マーク・スチュワートが2023年4月21日の未明に死去したことが、彼のTwitterアカウントなどで発表された。

コメントには、〈マークは愛の交わりの中にいる。スーフィズム(イスラム神秘主義)の言葉にあるように、死というものは存在しない、誰も死にはしない、しかし死はとても価値のあるもので、それは恐怖という金庫の中に隠されてきたのだ〉とある。〈マークの家族と友人たちは、この困難な時に(対処するための)時間を頂きたいと、謹んでお願いしている〉ともある。

ミュートの創設者であるダニエル・ミラーは、〈マークとは40年来の友人で旅の仲間だった〉〈彼の音楽的な影響は知られているよりもずっと大きいもの〉〈彼は特に地元ブリストルの若いアーティストたちを励ましてきた〉などと綴っている。ポップ・グループやリップ・リグ&パニックのメンバーであるギャレス・セイガーは、〈マークは私の世代において最も素晴らしい心の持ち主だった〉と述べている。また、エイドリアン・シャーウッドのコメントには〈兄弟よ、ありがとう。君は私の人生に最大の音楽的な影響をもたらした〉とある。

マーク・スチュワートは60年、英ブリストル生まれ。77年に10代でポップ・グループを結成し、79年にシングル“She Is Beyond Good And Evil”でデビューした。同79年にはファーストアルバム『Y』を発表し、パンク、ファンク、フリージャズ、レゲエ/ダブ、前衛音楽などを溶け合わせたポストパンクサウンドとラディカルな政治的主張を展開して注目を集めた。

ポップ・グループは、80年にセカンドアルバム『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』をリリースしたが、81年に解散。メンバーはその後、リップ・リグ&パニックやマキシマム・ジョイ、ピッグバッグなどで活動した。

マークは、ポップ・グループで活動していた頃からOn-Uサウンドのダブコレクティブ、ニュー・エイジ・ステッパーズに参加しており、バンドの解散後は〈マーク・スチュワート&ザ・マフィア〉としてEP『Jerusalem』とアルバム『Learning To Cope With Cowardice』をOn-Uから発表した。85年のセカンドアルバム『As The Veneer Of Democracy Starts To Fade』からは、ミュートでのリリースになっている。

以降もソロアルバムの散発的なリリースや後進のアーティストたちとの交流を行っていたが、2010年にポップ・グループを再結成し、2015年にサードアルバム『Citizen Zombie』を、2016年に4作目『Honeymoon On Mars』をリリースした。

マークは2022年4月、多数のアーティストとコラボレーションした『VS』をリリースしている。同作が、残念ながら彼の遺作になった。

ポップ・グループの『Y』は、リリース当時はセールス的には成功しなかったが、批評的に高い評価を得た伝説的なアルバムだ。96年に初めてCD化されて再び注目を集め、2019年には発表から40周年を記念した3枚組のディフィニティブエディションがリリースされている。またセカンドアルバムは長らく廃盤状態だったが、2016年に“One Out Of Many”が“We Are All Prostitutes”に差し替えられてリイシューされ、大きな話題になった。

ザ・マフィアやソロでの創作におけるヒップホップやエレクトロニックミュージックへのアプローチなど、マークの音楽の混沌としたジャンル混交性には唯一無二のものがあった。また、彼のラディカルレフトな姿勢には一貫したものがあり、その音と言葉が古びないのは、彼が攻撃しつづけてきた資本主義や植民地主義がいまだに大きな問題として世界の人々にのしかかっているからだろう。

そういった彼の表現が集約されていたのが、あの不穏で不機嫌で甲高い歌声だったのではないだろうか。マークの声が真ん中で鳴り響いていたからこそ、ポップ・グループやザ・マフィアの音楽は奇妙で異様な緊張感をはらんでいた。

その後のトリップホップやエレクトロニックミュージックに代表されるブリストルサウンドへの影響はもとより、日本での支持が厚かった彼の音楽は、たとえばナンバーガール/ZAZEN BOYSの向井秀徳などに大きな影響を及ぼしている。そういった点でも、非常に重要な音楽家だった。

最期まで常にアクチュアルなアーティストだったマーク・スチュワート。今は愛の交わりの中にいる彼の冥福を心から祈りたい。