今に向けられていた過去と出会う〈夢の箱〉
ニュー・アルバム『ドリーム・ボックス』を語る

 パット・メセニーの新しいアルバム作品を聴く。

 世界各地で約160回もの公演をツアーした2022年に、パソコンの〈ドライヴの中に忘れられていたフォルダ〉に眠っていたプライベートな録音群の中からよりすぐったテイク集だ。しかしながら、彼自身が「先立つハーモニック(和声的)なパート」と説明しているベーシックなトラックの方にも、「メロディックで即興的な素材」から成るセカンド・トラック(補足すると、この場合は、録音順が2番目、ということなのでいわゆる伴奏の役割としての〈セカンド・ギター〉のような意味にはとらえないでほしい)と同じくらい充実したストーリーが感じられる演奏だ。

 繰り返し耳を傾けると、音楽の細部が理解されてくるにつれて時間的な質量を感じなくなってくる、そんな不思議な体験をした。

PAT METHENY 『Dream Box』 Modern/ワーナー(2023)

 「自分にとっても、いくつかの点でこれまでとは違う変わったアルバムだったんだ。これまでにも何枚か〈弾いているのは僕一人〉というアルバムは色々作ってきた。『ニュー・シャトークァ』(ECM)、『ゼロ・トレランス・フォー・サイレンス』(Geffen)、『オーケストリオン』(Nonesuch)、『ホワッツ・イット・オール・アバウト』(Nonesuch)、『ワン・クワイエット・ナイト』(Warner Bros.)……これらはソロ・アルバムと呼んでいいと思うんだ。つまり〈いるのは僕一人だけ〉というアルバム。今回のアルバムもその一つだ。でも奇妙な点が二つあってね。一つには自分自身、アルバムを作っているという意識がまるでなかったこと。これらの曲はコンピュータに入っているファイルを聴き返している時に、偶然見つけたものであって、正直言うと録音したこと自体、ほとんど覚えていなかった。もう一つは、エレクトリック・ギターをアコースティック・ギターのように静かに弾くにはどうしたらいいか、という難しい命題さ。僕は生涯かけてそれに取り組んでいるようなものだ。そもそもエレクトリック・ギターとはなんなのか……。アンプと磁気ピックアップを用いて演奏することにはメリットがあると同時に、チャレンジを伴う要素もある。僕はそういったことをあまり考えすぎることなく、50年近く続けてきた。その過程で、偶然発見したことの証がこのアルバムなんだと思う。しかもあえて努力せずとも、ただそうなったというだけ。そんなアルバムが世に出たことをとても嬉しく思うよ。僕の何たるかの一部を埋めてくれるものだと思うから」

 1曲目“The Waves Are Not The Ocean”でのメロディ・パートのピッキング――言語で言うところの子音――のニュアンスのバラエティやカラフルさが息をのむほどに美しい。旋律を紡ぐことへの想いとは……。

 「例えば、ミュージシャンを探す時、僕が苦労するのはメロディを弾ける人間を探すことにある。すごく派手に速くクールに弾ける人間なら簡単に見つかるけど、僕の関心は、そういうことよりは、いかに効果的に弾けるか。そのためにはすごくシンプルに弾くことが必要だったりする。もちろん(音楽的な情報の)複雑なこと、僕も好きだよ。でも大切なのはいかにメロディを弾き、表現するか。それが僕にとっての一番のミッションなんだ」

 アルバムには3曲(日本盤では4曲)の、パット作ではないスタンダード作品が取り上げられている。確かにそれらの演奏にも、原曲のテーマ、そしてインプロヴァイズされるメロディをいかにして構築された物語へと発展させていくのか、という明晰で荘厳な意志を感じる。

 「“Morning Of The Carnival”は、僕がギターを弾き始めたごく初期の頃から弾いていた曲の一つだと思うんだ。アルバムにはスタンダード曲が何曲か入っている。フォルダにそんな曲が入っていた理由は、おそらく新しいギターを手に入れ、どんな音がするのかを試したくて弾いたからじゃないかと思う。そういう時って、〈とりあえず知っている曲を弾いてみよう〉と思うものだ。あまり考えないで、そのギターのサウンドだけに集中できるから。“I Fall In Love Too Easily”も同じケースだったと思う。〈このギターはどんな音なのかな?〉と知りたくて弾いたスタンダードということさ。何をするにしても、何かをやる時ってあまり考えずにやる方が、そうじゃない時より良い結果が出せたりする。このアルバムは、僕が何もしようとしなかった結果に生まれたものなんだよ(笑)」

 “I Fall In Love Too Easily”のソロ・パートの最初の部分、最初にレコーディングしたパートと、ダビングで加えたアドリブ・パートが、対話しているようでもあり、それらの構成ははじめから意図されていたのだろうか?と質問すると、そうではなくてもっと根源的なインプロヴァイザーとしての閃きが基になっているようだ。

 「今回はアルバム全部が基本、コード・パートをまず弾き、その上にメロディと即興パートを加えるという形でできている。それは僕がファースト・アルバム(『Bright Size Life』)の“Unitiy Village”でとったのと同じ手法だった。その当時は変わったやり方だったけど、今や東京の街のそこらじゅうに、ループ・ペダルを用いて、今僕が話していることを実践しているギタリストがいるはずさ。インプロヴァイズしている時というのは、ソースが何かというのはどうでもよくて、なんであれ、僕はそれに反応しているだけ。さらには、〈こうしよう〉〈ああしよう〉と考えて意図したとも言えない。だって、正直どれ一つとして弾いた覚えがないんだもの(笑)。なので、ファースト・トラックで何かを弾く僕と、(セカンド・トラックで)別のパートを弾く僕が、違う人間として反応しあう、というのはごく自然なことなんだ。というか、実際、5分前の僕は今とは違う自分だからね」

 バリトン・ギターでファースト・トラックを演奏した“From The Mountains”と“Ole & Gard”では、それぞれのバリトン・ギター・パートのキャラクターが少し異なって聴こえる。“From The Mountains”のバリトン・ギターは前半が『ワン・クワイエット・ナイト』のようなソリスティックなセクションで、その上にある息の長いメロディのフレーズとカウンター・ポイントになっているようでもある。

 「あの曲のバリトン・ギターと『ワン・クワイエット・ナイト』の関連性に気づいてくれたことに、ボーナスポイントを送りたい! それを指摘したのは君が初めてだよ。僕は作曲のほとんどをピアノで行う。“From The Mountains”はピアノで書き、バリトン・ギターに合うと思えるキーだったんだ。それであの最初の伴奏パートをバリトンで弾いているんだよ。“From The Mountains”があるから、今回のアルバムができた……と言っていいほどだ。最初に(パソコンのフォルダの中に)あのトラックを見つけた時、50回は聴き直した。〈これはなんだ? いつ僕はこれを弾いたんだろう?〉と訳がわからなかった。まるでパズル。そして思い出した。ギタリスト/シンガーのジョン・ピザレリとはとても親しいんだが、彼の両親が1週間足らずの間に二人とも亡くなるという、とても痛ましいことが起きた。コロナ禍の期間にね。知らせを聞いてあの曲を書き、ジョンに送ったことを思い出したんだ。ジョンも僕も、今はアップステート(ニューヨーク)の山の中に暮らしている。それで“From The Mountains”なんだ」

 ジョン・ピザレリはコロナ期間中にギター・ソロでのパット作品のカヴァー集を発表してもいる。

「ああ、あれはとても嬉しかったよ」