〈いきなりオリジナルをやろう〉と言っていたんです。だから僕はコピー・バンドをやったことがなくて。パンクに没頭したのも、自分がやりはじめたという理由だけのように思います。もし自分でバンドをやってなかったらパンク好きにはならなかったかもしれない」

※ 『FUCK FOREVER』や“恋人はアナキスト”などSEVENTEEN AGAiNの作品のエンジニアも務めている

――じゃあ、最初のバンドもパンクだったんですか?

ヤブ「なんていうんですかね。その最初のバンドは〈尾崎豊を3倍速にしたバンド〉というコンセプトがあったんです(笑)。当時、周りはコピー・バンドばかりで、オリジナルの曲をやってもまったくウケなかったんですよね。だったら曲が速ければ盛り上がるんじゃないかという理由で」

――自分の音楽を明確にパンクだと認識したのは、なにかきっかけがあったんですか?

ヤブ「それはA PAGE OF PUNKでギターを弾くようになってからだと思います。21歳のときなんで2006年くらいですかね。僕が20歳前の頃〈SET YOU FREE〉※1によく行ってたんです。2003年頃で、銀杏BOYZも出てたし、DASHBOARDやIdol Punchも出てましたね。そうしていくうちに西荻窪のWATTSに出会うんです。WATTSでDASHBOARDが毎月企画をやっていて、ちょうどその時期にSTIFFEEN※2からFruityやNuts & Milkがリイシューされたんです。それらのバンドもWATTSでやっていたらしいという情報を聞いて、WATTSに通うようになった。で、DASHBOARDの企画には毎回A PAGE OF PUNKが出てて、僕にとってA PAGE OF PUNKは物凄く新鮮だったんですよ。その頃のWATTS周辺のシーンには、Fruityのようにソウルやスカが混ざっていたり、DASHBOARDみたいにファンクやニューウェイヴが混ざっていたり、ストレンジなサウンドのパンクがたくさんいたんですが、そんななかA PAGE OF PUNKは超しょぼくてどストレートなパンク・バンドで、〈この人たちは1周回ってマジでスゴイぞ!〉となった。当時マイナー・スレットや80年代のハードコアも聴いていたうえで、A PAGE OF PUNKはハードコアではないのに、ハードコアのバンドよりも曲が速いし、複雑なことは特になにもしていないのに、いちばん変わっているというバンドで、僕にとってカリスマ的な在だったんですよ」

※1 97年からスタートし、現在も全国各地のライヴハウスで開催されているパンク・イヴェント

※2 KAKUBARHYTHMの角張渉と安孫子真哉が99年に始めたレーベル。安孫子のKiliKiliVilla設立に伴い活動終了

A PAGE OF PUNKの2004年のライヴ映像

 

――そもそもヤブさんが西荻WATTSに魅力を感じたのは、その場がどういう場所だったからなんですか?

ヤブ「本当にいろんなバンドが出てたんですよね。似ているバンドがいなかったし、みんな変だった。ちょっと頭をひねって、変だったり新しいことをすればそれだけで良くて、自分にもやれるんじゃないかという気にさせてくれる場所でした。空間としてそう思わせてくれる場所はほかになかった」

――WATTSはどうして、みんなをそう思わせられる場所になったんですかね?

与田「あそこはもういい加減で、本当になんでもアリのフリー・スペースみたいになってた瞬間があったんだよね。ちゃんとした店長がいるとかじゃなくて、そのへんのバンドがみんなで運営しちゃっているようなノリになっていた」

――語り草になっている場所ですよね。いまの若いパンク・バンドへの影響も大きくて、THE FULL TEENZのメンバーも西荻WATTSでやっていたバンドにすごく憧れを持っているようです。

与田「当時を目の当たりにしてた人間からすると、集まってくる若い子が勝手にいろんなことをやってただけなんだけどね(笑)。そのなかで角張くんや安孫子が友達を集めて企画をやっているような感じだったと思うな。でもなぜかカオスにはならず、秩序立ってはいた。それが不思議な感じだったね」

――憧れだったA PAGE OF PIUNKにヤブさんが加入した経緯は?

