ヴァイオリン奏者のKumi Takahara(高原久実)がファースト・フル・アルバム『See-through』をリリースした。クラシック~現代音楽を素地に持ちつつ、これまで湯川潮音やゴンドウトモヒコ、world’s end girlfriendといった多種多様なミュージシャンのサポートを務めてきた彼女が、約5年間にわたる自宅での多重録音を駆使して制作。極めてパーソナルな、それでいて普遍的な美しさを湛えたモニュメンタルな作品に仕上がっている。

ピアノやヴォイスの耽美的な旋律に、ときに電子音響のようなサウンドとなって絡まり合う弦楽器の響き、あるいは映像喚起的なフィールド・レコーディング等々、ポスト・クラシカルな色彩を浮かべた彼女の作品は、どのようにして生まれたのだろうか。今回のインタビューでは、幼少期から音大への進学を経て現在にいたるまでの経歴、および『See-through』の制作プロセスと減算の美学とも言うべき彼女の音楽観について、じっくりと語っていただいた。

Kumi Takahara 『See-through』 flau(2021)

 

姉と繋がるため、音楽の道を歩み始める

――高原さんは3歳からヴァイオリンを始めたんですよね。どういったきっかけがあったのでしょうか?

「母がクラシックを聴くのが好きで、家に演奏会のビデオが置いてあったんです。綺麗なドレスを着た女の人が、オーケストラをバックにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏するというもので、私はそれがすごく好きで繰り返し観ていて。それで〈これがやりたい!〉って親に言ったんです。そしたら〈幼稚園に入るまで待ってね〉と言われて」

――ご両親も楽器を演奏されていたんですか?

「いや、うちの親は音楽家ではなかったです。クラシックの世界だと両親が音楽家で(そうした環境から)楽器を始める人が多いんですけどね。それで、幼稚園に入園するまでは親が空き箱で作ってくれたヴァイオリンのおもちゃで遊んだりしていて、入園してから近所のヴァイオリン教室に通うようになりました」

――ヴァイオリン教室はいつ頃まで通っていたのでしょうか?

「3歳から通い始めて、音大受験の直前までずっと通ってました。クラシック音楽の勉強をしているというよりも、親戚の家に遊びに行っているという感覚でしたね。反抗期も(親ではなく)教室の先生に向いたりして(笑)」

――音楽家として活動していくことを意識され始めたのはいつ頃でしたか?

「2つ上の姉がパンク・バンドのヴォーカルをやっていたので、よくライブハウスに遊びに行ったりしていたんですね。かなりのエネルギーで音楽に向かっていたのを傍で見ていたのですが、その姉がバイク事故で急に死んでしまったんです。姉が亡くなるまでは、自分にとってヴァイオリンは趣味でしかなかったんですが、自分が音楽の道に行けば彼女と繋がりを持っていられる気がして。それが高校2年生のときで、もうほんとに進路を決めるギリギリのタイミングだったんですけど、音大に行こうと決めました」

――高校卒業後は、国立音楽大学に進学して弦楽器を専門的に学ばれていますよね。今でも印象に残っている授業などはありますか?

「コースを選択して試験を通ると大学3年生から専門的なレッスンを受けられるようになるんですけど、私は同級生と弦楽四重奏を組んで室内楽の専門的なコースに進んだんですね。弦楽四重奏って、クラシック音楽のなかでもオーケストラから編成を削ぎ落とした〈究極のアンサンブル形態〉と言われていて、多くの作曲家がチャレンジしてきた分野でもあるんです。

それで、アンサンブルの歴史的な成立過程についての授業もおもしろかったのですが、特に印象に残っているのは、和音の重ね方に関するレッスン。例えばオクターヴ下のパートを担当する人が若干ピッチを高めに、上の人はうわずらないように少しだけ低めに弾くと、和音の響きがしっくり収まる。そういう技術的なことが学べたのは、今回の『See-through』で多重録音する際にも、ものすごく活きています」

『See-through』収録曲“Roll”

 

日常のなかに息づくクラシック音楽

――大学時代に、それまでの音楽の捉え方がガラリと変わる経験みたいなものはありましたか?

