INTERVIEW

チャンポンタウン“Giant step” BO GUMBOSやウリチパン郡の精神を受け継ぐ、関西からの特異な才能

ゴルゴス(うたとギター)、ken.ak(ピアノ)
 

不思議なにおいを持ったバンドは、いつも関西から現れるように思う。溺れたエビ!(そういえば彼らも関西発の不思議な集団だった)の元メンバーであるゴルゴス(うたとギター)、ken.ak(ピアノ)、こまるあかね(ベース)の3人からなるチャンポンタウンは、フォークやカントリー、エキゾチックやアフリカンなどをいい塩梅に混ぜた、多国籍だが圧倒的に美しい楽曲が特徴的な〈ファンタスティックフォーク3人組〉。彼らは2018年の結成以来、不思議なにおいを振りまきながらマイペースに活動し、昨年は自主制作のEP『tambourine』を、今年はEP『ごきげんよう』と初の配信シングル“Giant step”をリリース。さらには、まだ結成1年にも関わらず11月15日(金)に大阪の殿堂、梅田シャングリラでワンマン・ライヴを開催するという。何を食べ、何を考え、どう生きればこんな不思議な音楽が生まれるのか。その秘密をメンバーのゴルゴスとken.akに訊く。

チャンポンタウン Giant step Words Studio Records(2019)

 

 ルーツ・ミュージックを大事にしつつ新しい音楽が生まれる場所、ジャックライオン

――チャンポンタウンは3人とも溺れたエビ!(※)の元メンバーなんですよね。
※2001年京都で結成された音楽パフォーマンス・ユニット。メンバー全員がエビの仮面と衣装に身を包み、儀式と呼ばれる独特のライヴが特徴的だった。旧名・溺れたエビの検死報告書。

ken.ak「はい。僕らは覆面してた期間が長いので、最近〈僕らのことを知ってもらいたい欲〉がすごくあって(笑)」

ゴルゴス「謎めいてた時間がすごく長かったからね」

――ああいう見た目も音も強烈な個性を持つ集団って、たいてい関西から出てくるじゃないですか。もちろん関西と一括りにしても各地で全然違う特徴はあると思うんですが、チャンポンタウンのルーツはどこから来てるんですか?

ken.ak「そういう要素はゴルゴスさんが担ってますね」

ゴルゴス「僕は大阪の茨木市出身で、茨木の端っこにジャックライオンっていうライヴハウスがあって、そこはスタジオと楽器屋とライヴハウスが一緒になっているんですね。そこが金子マリさんや内田勘太郎さんを呼んだり、かと思えば韻シストのギターのTAKUさんやフジファブリックの山内総一郎さんが育ったハコでもあったりして、そんなジャックライオンでいろんな音楽を知ったんです。ルーツ・ミュージックを大事にしつつも新しい音楽を作ろうとしてる人たちがたくさんいて、そういう人たちにたくさん影響を受けました。韻シストのTAKUさんにはギターを教わりましたし」

ken.ak「ライヴハウス全体の雰囲気に独特のすごさがあって、店長の眞柴さんが音楽に対する夢をすごく持ってる方で、スタッフさんも全員目がキラキラしてるし、現場への携わり方も他と違うんです」

――ゴルゴスさんはいつからジャックライオンに出入りするようになったんですか?

ゴルゴス「高校の頃に、最初は客として先輩のライヴを観に行って。そこからちょっとずつライヴに出させてもらうようになって」

ken.ak「ライヴを観に行って、それに憧れたら上の階の楽器屋さんで楽器を買って、スタジオで練習して、ライヴに出るようになるっていう、ひとつの場所ですごく綺麗な流れができていて。でも、大阪でもそういう場所はなかなか無いですよ。僕の近所にはなかった」

――まず楽器を買っても、普通は〈ライヴハウスってどうやって出るんだろう?〉って一回つまずきますもんね。

ゴルゴス「ジャックライオンは高校生のイヴェントをやったり、大物の方のライヴに高校生割引があったりして、若者にも間口を広げているような場所なんです」

ken.ak「だからジャックライオンの対バン相手って、高校生だったこともあるし、第一線で活躍するプロの方だったこともあるし、一見めちゃくちゃなようで理に適っているというか、一日にいろいろ物語があるんですよ。僕は最初出た時、それがしんどすぎて号泣しましたもん。ピュアな気持ちで音楽をやってる子たちがステージに立っていて、自分はそんな気持ちを忘れていて、不意打ちを食らってしまって」

――いい場所なのが伝わってきます。

ゴルゴス「去年、韻シストの結成20周年ライヴでTAKUさんが山内総一郎さんと一緒に出た時に、ジャックライオンの眞柴さんを交えてトークする時間があって、その時は〈ついに形になったんやな……〉って感動しました」

ken.ak「でも眞柴さんはゴルゴスさんに対しても、その2人と同じように接してるように思えるし、そういう役割を担わせようとしてるように見えてて」

――大物になるべき人だ(笑)。

ゴルゴス「なりたいですねえ(笑)。期待は感じます」

ken.ak「そういう夢を持たせてくれる場所ですね」

 

聴いたことのない音楽を作ろうとしていたpsybavaと溺れたエビ!

――kenさんの出身はどこなんですか?

ken.ak「生まれはたぶん神奈川で、育ちは大阪です。で、半年前に東京に出てきました」

――じゃあいまは遠距離バンドなんですね。3人はどこで出会ったんですか?

