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中村佳穂『AINOU』はなぜ2018年を代表する名盤なのか? 柳樂光隆、佐藤文香、松永良平がクロス・レヴュー

中村佳穂『AINOU』特集 Pt.2

中村佳穂『AINOU』はなぜ2018年を代表する名盤なのか? 柳樂光隆、佐藤文香、松永良平がクロス・レヴュー

中村佳穂が11月7日にリリースした新作『AINOU』。発表直後から、モダンR&Bの先鋭性をまとったビート感とエレクトロニカ的な精緻きわまるプロダクションを融合させたサウンド、それらユニークな音世界を自在に飛翔してく歌声とメロディー・センスが賛辞を集めている。Mikikiでは、〈2018年を象徴する歌もの〉と言うべきこの名盤を徹底解析すべく、大特集を展開中。先に公開した中村自身のロング・インタヴューに続いて、この第2弾では、柳樂光隆、佐藤文香、松永良平という識者3人によるクロス・レヴューをお届けしよう。

〈Jazz The New Chapter〉の監修者にして、ジャズを入り口に現在の音楽シーンにおける多くの刺激的な様相を解析してきた柳樂には、〈音作り〉の同時代性について。気鋭の俳人であり、中村の盟友・CRCK/LCKSへの作詞提供でも知られる佐藤には、同時代に暮らす人間/女性として彼女の〈言葉〉について。ハイファイ・レコード・ストアのスタッフとして古今東西の音楽に造詣が深く、特に2000年代以降は、新しい感性のインディペンデントな音楽家を精力的に紹介してきた松永には〈日本語ポップス〉としての魅力について。それぞれのテーマから、3者に寄稿いただいた。 *Mikiki編集部

★中村佳穂『AINOU』特集記事一覧
Pt.1「私は私、あなたはあなた、だからこそ出会える」中村佳穂――音楽を愛し、音楽に愛されし才媛の生きる道
Pt.3 中村佳穂『AINOU』を作った男たち――荒木正比呂×深谷雄一×西田修大×MASAHIRO KITAGAWAが制作秘話を明かす

中村佳穂 AINOU AINOU/SPACE SHOWER(2018)

柳樂光隆が分析する〈音作り〉
徹底的にデザインされたサウンドの背後にある、得体の知れない〈刹那〉

去年の春くらいに僕は初めて中村佳穂を観た。その頃、「中村佳穂のライヴ観たことあります?」とか「中村佳穂は観たほうがいいっすよ」とか周りの人に何度か言われたことがあり、気にはなっていた。実際にライヴを観て、(ジャズ評論家である)僕に勧める人が何人もいる理由はすぐにわかった。

彼女は自身が書いた曲を歌うわけだが、そこに対バンのバンドのメンバーやさまざまな人をステージに迎え入れて、自分の曲のなかでセッションをしていた。ただ、それはジャズのセッションが持つゲーム的な即興演奏とは別物。もっとオープンでフレンドリーで、彼女を中心にしたひとつの〈場〉が設定され、そこに参加者が加わって、即興的に彼女の曲に少しだけ色を加えたりすることで、彼女の曲がその瞬間だけの形に膨らむようなセッションだった。あくまでもその核には中村佳穂の歌があった。

そうやって日本中でライヴをしながら、その場所その場所でゲストが入ったり入らなかったりしながら、彼女の歌の周りは日々変わり続けているんだろうなと思った。不確定要素を加えながら、その時々で違う形や違う色になる曲を真ん中で楽しんでいる彼女は、即興がすごいとか、自由だとかよりは、その場を俯瞰して適切にコントロールし、曲と場を成立させる冷静さのようなものが見えてきて、むしろ、その場のノリみたいなものが実は希薄なステージに、僕は得体の知れなさを感じていた。

今回『AINOU』を聴いて、僕はそのときの感覚を思いだした。フィジカルで不確実な要素みたいものは全くなくて、むしろ即興性みたいなものを削ぎ落して、徹底的に作り込んだ〈トラック〉が並び、丁寧に歌ったヴォーカルが聴こえてくる。ネオ・ソウル以降のジャズやフューチャー・ソウル、ジェイムス・ブレイク以降のヴォーカルの加工、トラップ以降のラップにも通じるリズムを取り入れた歌、プログレッシヴな南米音楽、クロスリズム、ここ5年くらいの音楽シーンのトピックがひたすら詰まっているし、その情報量はめちゃくちゃ多くて、ときに眩暈がするほど煌びやかだ。