ヤブ「同じ頃、A PAGE OF PUNKがイギリス・ツアーをすることになったんです。それで対バンがレザーフェイスというのを聞いて、〈マジか! ヤバすぎる!〉と思った。僕はレザーフェイスが大好きだったから、A PAGE OF PUNKのベースの(久保)勉さんに〈手伝いでもなんでもするから連れて行ってほしい〉とお願いしたら、〈良いよ、一緒に行こう〉と言ってくれたんです。最初はただ付いて行くだけだったんですけど、ツアーの2週間くらい前にギターの人が突然辞めてしまって。それで急遽僕がライヴでギターを弾くことになったんです。僕は1回だけ東京でライヴして、2回目がイギリスでした(笑)」

レザーフェイスの93年のシングル“Do The Right Thing”


――イギリスでは何か所くらい回られたんですか?

ヤブ「リーズやロンドンなど8、9か所を回りましたね。そこでイギリスのパンク・シーンを見たり、その後もメンバーとして一緒に活動しながらA PAGE OF PUNKの歌詞の意味を考えたりしたことで、サウンドじゃなく自分の身としてパンクとはなんなのかを探求しはじめたんです」

――A PAGE OF PUNK以外で、当時ヤブさんが特に好きだった日本のパンク・バンドは?

ヤブ「あー、でもやっぱりA PAGE OF PUNKがいちばん好きだったんですよね。だからメンバーになれて一緒にイギリスにも行けて夢のようでした。僕にとっては、SMAPのファンが自分もSMAPに入れるくらいの喜びだったんですよ。それくらい特別な存在だし、めちゃくちゃ影響を与えてくれた存在です」

――A PAGE OF PUNKと並行してSEVENTEEN AGAiNも活動されいてたんですよね?

ヤブ「そうですね。SEVENTEEN AGAiNが2009年にファースト(『NEVER WANNA BE SEVENTEEN AGAiN』)を出す直前までだったので、24歳くらいまで入ってましたね。でもSEVENTEEN AGAiNは、大澤くんと遊びで始めたバンドでしたし、いまみたいな活動になったのはファーストを出して以降です」

――A PAGE OF PUNKに加入してパンクについてより深く考えるようになった結果、その後のSEVENTEEN AGAiNの活動にも変化が起きましたか?

ヤブ「歌詞というものについてすごく考えるようになって、ちゃんと筋を通したものにしようと強く思いました。それはA PAGE OF PUNKの経験を通じて構築されたものだと思います。A PAGE OF PUNKの勉さんは本当に音楽をかたっぱしから掘り下げる人で、70年代から80年代のパンク、パワー・ポップだったり、ネオアコや同時代のインディーの良いレコードをたくさん教えてくれましたね。SEVENTEEN AGAiNのサウンドは歌詞とは別のヴェクトルで構築しています。サウンドはそのときどきで好きな音楽の変換でしかない。僕らが好きなサウンドはアルバム制作の時期ごとに変わっているんですけど、それをそのまま発するんじゃなくて、ちゃんと自分のなかで消化して、それらを知らない人に響かせるには、どういう解釈をしてどう変換したうえで発すればいいのかという挑戦を毎回しています」

2012年作『FUCK FOREVER』収録曲“スイートマスメディア”

 

――では、サウンド面でもっとも影響を与えた存在は?

ヤブ「僕らの世代ではやっぱりGOING STEADYの存在は大きいです。彼らもメンバー全員、音楽的にはめちゃくちゃ雑食な人たちだったじゃないですか。自分たちがやっているサウンドは筋が通っているんだけど、各々が好きなサウンドはそれとは別にいっぱいあるという部分で、僕らの世代にとってはそれが手掛かりになった部分は大きいです」

――その面はまさにSEVENTEEN AGAiNに受け継がれていますね。

ヤブ「あと彼らはたぶんあの時代のどのバンドよりもスリリングだったんですよね。次にどう転ぶかわからない動き方をしていて、そこから目が離せなかった。想像ですけれど、リアルタイムのストーン・ローゼズやラーズ、もっと振り返るとセックス・ピストルズやクラッシュと同等のスリリングさをあの頃のGOING STEADYは持っていたんじゃないかな」

