まだ無名の青年時代にCHABOこと仲井戸麗市の紹介で忌野清志郎の運転手を務めたことをきっかけに、ザ・タイマーズや忌野&坂本冬美とのトリオ・SMIへの参加、はたまた“JUMP”などの共作曲の制作やライヴ・サポートも長年務め、忌野がもっとも密に創作活動を共にした一人としても知られる、三宅伸治。87年にスリーピース・バンド、MOJO CLUBでデビュー、95年に同バンドの活動を休止して以降は、ギタリスト/ヴォーカリスト/ソングライター/プロデューサーとして、甲本ヒロト&真島昌利からゆずまで、さまざまなアーティストとの共作・共演も積極的に行いながら、ロックンロールを体現し続けているブルースマンだ。稀代のロックスターも絶大な信頼を寄せた音楽家としての才能と温厚な人柄は、今日も世のロックンローラーたちを魅了している。
そして、このたびデビュー30周年という節目を迎えた三宅のトリビュート盤『ソングライター』がリリースされた。国内ロック界屈指の〈愛され男〉ぶりを象徴するように、この上なく豪華な面々が大集結。自由に料理された珠玉のカヴァー曲を通して、唯一無二の強度を持つ詞やメロディーを改めて堪能してほしい。今回はリリースを記念して、三宅と、作品に参加したフラワーカンパニーズとの鼎談を敢行。音楽ライターの兵庫慎司が進行を担当し、なぜ三宅がこれほど多くの音楽家から必要とされてきたのかに迫った。 *Mikiki編集部
ザ・クロマニヨンズ、Mr.Childrenの桜井和寿、斉藤和義、YO-KING、大竹しのぶ&ナタデココ、浅野忠信、山崎まさよし、グループ魂の暴動こと宮藤官九郎などなど――音楽界隈はもちろん俳優界にお笑い界から大御所・スター・新人を網羅したメンツの豪華さも、30曲で2枚組というヴォリュームも、各楽曲のクオリティーも、いちいちがもうあり得ない状態のすさまじいトリビュート・アルバム。それが、2017年12月20日に三宅伸治のデビュー30周年を記念してリリースされた『ソングライター』である。
三宅と共に、バンドとしても個人としても作品に参加している、フラワーカンパニーズのヴォーカル・鈴木圭介とベース&バンドのリーダーであるグレートマエカワに語らってもらったこのテキストから、なぜ彼にだけこんなことが実現可能なのかを読み取っていただければと思う。
僕がずっと一方的にしゃべってて、三宅さんが〈そういうこともあったねえ〉って聞いてくれる、みたいな感じ(鈴木)
――フラワーカンパニーズは、三宅さんがMOJO CLUBでデビューした頃はまだアマチュアでしたよね。
鈴木圭介(フラワーカンパニーズ)「はい。でも俺、ライヴは観に行ってたんですよ。フラカンでデビューするちょっと前、東京に出てきた頃に吉祥寺のMANDA-RA2に観に行って……TVで三宅さんが肩車されて客席に入って行くのを観てて〈これくらいの規模のライブハウスでもやるのかな〉と思ってたんだけど、やってくれたんだよね。で、近くまで行って、三宅さんの足を触ったりして(笑)。そのあとも、渋谷のPARCOの駐車場に観に行って……あれ、フリーライヴですよね?」
三宅伸治「ああ、ありましたね(笑)」
鈴木「MOJO CLUBが〈100曲ライヴ〉っていうのをやってたんですよ※。朝の10時ぐらいからずーっとぶっ続けで演奏するの。100曲ずっと続けるんじゃなくて、10曲ぐらいやって、大川興業の芸人による寸劇が入るとか、そういう感じで」
※94年作『THE MOJO CLUB』リリース時に開催
三宅「ああ……細かいことは全然憶えてない(笑)。そうだったんだ?」
鈴木「で、最後の最後に(忌野)清志郎さんが出てきて、俺〈うわーっ!〉って思って、フェンスに登って観た記憶がある(笑)」
――1日中その100曲ライヴを観てたんですか?