その徹底的に〈今〉な音が清々しく、同時に刹那を感じさせて、それが楽しさとその裏にある、もの寂しさを感じさせたりもする。むしろ、日々、変わり続ける音楽をやっている彼女が、前に進み、変わり続け、この瞬間に今がどんどん過去のものになっていく刹那は、この情報量とヴァーチャルな世界観によるアウトプットではないと、録音物という形では表現しきれないものだったのかもれないとも思った。このパワフルさや煌びやかさが徹底的にデザインされたサウンドは、僕のなかに儚さみたいなものを立ち上らせる。

ただ、一方で、そんな過ぎ去っていく今も、刹那をも、まるで悟ったように泰然としている中村佳穂がいるようにも思えてくる。きっとここに収められた曲を今もまた日本のどこかで彼女は平然と歌っていて、また違う形になっているのだろう、と。エモーショナルな歌の裏に冷徹さが聴こえるこのアルバムに、僕はまた得体の知れなさを感じている。

 

佐藤文香が紐解く〈言葉〉
〈あの感じ〉をともにする、わたしたちの音楽

中村佳穂『AINOU』を聴くと、心が反応する。ハッピーなのも、さみしさも、ぼんやりした雰囲気にも、ぐっとくる。それは彼女が、気分をできるだけ言葉にする真摯さと、気分を安直に定義してしまわない誠実さとを、持ち合わせているからに他ならない。
さっそく歌詞を見てほしい。

きっとね!秘密は多い方が/どうだろう!優しくなれるかも
“きっとね!”

〈いつか好きな人ができたなら〉という歌詞のあとに、このサビ。キャッチーに見えて複雑である。
普通は、秘密が少なければ少ないほど親密な間柄と言っていいだろう。でもわたしたちには、今までやこれから、きっと秘密にしたいことがある。とても大事な相手にさえ言えないことがあるのは、苦しい。この曲は、そんな自分を悪者にしてしまうあなた(または自分)への愛なのではないか。

さらに、〈きっとね!〉に対して、〈どうだろう!〉がもう一人の自分っぽく呼応し、本当にそうなのか、ちょっと考えさせてくれる。〈かも〉にも、言い切らない心遣いがある。秘密が多い方が優しくなれる、かどうかはわからないけれど、秘密が多いという引け目は優しさに通じる、かもしれない。それくらいでもいい。そして、のちにそんな恋を思い出せば〈苦しいくらいの痛み〉がくる。それをも引き受けることが、秘密を持つことの味わいである。

喋らないか 語らないか(嫌じゃないかなぁ)
“GUM”

この(嫌じゃないかなぁ)という心の声は、歌われてはじめて共有できる恐れだ。好きな人にはぐいぐいいってしまうけど、相手が嫌じゃないかはやっぱり気になる。歌詞に書かれてはいないけれど、挟みこまれる〈wow wow〉の歌いぶりがまた切ない。しりとりのように歌詞がつながれるところも、片想いしていた、いつかの自分を見ているようで、ふっと笑みがこぼれ、ちょっと涙が出る。

こうやって、恥じらいまじりに、しかしたしかにこまやかに不安が歌われることで、わたしたちは救われる。一方で、言わなくても通じ合う微妙な気持ちもある。

いい日に生きて、あの感じになろうね
“You may they”

生きてて何度か感じたことある、すっごくよかった時間の、あの気分の自分、あ、あのときひとりじゃなかった、一緒にあの気分だった仲間、ほら君もいたじゃん、みんなでさ、あの感じになりたい、なろう、ね。それまでもさ、我慢したりつらかったりじゃなくて、〈いい日に生きて〉、だよ。――もしかしたらこの感じこそが、2010年代後半を若者として生きるわたしたちを、象徴する空気感かもしれない。あるいは、わたしたちがこれからを生きるのに、よりどころになる感情かもしれない。20年後に、今の気分を思い出して聴いてみたい。