与田「そうかもしれないいね。それはたぶんハイスタがトイズファクトリーからPIZZA OF DEATHに移った瞬間、ブランキー(・ジェット・シティ)の3作目(『C.B.Jim』)から解散まで、ミッシェル(・ガン・エレファント)が『ギヤ・ブルーズ』前夜に加速しはじめた頃とか、そういう感覚がGOING STEADYにはあったと思う」

――与田さんはSEVENTEEN AGAiNにそのスリリングさを見ますか?

与田「いつスリリングな物語が点火するのだろうかと思って見ていますね」

ヤブ「ハハハ!」

与田「もちろんいまもそれがないわけじゃないし、メンバー個々のキャラクターも最高に立っている。でも、そろそろバンドが〈こうなりたい〉という方向に動いても良いんじゃないかなとも思う。いままでさんざん嘘をつかない活動をして、間違っていないと思うことはすべて受けてきて場数を踏んで、その結果いまのSEVENTEEN AGAiNの支持のされ方がある。2016年はその次のステップを考える年にすべきなんじゃないかと思っているんだよね。単純にそろそろ立場を交換したい。ヤブくんがKiliKiliVillaにいることで俺たちはものすごく前進することができたし、得たものは大きい。じゃあ次はKiliKiliVillaというチームがヤブくんとSEVENTEEN AGAiNになにができるかを考えて、返していきたいんだよ。この2016年はそういう1年にしたいし、その道筋を考えていきたいんだ」

ヤブ「いやはや、もう本当に光栄です。SEVENTEEN AGAiNとKiliKiliVillaの間には大局的に見ると共通する〈正しさ〉があると思うんです。それが合っているか間違っているかではなくて〈これが正しいんだよ〉と提示することを楽しみながらやっている。KiliKiliVillaのほかのバンドと話していても、みんな似たスタンスを持っていると思う。中心で安孫子さんが強いアティテュードを持ちつつ、みんないろいろ嗜好は違うんだけど、結果的に同じ方向を見ているというのがおもしろい。ナショナリズムにならずにコミュニティーになってますよね。リスナーとしての印象ですけど、海外のインディー・レーベルだと、クリエイションとかもそうだったんじゃないかなと思うんですよ」

与田「クリエイションはそうだよね。強力なコミュニティーを88年から91年くらいまでに作ったことで、その後の10年があり、オアシスが出てくるわけだから」

――遡れば80年代のファクトリーもそうですよね。

ヤブ「そうそう、ファクトリーがあっての現在のキャプチャード・トラックスだとも思うんですよね」

与田「バーガーも完全にそういう繋がりでやってるしね」

ヤブ「もともとはめちゃくちゃ狭いコミュニティーからスタートしてますからね」

与田「バーガーはただの音楽オタクのショーン・ボーマンがカセットを出したいというところから始まってる。それがネットワークを広げ、大きなレーベルになっていったのは、音楽を通じて話のできる信頼関係がバンドとの間にあったからだろうね」

★ヤブユウタによる、バーガーのショーン・ボーマンへのインタヴュー

バーガーから3月にカセット・リリースされる、KiliKiliVillaの2015年のコンピ『WHILE WE’ RE DEAD.〈BURGER RECORDS EDITION〉』。シャムキャッツの“忘れていたのさ”などCD版には未収録の楽曲も多数追加されている

 

ヤブ「いまの日本でそういう存在がいくつかあるかわからないですけど、KiliKiliVillaはコミュニティーとしての面も鮮明に打ち出せているから注目されているのかなと思うんですよ」

与田「安孫子が出す/出さないを決めているだけなんだけどね」

ヤブ「でも、ある1人の強い熱こそが物事を新しく進めるんだろうなと思うんですよ。たとえばアイスエイジが日本で盛り上がったのはBIG LOVEの仲(真史)さんが、まだ日本で誰も知らない段階であれだけ推しまくったからだと思うんです。NOT WONKがいまみたいに知られたのもその結晶だろうし、個々人が勝手に盛り上がった結果、彼らは広まっていった」