「大学に通っていたときは目の前の課題をこなすのに精一杯で、あまり広く物事を見る余裕がなかったんです。けれど卒業後にオーストリアのウィーンに約1年間留学して、そこでいろいろと音楽の見え方や捉え方が変わりました」

――具体的にはどのように音楽への意識が変化したのでしょうか?

「決定的だったのは作曲を始めたことですね。ウィーンで部屋を借りて暮らすようになって、考え事をしたり、これまでの人生を振り返ったりする時間が増えたんですね。それまで忘れていたことを思い出したり、蓋をして見ないようにしていたことと向き合ったり。そうしているうちに曲を作ることは、自分のなかに行き所のない感情が溢れたときの発散の手段になるんだと気づいて。なので、当時の曲はほとんど、姉へのレクイエムのようなものでした。

それまでずっとクラシックの世界にいたので、自分が演奏するのはあくまでも作品を再現するための手段だったんです。作曲家に敬意を払いながら、作品について自分なりに理解して、作曲家が求めているものを音として具現化する。だけど〈自分自身のことを表現していいんだ〉って気づいて、それまでとはまったく違う音楽との向き合い方を手に入れたというか、新しい世界が始まった感じがしました。

それは今回の『See-through』というアルバムのテーマにも繋がっているんです。タイトルの〈見通す〉〈透かし見る〉というのは、私自身の内側の奥の方から生まれるものに寄り添うということでもあって。そういう音楽を聴いていると、やっぱり感情が景色として浮かんでくるように思うんですね」

――なるほど、作曲家の作品を解釈して聴衆に届ける役割から、演奏家自身が主体となって音楽を生み出す、というふうに考えが切り替わったと言えばいいでしょうか。ウィーンでは、そういった考え方をする演奏家が多かったのでしょうか?

「そうですね。いろんな音楽があるなかで、自発的にクラシックを選択して弾いている人が多くいるようには見えました。あとクラシックを演奏している人でも、並行して電子音楽を制作していたり、垣根がないなと思いましたね」

――他に日本と比べて大きなギャップを感じたことはありましたか?

「日本だとクラシックはやっぱり敷居が高かったり、あとジャンルとしてもクラシックが好きな人以外はあまり聴く気がないという傾向があるじゃないですか。けれど向こうはどの街にも地元のオーケストラがいて、ホーム・グラウンドのコンサート・ホールがある。みんな日常のなかで自分の街の音楽を聴きに行くという感じなんです。出演者のファンだから聴きに行くのではなくて、もっと自然に音楽と親しんでいるというか」

――クラシック音楽が地域に根差しているんですね。

「そう感じました。あと日本だとクラシック専用のホールを作って、そこでオーケストラが演奏しますけど、向こうはいたるところに教会があって、教会が演奏会場になっていて。教会って音がよく響くように作られているんです。天井が高いというのもありますけど、石造りも多いですし。それで、ヴァイオリンをはじめとした西洋楽器は、やっぱりこういう空間で演奏するためのものとして生まれたんだなって思いましたね」

――ちなみに留学中に体験したコンサートで、特に印象に残っているものはありますか?

「室内楽編成でポーランドやドイツへツアーに行くことがあったのですが、そこで一緒だったヴァイオリニストがたまたまチリー・ゴンザレスのカルテットのメンバーだったんですね。それもあってチリー・ゴンザレスのパリのコンサートを観に行ったらとても良くて、ウィーンに戻ってからもアルバムをずっと聴いていました」

――どの辺りに魅力を感じましたか?

「単純に音が好きというのもあるんですけど、アルバムで言うと『Solo Piano』(2004年)のシリーズがとても好きで。彼はエレクトロとかヒップホップを作ったり、プロデュース業もやったりしていますけど、そういったバックグラウンドを持ちながら、『Solo Piano』ではあえてシンプルな生音のピアノを演奏したというのがとても刺激的でした。これからの時代、あえてフィジカルなものを選んで演奏することには価値があると思いますし、自分が弦楽器を弾くうえでもそうしていきたいなと」

――留学を終えて帰国してからは主にどういった活動をされていましたか?

「ウィーンに行く前とは違う活動をしたかったので、それまでやっていたようなクラシックのオーケストラの仕事に戻ることはありませんでした。帰国したのは2013年なのですが、その後も留学中と同じく部屋に閉じこもって音楽を作って録音するという生活が続いていました」