イタリアのシチリア島カターニャに生まれたピアニスト、クリスチャン・レオッタは34歳の現在までに2度、ベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタ全てを録音している。「もっとも2002~05年に行った最初の録音には自分が納得できず、発売を許可しなかった」。カナダのアトマ・クラシック社が07~12年に録音し、キング・インターナショナルが日本に輸入している全10枚(2枚組ずつ5巻の分売)の全集には「最初の市販盤ながら、10数年かけて練り上げ、変貌させてきた解釈が漏れなく収められている」と、レオッタは自負する。
全体を貫く解釈の基本は「慌てず騒がず、すべての声部を克明に浮かび上がらせ、ベートーヴェンの豊かな歌心を強靭なリズム、確かなテクニックの支えで最大限に伝える」姿勢だ。「クラウディオ・アラウの演奏を思い出した」と告げた途端、レオッタの饒舌さが増した。「アラウこそ、私にとって最も偉大な神話。どの作品を聴いても、いつも幸せな気分になる」と、喜ぶだけではなかった。「アラウの時代に比べ、今日の音楽界は極端に悪い方向へ進んだ」と嘆きだした。
「現在のクラシック音楽はポップミュージックに近づき、演奏家が自分を見せびらかし、インスタントな成功を求めている。本来は音楽が第一で、演奏家は作曲家のために存在する。ショウビジネスの発想が芸術の多くの部分を破壊し、音楽をただの“文化的ノイズ”に堕落させた。パブリシティや広告の費用のためにスポンサー探しに血眼となり、音楽よりもサバイバルに演奏家の関心が向かっている」。同様に、イタリアの先輩にあたるマウリツィオ・ポリーニらの世代が担った“完璧神話”にも、批判の刃を向ける。「完璧とは、一つもミスタッチをせずにオクターブを弾くことではない。豊かな教養と温かな心、磨き抜かれた感覚のすべてをつぎ込んで美しい音楽のラインを描き、人々を良い気分へと導くことこそ、真の完璧である」と力説する。
正統だが、いささか古風に響く価値観はレオッタが受けた教育に起因する。20世紀前半の大ピアニスト、アルトゥール・シュナーベルを父に持つカール・ウルリヒ・シュナーベル、チェンバロの大家だったロザリン・テュレック、さらにレオン・フライシャーと「古き良き時代」最後の教師たちに師事し「メカニカルでブリリアント、万事に猛スピード」の対極にある「よりソフトに、ゆっくりと弾く」奏法を身につけた。レオッタはベートーヴェンを弾くたび、自らに問いかける。「真のアダージョが弾けているか?」と。
来年には同じベートーヴェンの「ディアベッリの主題による33の変奏曲」を録音する予定だ。