COLUMN

いつだってポップは〈いま〉を捉える! アメリカーナの伝統と新感覚エレクトロを両立させる2人組、シルヴァン・エッソの魅力

シルヴァン・エッソ『What Now』

いつだってポップは〈いま〉を捉える! アメリカーナの伝統と新感覚エレクトロを両立させる2人組、シルヴァン・エッソの魅力

ノースカロライナ州ダラム出身の男女デュオ、シルヴァン・エッソが通算2枚目となる新作『What Now』で本邦デビューを飾る。2014年にリリースされた前作『Sylvan Esso』はアメリカのみで10万枚以上を売り上げ、収録曲の“Hey Mami”は、アメリカの有力メディアであるPaste Magazineが同年の年間ベスト・ソング1位に選出。さらに、『What Now』の先行シングル“Radio”がSpotifyで800万回以上の再生を達成してバイラル・チャートの1位に輝くなど、彼女たちを取り巻く状況はブレイク寸前の兆しを見せている。このようにシルヴァン・エッソが快進撃を続ける理由と、メンバー2人の愛すべき魅力をライターの萩原麻理氏に紹介してもらった。 *Mikiki編集部

SYLVAN ESSO What Now Concord/Loma Vista/HOSTESS(2017)

フォークロアの伝統と、その歌を引き出すトラックメイク

シンガーのアメリア・ミースとトラックメイカー/プロデューサーのニック・サンボーンによる男女デュオ、シルヴァン・エッソ。そう説明するとちょっとエッジのあるトラックにシルキーなR&B女声ヴォーカルを乗せた、それこそよくあるパターンのエレクトロニック・ポップを想像しがちだが、聴けばすぐにそれが裏切られるはずだ。2014年のデビュー・アルバム『Sylvan Esso』でも、オープニング・トラック“Hey Mami”が流れ出す瞬間、彼らの音楽が〈エレクトロ・フォーク〉と呼ばれたり、〈シンセサイズされたアメリカーナ〉と言われたりするのも頷ける、どこか不思議に懐かしくて新しい感覚を味わえる。

フィールド・レコーディングされた波の音と〈ヘイ・マミ〉とループのように繰り返されるコーラス、ハンドクラップで始まるこの曲は、途中で太いベースと繊細なシンセが加わって表情を変えていく。その変身ぶりも鮮やかだが、何よりアメリアが歌うメロディーと内容がユニークなのだ。日本語に訳すと〈よお、ねえちゃん〉とでもなるフレーズが繰り返されたあとに登場するのは、早足で街を歩く魅力的な女性の姿。それがたちまち、男たちの卑猥なヤジ=キャットコールによって性的なオブジェクトにされてしまう。コール&レスポンスのように構成された曲は、ありふれた日常の風景の二面性を映すものでもあるのだ。その構図を描きながらどこかユーモラスで、メロディがキャッチーなのもいい。それはいつだって、ポップ・ソングが〈いま〉を切り取ってみせる手法だ。

アメリアは大学時代に女性3人のフォーク・グループ、マウンテン・マンで音楽活動を始めたという。ファイストのサポートも務めたマウンテン・マンは、アカペラの女声コーラスでフォーキーな曲を歌うグループだけに、〈声〉を楽器として使い、さらには物語を語るフォークロアの伝統も汲んでいる。アメリアはシルヴァン・エッソでそのポテンシャルを解放し、ポップで伝染力のあるメロディーに乗せ、もっとパーソナルで、かつトピカルな物語を歌いはじめたようだ。そしてそんな彼女の個性を理解し、引き出し、決して凝ったプロダクションで歌を圧倒しようとはしないニックの手腕も無視できない。いくつかのバンドで活動しながらさまざまなジャンルの音楽を聴き、トラックを作り、プロデュースする――という多面な活動が糧になっているのだろう。

アメリアが在籍していたマウンテン・マンのアカペラ・パフォーマンス映像
 

ちなみに前述の“Hey Mami”は、アメリアとニックがビルの屋上で演奏する2014年の映像がNoiseyに残っている。バックの6人はドラムを抱えたニックに加え、吹奏楽器やワイン瓶のパーカッションを演奏するアナログな音楽隊。その前でアメリアが歌い、踊るのだが、レコードとはまったく違うアレンジながら、曲のフィーリングはそのままのパフォーマンスになっているのが素晴らしい。〈歌〉が中心にあるからこそ、そこから足しても引いても、アナログでもエレクトロニックでも成立してしまうシルヴァン・エッソの音楽性がよくわかる。だからこそ毎回ソールドアウトとなるくらい、ライヴの評判もいいのだろう。

 

この時代の感覚をたたえた、パーソナルなポップ・ソング

そして『Sylvan Esso』から3年後、今回ドロップされるのがセカンド・アルバム『What Now』だ。〈で、今度は何?〉というタイトルだが、基本は前作と大きく変わらない。特に音が分厚くなるわけでも、新機軸が導入されるわけでもなく、ただそれぞれの曲が持つフィーリングは多彩になった。アメリアのヴォーカルとニックのアレンジは洗練され、よりポップ志向が強くなっている。ただ前作でもそうだったが、シルヴァン・エッソのポップ・ソングとしての個性はパッと聴いて耳に残る曲がメロディーやトラックの印象だけでなく、使われている言葉や歌詞の内容も一緒に飛び込んでくるところ。イメージ豊かな言葉の連なりは音感も快く、自然と口ずさんでみたくなるのだ。

歌詞はパーソナルなまま、〈いま〉を鋭く描く部分が増えた。心の中でいまだ温かく輝いているような、誰かと過ごした放課後やライヴのあとの瞬間を歌う“The Glow”。〈私、かっこよく早死にする予定だったのに、あなたと出会ったからそれも保留よ〉と嘆くラヴソング、“Die Young”。シングル・カットされた“Radio”はもう少し社会的で、個人とメディアのあり方を批評するような曲だ。周りで何が起きようと四六時中コンテンツを消費する私たち、と同時にメディアに消費されたがってもいて、雛形に自分を当てはめようとする私たち。途中でいきなりバキバキなダンス・トラックになる“Kick Jump Twist”では、ネットの向こうの大勢の注目が欲しいがためにカメラに収められる、孤独な〈ダンス〉が取り上げられる。そしてファースト同様終盤は静かな曲で締めくくられ、ほぼアカペラといってもいいほどミニマムなバラッド“Slack Jaw”では、〈こんなにリズムとハーモニーがあるのにあなたには見えないの?〉と歌われる。〈私が望んだものは全部ある/必要なものはすべてある/水面に顔を出してることもあるけど/ほとんどは途方に暮れてる私〉と。どうしても暗さや不安は拭えないこの時代の感覚をたたえた、アーティスティックな10のポップ・ソングだ。

もちろんメインストリームを占めているような、手練れのポップ職人が作る曲を既存のスターが歌っているのも楽しいけれど、いつの時代もポップ・シーンを動かすのはどこからともなく現れるアクシデンタルなスターだったりする。実験的な音楽を作っていた誰かがたまたま作った曲、小さなシーンのどこかで偶然生まれたケミストリー。モダンでいてトラディショナル、ストイックでいてセクシーなシルヴァン・エッソの〈歌〉にも、そうやって飛び出てくる音楽の新鮮さと意外性がある。しかも人懐こくて、チャーミング。6曲目の“Song”が〈私はあなたの頭から離れない歌/その中ではあなたの欲しいものが叶うような〉と歌うように、もしかすると『What Now』は彼らの控え目で、でも野心的なポップ宣言なのかもしれない。

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