©Macoto Fukuda

悠然としてゆるぎない響きで圧倒する、ウードの第一人者による15年ぶりのソロアルバム

 古楽でおなじみの弦楽器リュートは、中東から伝わったウードがヨーロッパで変化したものだ。たとえばスペイン語ではリュートのことをラウー(laud)と呼ぶが、名前からしてウード(ud)にスペイン語の冠詞ラ(la)がついたものだ。ヨーロッパ化する過程でネックにフレットがつき、調弦方法も西洋音階風に変わった。

 一方、ウードはいまも中東を中心に世界各地で弾かれている。演奏に半音の半音にあたるような微分音が使われるので、西洋音階しか知らない人には音程が外れて聞こえるかもしれない。しかし耳が慣れてくると、その微妙な響きを通して人の世の憂いや喜びから宇宙の神秘までが伝わってくるような気がするから不思議だ。

 常味裕司は80年代にウードと出会い、チュニジアに留学してアリ・スリティ師の門を叩き、西アジアや北アフリカ各地で研鑽を積んだ。ウードの第一人者としてジャンルの境界を超えたセッションも多い。『アル=ウジュード(存在)』はグループ名義ファルハの『タリーク・道』から数えて12年ぶり、ソロでは『光輝く街』から15年ぶりのアルバムだ。

常味裕司 『アル=ウジュード(存在)Oud Solo』 ALWAN(2021)

 師から譲られた楽器の修理に7年かかったという話もそうだが、彼のウードの響きは悠然としてゆるぎない。4台のウードを取りかえて演奏されるのは、シリア、イラク、チュニジア、トルコの曲と、中東音楽の各種のマカーム(旋法)に則った自作のタクスィーム(即興演奏)。即興演奏といっても選び抜かれたフレーズによる構成感ある作品に近い。アラブ音楽の影響を受けたフラメンコのそのまた影響を受けて旋法的な即興を行なったマイルス・デイヴィスも、異なる楽器で同じような試みをしていたのだろう。

 静かな思索的な演奏もあれば、2人で弾いているのかと思うくらい華麗な演奏もある。AIやDXに熱中するのもけっこうだが、身体にたまった静電気を消すことを忘れていないか――低い微分音がそう語りかけてくるようにも聞こえる。共同プロデューサーは和田啓。ボーナス・トラックでは彼も参加してレク(小型のタンバリン)で繊細なリズムを刻んでいる。