メリーランド生まれのシンガー・ソングライター兼マルチ奏者、ファーザー・ジョン・ミスティことジョシュ・ティルマン。彼を紹介する際には、必ずと言っていいほどこういう前置きがつきまとう。〈フリート・フォクシーズの元ドラマー〉――。しかし、そんな説明もそろそろ不要になるだろう。グループを離れて名門サブ・ポップから2012年に発表した『Fear Fun』が高評価を獲得し、2015年作『I Love You, Honeybear』で商業的にも成功。Jティルマン名義での活動から数えると、10年以上の下積みがようやく報われた格好だ。
その後、アヴァランチーズやビヨンセらとのコラボレーションを経てこのたびお目見えしたニュー・アルバム『Pure Comedy』は、深化の一枚になった。スコット・ウォーカーやランディ・ニューマンといった、アメリカの偉大なシンガー・ソングライターを引き合いに語られる音楽性は本作でも健在。滋味深い歌声、多彩なアレンジ、演劇的な構成がより洗練した形で表現されている。これまでとの大きな違いは、ルーファス・ウェインライトを連想させる叙情性が際立ち、歌詞の視野がグンと広がったこと。妻へのラヴソングなど自伝的な内容の曲が目立った前作に対し、『Pure Comedy』ではジョシュから見た〈外の世界〉が描かれているように感じる。このアルバムで彼は何を表現しようとしたのか?
「新作用の曲を書き終えた時、息遣いを感じさせる生身の人間の姿が作品の中核になければ、ヒューマニティーをテーマとしたアルバムにはなり得ないと気付いた。ヒューマニティー全体を凄くマクロ的に捉えているんだよ。一種の縮図的な見方だ。いまこそ僕らは生身の人間が抱える恐怖やヒューマニティーを深く掘り下げて、その全体像をきちんと捉える必要がある」。
前作にも痛烈なアメリカ批判を展開した“Bored In The USA”なるナンバーが収められていたものの、今回はそこから〈人間性について描く〉という壮大で曖昧な領域へ足を踏み入れたわけだ。〈人間性〉という概念は古代ローマ時代から存在し、これまでも繰り返し考察や議論がなされてきたが、決定的な答えはまだ出ていない。こうした難題に挑むジョシュの勇気や創作意欲には目を見張るものがある。
プロダクションに関しては、オーケストラ・アレンジにギャヴィン・ブライアーズを迎えていることがやはり最大のトピック。ギャヴィンと言えば、ブライアン・イーノやデレク・ベイリーらの作品にも関わってきた大御所のコンポーザー/コントラバス奏者だ。
「ギャヴィンが来た最初の夜、テキーラとラクロワとオレンジで彼に飲み物を作ってあげたんだ。そうしたら、次の日の夜に〈昨晩作ってくれたあの飲み物は何だい?〉と尋ねてきた。もう74歳なのに、とにかく彼は好奇心が旺盛で、初めて触れたものに興味津々なんだよね。今回のアルバムにもギャヴィンは夢中で取り組んでくれた。それを見ながら、〈僕だったらきっと無理だろうな〉って、ずっと考えていたよ。自分のやってきたことが間違っていなかったと実感するのは、自分がそこにいるという事実を心から喜んでくれる人々に囲まれている時なんだろうな、なんてこともぼんやり思ったね」。
ジョシュは本作のリリースに先駆け、レコーディング風景から成る25分の短編映像を公開している。この動画を製作した理由について訊いてみると……。
「哲学、宗教、性的誘惑、歴史、詩といった、人間の作り出したさまざまな狂気を愛する虚栄心が僕にあるからじゃないかな!? でも残念ながら、そのすべてが人との絆や共感の思いを深めたり、良い方向に変える役には立たないんだ」。
持ち前のシニシズムや悲観的な性格は、ますます鋭さを増したようだ。しかしジョシュは希望を示すことも忘れない。それを指摘すると彼は「その通りだ」と一言だけ返してくれた。この男、喰えないヤツだがおもしろい。
ファーザー・ジョン・ミスティ
本名ジョシュ・ティルマン。81年生まれ、メリーランド出身のシンガー・ソングライター。21歳でシアトルに移住し、音楽活動を本格化。翌2003年にJティルマン名義でファースト・アルバム『Untitled No. 1』をリリースする。2008年にドラマーとしてフリート・フォクシーズへ加入。グループを脱退した2012年に、現在の名義で初のアルバム『Fear Fun』を発表。2015年の2作目『I Love You, Honeybear』が、NMEやBillboard誌などの年間チャートで上位に選ばれて話題を集める。その後、エミール・ヘイニーやアヴァランチーズの作品に客演し、レディ・ガガやビヨンセに楽曲を提供。このたびニュー・アルバム『Pure Comedy』(Sub Pop/BIG NOTHING)をリリースしたばかり。