FUNKSTATIC JOURNEY OF JAAAAAMES BROOOOWWWWNNN!!!!!!!
[ 緊急ワイド ]いまひとたびの、ジェイムズ・ブラウン
その男が天に召されて早くも9年の歳月が飛び去っていった。それでも、いまだに彼を超えるスーパーバッドは登場していない。今回は話題の伝記映画の副読本として、ファンクの生命力とソウルの神通力を全身で鳴らしたJBの前進の歴史を、膨大な作品(の一部!)と共に追いかけてみよう!!!!!!!!!

 


 

JB HISTORY
太く長く生きたソウルのゴッドファーザー

 

 

(C)Universal Pictures (C)D Stevens
このページの画像はすべて「ジェームス・ブラウン ~最高の魂を持つ男~」より

 

 ジェイムズ・ブラウンを思う時、おばさんヘアを振り乱して汗だくで歌うゲロッパな姿はいまも支配的だろうか? 彼がこの世を去ったのは、2006年のクリスマスのことだ。もちろん、JBの訃報はここ日本においても一般的なニュースとしてお茶の間に流れるほどの大きな話題だったはずだし、そのイニシャルはいまなお他の誰かを連想させるには至っていない。ただ、9年の年月を思えば(そして、彼がいわゆるメインストリームの最前線におけるリアルタイムな存在でなくなってからさらに長い年月が経っていることを思えば)、もはや記号としてのJB像すら明確ではないリスナーも多いのかもしれない。だとしたら、あるいは好都合である。なぜなら、このたび公開される伝記映画「ジェームス・ブラウン ~最高の魂を持つ男~」で描かれているのは、そうした後世のイメージよりも遥かに若々しい時代の彼だからである。何ならスクリーンで躍動するチャドウィック・ボーズマンの姿をそのままJBだと認識されても構わないんじゃないか……と思ったりしないこともない。そして、そんなイメージを抱いたまま遺された作品の数々に触れてみれば、常にフレッシュなJBがそこにいることだろう。

 ジェイムズ・ジョセフ・ブラウンJrが生まれたのは、1933年5月3日。生年月日も出生地も諸説あるものの、生まれたのはサウスキャロライナ州バーンウェルとされている。86年に上梓された自伝「俺がJBだ! ジェームズ・ブラウン自叙伝」(ブルース・タッカーとの共著)によれば、非常に貧しかったうえに母親は家を去り、ジョージア州オーガスタに移り住んでからは、売春宿のような親類の家でギャンブルや密造酒に囲まれて育てられたという。幼い頃から兵隊の前で踊って小銭を受け取ったり、客引きや靴磨き、綿花詰みなどで家計を助けていたらしく、自分の道は自分で切り拓くという精神は育まれたのだろうか。16歳の時に車上荒らしの罪で有罪判決となり、48年にトコアの教護院に収容される。本人いわく模範囚として過ごした期間にジェイムズはゴスペルを歌って評判を集めるようになる。そこで塀ごしに出会った地元の少年が、ゴスペル・グループで活動していたボビー・バードだったのだ。

 件の映画は、その出会いから始まったジェイムズとボビーの友情を軸に描かれている。バード家の後ろ盾もあってジェイムズは条件付きで出所することになり、やがて2人は同じグループで活動していくことになった。ブラウンが加入したバードのグループ=エイヴォンズは世俗音楽のリズム&ブルースに踏み出し、フェイマス・フレイムズと改名。キングと契約を結んで、56年にデビュー・シングル“Please, Please, Please”をリリースしている。

 それからの出来事は映画でも紹介されていることだし、何よりアルバムなどさまざまな音源で雄弁に語られている通りだ。いまとなっては普通のもののようにも思えるサウンド変革の歴史は、ジョージ・クリントンミック・ジャガーマイケル・ジャクソンプリンスらによる継承劇をつらつら綴るまでもなく、先だってのマーク・ロンソン&ミスティカルの“Feel Right”に至るまで、さまざまな音楽のなかに宿され続けている。

 ただ、友情物語を軸にした物語の性質上もあってか、映画ではJBの持ち合わせた複雑さに踏み込むことはしない。スマートな平等意識の高さや規律を重んじたバンドの統制と裏返しにある暴君のような表情、女性への敬意と独自のモラルに基づく公私ごっちゃな恋愛事情、ドラッグにまつわる問題などなど、本人が自伝である程度述べている部分もあるのだが、確かにそれらの矛盾を孕んだ人間性や常人ならざるヴァイタリティーの表れをあれこれ劇中に投げ込んでみても、〈メチャクチャだった人〉で終わってしまいそうだ(実際にメチャクチャな人だったのだろうが)。それでも、グチャグチャな部分にこそJBの率直な喜怒哀楽が表れているのは間違いない。

