エレクトリカル・オーディオのInstagramより

スティーヴ・アルビニが死去した。

スティーヴ・アルビニが亡くなったことは、彼が設立した米シカゴのレコーディングスタジオ、エレクトリカル・オーディオのオフィシャルサイトで発表された。アルビニは2024年5月7日に亡くなり、スタジオのスタッフであるテイラー・ヘイルズにニューヨーク・タイムズが確認したことによると、死因は心臓発作。61歳だった。

スティーヴ・アルビニは62年、米カリフォルニア生まれのミュージシャン/プロデューサー/エンジニア。高校時代にベースの演奏を始めてバンドでプレイし、大学時代はジャーナリズムを学び、ライターとしてローカルなパンクZINEの制作もおこなっていた。

81年、大学在学中にビッグ・ブラックを結成し、84年にデビュー。日本の漫画「THE レイプマン」をジャケットにあしらったセカンドアルバム『Songs About Fucking』(87年)をタッチ・アンド・ゴーからリリースしたが、メンバーがロースクールへ入学するために解散。ビッグ・ブラックが解散した87年にはレイプマンを結成し、89年まで活動した。

92年には、シェラックを結成。2015年には来日公演をおこない、現在まで活動を続けていた。来週5月17日(金)にニューアルバム『To All Trains』の発表を控えていた中で、アルビニは亡くなってしまった。

アルビニといえば、やはりプロデューサーやエンジニアとして知られている。部屋鳴りなどを活かした刺々しくドライな質感のドラムやギターのサウンドは、まさに唯一無二だった。

エンジニアとしては80年代から活動を始め、ピクシーズ『Surfer Rosa』(88年)、ザ・ジーザス・リザード『Goat』(91年)、PJ・ハーヴェイ『Rid Of Me』(93年)、ニルヴァーナ『In Utero』(93年)など、90年代のオルタナティブロックの名盤の数々を録音。一方でヘルメットやドン・キャバレロ、ガスター・デル・ソルといったポストハードコアからポストロックへと至るバンドも手がけ、シカゴのインディシーンへの貢献でも知られた。さらに日本のZENI GEVAやMELT-BANANA、54-71、MONO、GEZAN、CRYAMYなどの作品も録音している(なお、アルビニはポーカーの名手としても名を馳せた)。

現在に至るまで、日本を含む世界のオルタナティブロック、グランジ、インディロック、メタルのバンドに影響を与え、独自のサウンドで音楽家をインスパイアしてきたアルビニ。彼がいなければ80~90年代のあの特徴的なサウンドはなかっただろうし、オルタナティブロックやグランジといった音楽があれほど発展し盛り上がることもなかったかもしれない。

その早すぎる死に言葉を失うが、今はただ彼の冥福を祈りたい。