鈴木「そうだよ。1日いたよ、俺」
――熱心なファンですね(笑)。
鈴木「すごいおもしろかったんですよ。あれはねえ、絶対途中で抜けられない。見届けないと気がすまなくて。他のお客さんも誰も途中で帰ってなかったと思う」
三宅「でもあれ、実は結局100曲できずに終わったんですね(笑)。夜の8時ぐらいまでやってたんだけど、99曲目で警察が来ちゃって、100曲目ができなかったという。終わってみんなで打ち上げに行ったんだけど、朝からずっとやってたもんだから、疲れきってて誰ひとりしゃべろうとしなかったのを憶えてる(笑)」
――両者が最初に接点があったのは、いつ頃ですか?
鈴木「最初はパワステ※ですね」
※新宿に88年~98年6月まであったライヴハウス、日清パワーステーション
グレートマエカワ(フラワーカンパニーズ)「(忌野清志郎)Little Screaming Revueの2デイズか3デイズのライヴで、ゲストが毎日変わっていくみたいな企画が(パワステで)あったんですよ。それに俺らが出ていて、清志郎さんに初めてお会いしたのがそれだから、たぶん97年かな。それで、アンコールの“雨あがりの夜空に”の時に、俺たちもワーッてステージに出たんです。でもその時は、ご挨拶をしたぐらいですよね」
三宅「うん。そうやってその後も何回かイヴェントとかでは一緒になってるんだけど、ほとんどしゃべったことはなくて」
鈴木「でも僕、そのあとに、友部(正人)さんの朗読のライヴで一緒になったんです。15年くらい前かなあ」
三宅「ああ、それは憶えてる」
鈴木「横浜の……THUMBS UPだ。僕と、三宅さんと、たまの石川(浩司)さんと、友部さん」
三宅「それはポエトリー・リーディング、自分の書いた詩を自分で読むっていうイヴェントでした。友部さん企画のポエトリー・リーディングのアルバム※が出て、その発売記念ライヴだったんですけど、あれライヴでやるの、ものすごい緊張するんですよ」
※2000年作『no media1~友部正人プロデュース ポエトリー・リーディング・アルバム』
鈴木「そう! あれは難しいですよね。譜面台に詩をポンと置いて、シーンとしてる中で読むって……これは笑いをとった方がいいのか、感動させようとすべきなのか。何を目的にしたらいいかの方向性がまったくわからない」
グレート「結局どっちにしたの?」
鈴木「詩を3つか4つぐらい読むんだけど、最初に笑いをとろうとして、スベったのを憶えてる(笑)。それで、譜面台を倒したりして、ドジな自分を演出してごまかすっていう」
三宅「でも鈴木くんの時は、客席が盛り上がってたのはなんとなく憶えてる」
鈴木「ほんとですか? 僕も、三宅さんの詩は憶えてるんです。ずっとやってるローディーの方、ほら、三宅さんを肩車してた――」
三宅「山本キヨシ?」
鈴木「そうそう。その山本さんのことを詩にしてたじゃないですか」
三宅「へえー、そうだっけ?」
鈴木「憶えてないですか?〈昔、俺は、ローディーで食っていくなんて無理だ、そんな甘い世界じゃないって言ったけど、今きみは立派にそれで生活している〉みたいな内容で。俺、感動しましたもん」
三宅「へえー」
グレート「(笑)。でもまたやってほしいですね。観に行きたい、俺」
鈴木「いや、僕はもういい。きついよ? あんなに緊張したことないかも。僕だけじゃなくて、(遠藤)ミチロウさんも言ってたもん。〈圭介くんやるの? ポエトリー・リーディングはねえ、きついよお?〉って(笑)。で、そのライヴの時、三宅さんと楽屋でパワステの話とかいろいろお話して。……というか、僕がずっと一方的にしゃべってて、三宅さんが〈そういうこともあったねえ〉って聞いてくれる、みたいな感じでしたけどね」
グレート「(三宅さんとは)日比谷の野音で一緒になったこともあった。今はもう消されてるかもしれんけど、YouTubeに動画も上がってたの。最後に“雨あがりの夜空に”をやってて、俺たちもステージに出て、鈴木が清志郎さんと一本のマイクで歌ってて、俺も歌ってるシーンがあるの」
三宅さんについて行けば大丈夫(グレートマエカワ)
――ちゃんと一緒に何かをやったのは、このアルバムにも入っているオーバーオールズが初めて?