ゴルゴス「まずは僕がもともとpsybava(サイババ)というインスト・バンドをやっていて、鍵盤のメンバーとして入ってきたのが彼で」

psybavaの2015年作『JAPAN』収録曲“spectrum”のMV
 

ken.ak「僕、音楽をやりながら担担麺屋さんをやっていて、そこにpsybavaのドラマーがお客さんとして来て、〈psybavaと溺れたエビ!っていうバンドやってるから、ライヴ観においでよ〉って言われたから観にいったんです。それが知り合うきっかけで。(こまる)あかねさんは、マッカーサーアコンチというバンドでベースを弾いていて、時々対バンはしてたんですけど、僕らと近い時期に溺れたエビ!にも入ったんですね」

こまるあかね在籍時のマッカーサーアコンチのライヴ映像
 

――溺れたエビ!にはみなさんいつから関わってるんですか?

ゴルゴス「2012年くらいからですかね。psybavaも継続しながら……一時期はpsybavaのメンバー全員がエビにもいました。全員が一気に入ったわけではなく、順々に(笑)」

――溺れたエビ!はメンバーも流動的だし、実態が謎に包まれた集団という印象でした。

ken.ak「メンバーの加入・脱退とかもあってないようなものなので。一番露出が多かった時期はキャスティング方式と言うか、現場に合ったメンバーが選抜されて行く感じだったし」

――なぜみなさんは溺れたエビ!に入ったんですか?

ken.ak「やっぱり、最初に観た時の衝撃がすごかったんですよ。すごくホットで、〈関西にいるなら参加しないといけない〉って思いました」

ゴルゴス「psybavaも溺れたエビ!も、〈新しいものを作ろう〉っていう気持ちはすごく強かったよね」

ken.ak「〈聴いたことのないものを作るぞ〉っていう気概があったよね。ヴォーカルがいないから、〈音とパフォーマンスで勝負するぞ!〉っていう。まあ、そういうところに時間を費やしすぎたんですけど(笑)」

――溺れたエビ!での役割と在籍期間は?

ゴルゴス「2012年から2017年くらいまでか。kenちゃんは1年くらい後に入って、入ってすぐに〈フジロック〉(〈FUJIROCK FESTIVAL '13〉ROOKIE A GO-GOステージ)だったもんね」

ken.ak「勢いを感じながら活動していました。僕はシンセサイザーで」

ゴルゴス「僕はギターでしたけど、ステージのなかで〈生贄〉っていう、お客さんを引っ張り出してくる儀式があって、それも担当したり、パーカッションもやったり。パフォーマンスにおいては全員3役くらいあったし、演奏していない時もエビでいないといけないし、物販で撮影されたりとか、マスコットとしての役割もかなりありましたね」

ken.ak「体感では演奏2割、パフォーマンス6割、積み込み2割、みたいな感じで(笑)」

溺れたエビ!が「BAYCAMP2015」に出演した際のライヴ映像。2:50ごろから〈生贄〉のシーンが始まる
 

――並行してやっていたpsybavaはどうなるんですか?

ゴルゴス「僕は途中参加ですけど、2008年から2016年の解散までいて。その時はジャム・バンドが流行っていて、グレイトフル・デッドとか、フィッシュとか、セッションしながら盛り上げていくようなバンドも好きだったんです。そういうところから始まって、一時期はディジリドゥのメンバーがいたり、サイケなイヴェントに出たりしてました」

ken.ak「それこそ今回“Giant step”を録り終わったあと、久々に2人でpsybavaの音源を聴いたんですけど、やっぱり1つ前の青春みたいなところはあって、〈こんなバンドはいなかった〉って自信持って言えますね」

ゴルゴス「演奏も音質も拙いし、展開もメチャクチャなんですけど、でもなんかロマンがあってね。当時はエビとpsybavaでツアーを回って、2組の関係性を楽しんでくれる人もいたし。でも、その頃にはいろんな事情や問題が重なってきて。ひとつは僕がミュージシャンに多いジストニアという病気になってしまって、そこからバンドがうまく動かなくなったんです」

ken.ak「ギタリストでいられる時間が少なくなっちゃったんですよね。でも僕はゴルゴスさんに音楽を続けてほしくて、たまに弾き語りとかもしていたから、歌を歌ったり、作曲家だったりの道なら続けられるんじゃないかなと思って。だから2人で、〈ごるけんバンド〉みたいな感じで始まったのが、チャンポンタウンの原型です」

ゴルゴス「当時はめちゃくちゃショックだったんですけどね」

ken.ak「でも、だからこそゴルゴスさんの新しい音を届けたかったんですよ」

――kenさんはゴルゴスさんに惚れ込んでますね。

ken.ak「もともとは担担麺屋さんをやってたけど、psybavaやエビに出会って、次の年には〈フジロック〉に出られた。そこで人生変わったんです。そのなかに家も近くて年も近いギター・ヒーローがいて、すさまじいエネルギーを感じたんです。この人がギターを弾くだけで2000人が湧く。そういうところにロマンを感じちゃって」

――psybavaの解散後も、kenさんはゴルゴスさんを見守ってたんですか?

ゴルゴス「僕がギターを弾けなくなって、人としてどうなるのかを見届けたいって言ってくれてましたね」

ken.ak「当時僕は事務所(Words Studio Japan)を持って音楽制作をするようになって、これまでと音楽の作り方が変わったきたという時で、ゴルゴスさんとはいろんな形で関われる可能性が増えたって思ったんです。だから僕も同じようにいろんなところで音楽をしようと思ったし、それはこれからも続いていくと思います」

――その気持ちは届いてました?

ゴルゴス「届いてました! 僕らは表向きには淡々としてるんですけど、実は中身にエモい部分もあるんです(笑)」

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