 

 

(C)Universal Pictures (C)D Stevens

 

 “Say It Loud -I'm Black And I'm Proud”(68年)がいわゆる〈ブラック・パワー〉の急進的なスローガンとして解釈されそうになった後、JBが発表したのは“I Don't Want Nobody To Give Me Nothing(Open Up The Door, I'll Get It Myself)”(69年)だった。〈恵んでほしいんじゃない、扉を開けてくれれば自分で手に入れる〉――幼い頃から自立心を否応なく育まされ、人種を超えた機会均等だけを望んできた彼らしさがもっともよく表れた曲名だと思うが、そのスタンスは60年代末~70年代の社会不安に対してメッセージを投じる新しいアーティストと比べれば、古い理想主義者のように映ったかもしれない。〈ザ・芸能人〉のような姿が若い世代を失望させたこともあるだろう。ただ、エンターテイメントに徹したからこそ見えたものがあり、ただ歌って吠えて踊り続けたからこそ成し遂げられたものがあるのも確かなのだ。

 ディスコ・ブームに煽られて失速した70年代後半を経て、JBは80年に映画「ブルース・ブラザース」に出演。84年にはアフリカ・バンバータの誘いに応じて“Unity”を発表した。85年に映画「ロッキー4/炎の友情」への出演とパフォーマンスで表舞台に返り咲き、翌年には〈ロックの殿堂入り〉を果たしている。映画の冒頭で描かれる事件を引き起こしたのは、フル・フォースにプロデュースを仰いで見事に復権した快作『I'm Real』(88年)のリリース後だった。それ以降の場面が描かれないのは彼が神棚から降りてこないレジェンドになったことを意味するようでもあるが、生涯現役でツアーを続けたのは、〈JB〉の本分を彼自身が熟知していたことの証明でもある。そのうえで遺された作品の数々に触れれば、JBの本質が常にそこに生き続けていることに改めて気付くのではないだろうか。

 

 

(C)Universal Pictures (C)D Stevens 

 

 


 

「ジェームス・ブラウン ~最高の魂を持つ男~」

 

(C)Universal Pictures (C)D Stevens

 

 JBとは浅からぬ縁のあるローリング・ストーンズミック・ジャガーがプロデューサーのひとりに名を連ね、「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」(2011年)のテイト・テイラーが監督を務めた、今回の「ジェームス・ブラウン ~最高の魂を持つ男~」。JBに扮する主演のチャドウィック・ボーズマンは、初の黒人メジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンを演じた「42~世界を変えた男~」(2013年)で高く評価された人気俳優だ。JBを演じるにあたって習得したステージ・パフォーマンスは必見だろう。

 また、JBの二番目の妻にあたるディーディー・ブラウンをあのジル・スコットが演じているのも注目のポイント。それよりも出番はもちろん少ないものの、バンド・メンバーのピー・ウィー・エリス役をタリク・トロッタールーツブラック・ソート)が、ナフロイド・スコット役をアロー・ブラックが演じていたりもする。JB世界の住人という意味では、ビジネス・パートナーのベン・バートに「ブルース・ブラザース」のダン・エイクロイドが扮しているのもおもしろい。

JAMES BROWN Get On Up: The James Brown Story Polydor/ユニバーサル(2014)

 ちなみに本国公開の昨年にリリースされていたサントラもこのたび日本盤で登場したばかり。新録の演奏などを追加しつつ違和感のない音源のトリートメントに腐心したのは、「ドリームガールズ」(2006年)の音楽を担当したアンダードッグズ。こうした情報からだけでも、音楽ファンなら観る価値はあると言えそうだ。 *bounce編集部

【監督】テイト・テイラー
【脚本】ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース
【製作】ブライアン・グレイザー、ミック・ジャガー、ヴィクトリア・ビアマンエリカ・ハギンズ、テイト・テイラー
【音楽製作総指揮】ミック・ジャガー
【新録プロデュース&アレンジ】アンダードッグズ

【出演】チャドウィック・ボーズマン(ジェームス・ブラウン)、ネルサン・エリス(ボビー・バード)、ダン・エイクロイド(ベン・バート)、ヴィオラ・デイヴィススージー・ブラウン)、オクタヴィア・スペンサー(ハニーおばさん)、ティカ・サンプターイヴォンヌ・フェア)、ジル・スコット(ディーディー・ブラウン)、タリク・トロッター(ピー・ウィー・エリス)、アロー・ブラック(ナフロイド・スコット)他 

5月30日より全国公開(配給:シンカ/パルコ) 

 

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