グレート「そうです。石塚(英彦)さんも俺もトレードマークがオーバーオールだから、一緒にやったらおもしろいかも、っていうお話をいただいて、〈ぜひやりたいです〉って。そしたら三宅さんと石塚さんが吉祥寺で毎年やってるお祭り※に出られると聞いて、行かせてもらって。ライヴが終わって〈じゃあちょっと打ち合せがてらゴハンに行こうか〉となって、そこで初めてたくさんお話ししました。それで、数か月後の8月に名古屋でライヴをやったんですね。三宅さんと石塚さんが、オーバーオールズ用の曲を作ったり、カヴァーもやったりして」
※2017年5月開催の吉祥寺音楽祭
――それ用にわざわざ曲を作ったんですか?
三宅「うん。せっかくだから。石ちゃんもそういう時燃えるタイプで、俺も燃えるタイプなんで、4~5曲ずつ作ってきて」
グレート「三宅さんのそのハード・ワーキンぶりがすごいですよね。〈えっ、この日数で新曲そんなに作るんだ?〉って。すごいうれしかったですもん、弾き語りの曲が送られてきた時」
鈴木「まさに『ソングライター』のコピーじゃないですか。〈いつも、歌を書いている〉っていう」
三宅「(笑)。ありがとうございます、そこに話を持っていっていただいて」
グレート「で、その名古屋でのライヴで、4人でオーバーオールを着ようって話になったけど、まさか裸にオーバーオールという俺のスタイルでやるとは思ってなくて。三宅さんもそれでやるって言うから、三宅さんのファンに怒られるんじゃないか、って不安になりましたよ(笑)。三宅さん、〈生まれて初めてオーバーオール着るんだよね〉っておっしゃっていて。でもほんと、おもしろかったですよね。またやりたいです」
三宅「やりましょうよ。その時、リハをやりながら一応7曲ぐらい録音もしたけど、ほったらかしなので……まあいろんな事情があるから、リリースすることは難しいかもしれないけど。でもまたやりたいですね」
グレート「石塚さんも、音楽にかける情熱がすごいなっていうのは、ひしひしと感じて。ライヴではフラカンの“恋をしましょう”もやったんだけど、そんな初めてやる曲ばっかりのライヴなのにリハがたったの一回だったら、普通はカンペ見ないと無理じゃないですか。でもカンペなしで本番に入るの。あれはびっくりした」
――同じバンドでプレイする三宅伸治というのは、どんな感じなんですか?
グレート「安心感がすごい。三宅さんについて行けば大丈夫、っていう。ザ・バンマスというか。三宅さん、ご存じのようにいろんな人とやられてきているから、やっぱり引き出しの多さがハンパないと思うんですよ。それをすごく感じました。演奏中に間違った方向に行った時があったとしても、ビビらない」
鈴木「アタフタしないっていうね」
三宅「ああ、名古屋の時もそういう瞬間、あったような気がする(笑)」
グレート「だって、ドラムのケニー・モズレーさんは日本語もそんなに話せなくて。事前のリハもほとんどなかったし、やる曲も当日に伝えたりしてたんだけど、そこを三宅さんが〈大丈夫、大丈夫〉ってうまい具合に持っていくのが、すごいなあと思って」
――『ソングライター』に入ってる“夕立ち”は、そのリハの時に録ったものですか?
三宅「そうです。一発録りですね」
グレート「石塚さんがこの歌をすごく好きなのがわかるんですよね、感情がこもってて。こんなにエモーショナルな歌を歌える人なんだとびっくりしました」
三宅「〈気持ち〉がある人なんですよね。いつも感心しちゃいます」