――ただ、NOT WONKを広めた第一人者はヤブさんですよね。NOT WONKの加藤さんが2013年の〈MATSURI〉でヤブさんに自主制作CD-Rを渡して、ヤブさんがそのCDの感想をツイートしたことがきっかけだった。

与田「そうだね(笑)」

ヤブ「僕は自分自身のことを、やる側よりリスナーとしての側面が強いと思っているんです。なにかを発する立場というより、いまだに受け手側のフィーリングが強いというか。ということを考えると、バンドがなにかすごく斬新なことをやっていたり、強いメッセージを発していたりしても、それに意味を付けるのは第三者にしかできないと思うんです。作ってる側は自分で自分の説明はできたとしても、それ以上の意味合いや色を付けることはできない。聴く人の答えはそれぞれにあるじゃないですか。だからSEVENTEEN AGAiNのアルバムについても、僕がアルバムのなかで出した答えを受けて、ひとりひとりがそれぞれにまた違う答えを出してもらいたいんです」

――それに対してヤブさんはテクニカルでもあると思うんです。“リプレイスメンツ”での〈代替品じゃないぜ〉という叫びは、〈どうせ代替品なんだからとっとと差し替えてくれよ〉という軽やかなニヒリズムとも捉えられる。聴き手の解釈の自由を担保するためにスキルを駆使されている気がします。

与田「ある種のリテラシーを必要とする表現だよね。だからそれをどう飛び越えていくかだよね」

ヤブ「飛び越えられる人とそうでない人の違いがなんなのかを考えると、それは〈平気で間違えられること〉という気がするんですよ。ちゃんと間違えられるかという点はすごく重要かもしれない。与田さんに近い人だと峯田(和伸)さんだったり。彼は完全に間違っていることもしますよね。加えて、合っているのか間違っているのか微妙なリテラシーも垣間見せるから、受け手はその表現を信用して良いんだか悪いんだかわからなくなる。それがスリリングさですよね。間違っている奴のほうが魅力的だし、峯田さんは打率1割のホームラン王みたいに、ほとんどは間違ってるのに、たまにめちゃくちゃ正しいことも言うんですよね。銀杏BOYZの今度リリースされるDVD(『愛地獄』)に〈どうかこの世界がひとつになれませんように〉というキャッチコピーが付いているんでけど、これはすごく正しいじゃないですか」

与田「そうだね(笑)。正しい」

ヤブ「それは『少数の脅威』のテーマとも似てる気がしてて、さまざまなことを一色に染めようとする動きや、 強要しようとする力に対しての答えになっていると思うんです。それがどれだけの規模に伝わるのかわからないけれど、それでも提示し続けなくてはならないと思うんです。わかる人にしか伝わらないことをやっていても意味がないし、きっとおもしろくもならない。結果として伝わる規模が10000人であるか100人であるかは問題じゃなくて、そこをめざし続けることだけが可能性や手掛かりになるのかもしれない。だって僕らが2009年に『NEVER WANNA BE SEVENTEEN AGAiN』を出したときは、NOT WONKの加藤くんなんて13か14歳くらいですよ。THE SLEEPING AIDES & RAZORBLADESのシラハマ(ロバスミ)くんが加藤くんにそのCDを貸して、加藤くんが聴いて特別なものを感じてくれた。そして彼らがバンドを始め、同じイヴェントやツアーで一緒にライヴができて、今度は僕が彼らを観て興奮できるという事実だけ取っても、それは僕がバンドをやりはじめたときには想像すらできないような出来事です。傍から見れば、取るに足らない出来事なのかもしれない。けれども僕にとっては何物にも代え難い、これまでに得ることのできた成果ですし、これ以上ない可能性だと思います」

2009年作『NEVER WANNA BE SEVENTEEN AGAiN』収録曲“NOBODY KNOWS MY SONG”