いけいけいきとし GO GO 
いけいけいきとし GO GO
“そのいのち”

『AINOU』の音源を手に入れた日、ちょっとつらいことがあって、“そのいのち”を何度も聴いた。自分の真ん中に火を焚いて、そのまわりを大好きな人たちと、歌いながら踊ることをイメージした。かんたんに意味で人を励まそうとしたりしないのがいい。生きとし生けるわたしたちのための、いけいけのGOGOな歌だな、と、元気が出た。この曲でこみあげてくる熱いものは、きっと世代に関係ない。わたしは、わたしたちは、音楽が好き。

『AINOU』は、わたしも、わたしの愛する人も、中村佳穂もふくむ、わたしたちの音楽だ。
このアルバムのもとに集うみんなで、〈あの感じ〉になろう。

 

 

松永良平が考察した〈日本語ポップス〉としての可能性
ルーツとの繋がりが生んだ、ハイブリッドを飲み込んだサラブレッド

中村佳穂が歌うのを初めて目にしたのは、2015年の〈下北沢インディーファンクラブ〉。たしかTHREEかBASEMENT BARから移動する途中の440だったという記憶。かなり高いテンションでピアノを弾き語りし終えた彼女は、「今の曲で、私の盛り上がる曲は終わりです」と笑いながら言った。その後しばらくして、別の機会にちょっとだけ彼女と話をした。そのときに、自分は関西育ちなのだが母親の出身は奄美大島だと言っていたのが、なぜか印象に残った。奄美在住のシンガー・ソングライター、ハシケンとの交流についても語っていたはずだ。

そんなイメージがあったものだから、今年の初め、渋谷のTSUTAYA O-nestで彼女のバンド編成でのライヴを見たときは、サウンド面での驚くべき変化に面食らった。だが、おののいただけでなく、奇妙な納得もあった。最初に彼女を見たときから、歌とピアノとメロディーの渾然一体感には、ひとつの定型に収まりきらない破格さを感じていたから。今回の新作『AINOU』収録の“FoolFor日記“にも顕著な、方言や普段の話し言葉を交えた自在な感覚は、最初からあったはずだ。自身のルーツとのつながりからしか生まれ得ないはるかなグルーヴというか。

中村佳穂は、ポップスともジャズとも判然とさせないまま音をかきまぜ、ときにうつくしく、ときに荒っぽく音楽を乗りこなしてゆく。表現としての突破力は奔放で強く、音楽の性根もとても誠実。そういう意味での彼女の先達として僕は、ある時期の矢野顕子を思い浮かべもする。

『AINOU』には、矢野の『ト・キ・メ・キ』(78年)から『ごはんができたよ』(80年)のちょうど中間に位置するような印象を持った。あぶなっかしいほどの天才性の持ち主が、広く愛されるポップさを獲得してゆく経過の記録に立ち会っているような。

そして、彼女の音楽のハイブリッド性が、まず耳をとらえるのはわかる。だが、それと同時に、折しもリリース時期が近かった折坂悠太『平成』千紗子と純太『千紗子と純太と君』と相通じる部分も濃厚だということも見逃したくない(さらにいえばcero『POLY LIFE MULTI SOUL』宇多田ヒカル『初恋』も同じ射程に見つめつつ)。それは〈現代の日本〉みたいな記号で変に薄められることのない、自分が生まれ育った場所に植わった素のままの日本語によるポップ表現の持つ可能性を、彼や彼女たちが感じさせるからでもあるだろう。音楽的にも文化的にもハイブリッド(混血)という前提を飲み込んだ場所から生まれた、このうえもなくサラブレッド(自分そのもの)な音楽なのだと思う。こういう作品が今年出揃っていたことは、あとになって単なる偶然じゃなかったと思い返すのかもしれない。

もうひとつ。これは余談。部屋で流していても落ち着かなくて、もっぱら、音楽と追いかけっこするように歩きながら、僕はこのアルバムを聴いている。それも今を生きてる音楽の大事なポイントだと思ってる。

 

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