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ザップ来日&〈ファンク〉再燃の好機に過去作が大挙リイシュー、永遠不滅のロジャー・トラウトマン仕事を振り返る

【IN THE SHADOW OF SOUL:ソウル・ミュージックの光と影】[第84回]気分はザッピー Pt.1

ザップが何と〈サマソニ〉にやってきた……時代が巡り巡って〈ファンク〉がある種のトレンドとなっている昨今、この好機に過去作の大挙リイシューも重なって……永遠不滅のロジャー・ワークスを改めて振り返るのに、絶好の季節が訪れた!

  生きていれば、いまも各方面から引っ張りダコだったに違いない。80年代の幕開けと同時に、実弟テリーのニックネームから命名した〈ザップ〉のフロントマンとして頭角を現し、サンプリングを通して再評価熱が高まった90年代にはR&B/ヒップホップ作品への数々の客演でふたたび黄金期を迎えたロジャー・トラウトマン。1951年11月29日にオハイオ州ハミルトンで生まれ、99年4月25日、同じザップのメンバーであった実兄ラリーとの諍いにより、47歳の若さでこの世を去ったロジャーだが、彼を讃える声は、いまだ止むことがない。

 主な功績として語られるのは、スライ・ストーンスティーヴィー・ワンダーピーター・フランプトンらによる使用で知られていたもののマイナーな存在だった変声エフェクター=トークボックスを、サン(同郷のファンク・バンド)の作品での演奏を機に商売道具とし、世に広めた男としてのそれだろう。チューブを咥えて、時に哀愁を滲ませながら甘くソウルフルな歌心を表出したパフォーマンス。本誌「bounce」の誌名にも引用されたザップの初ヒット“More Bounce To The Ounce”(80年)は全編でトークボックスを使用した画期的な曲で、そんな彼のパフォーマンスが後にテディ・ライリーDJクイックらを刺激し、T・ペイン以降のオートチューン使いにまで影響を及ぼしたことは衆知の通りだ。

【参考動画】ザップの80年作『Zapp』収録曲“More Bounce To The Ounce”

 

 が、10代前半からリル・ロジャー&ヒズ・ファビュラス・ヴェルズというバンドで活動していたロジャーは、トークボックスの巧みな使い手である前にギターの名手として知られていた。彼は、ザップ以前に兄弟と組んでいたロジャー&ザ・ヒューマン・ボディにて、ベース、キーボード、フルート、パーカッションなども操っていたマルチ奏者であったが、同グループの自主制作盤に〈25年の人生のうち22年間ギターを弾き続けてきた〉とコメントを寄せているように、ギターこそが愛器だったのだ。ザップ結成後も、“A Touch Of Jazz(Playin' Kinda Ruff Part II)”などでのウェス・モンゴメリージョージ・ベンソン風(オクターブ奏法)ジャズ・ギターを売りとしたように、ギタリストとしての側面は、ブルース・ハープのスキルとともに、もっと強調されてもいい事実なのかもしれない。

【参考音源】ザップの82年作『Zapp II』収録曲“A Touch Of Jazz(Playin' Kinda Ruff Part II)”

 

 そして、何より評価されるべきは、黒人音楽に対する造詣の深さとリスペクト精神だろう。オハイオ・プレイヤーズブーツィー・コリンズといった地元オハイオのファンカーたちの流れを汲む骨太なファンク・グルーヴをベースに、ソウル、ブルース、ジャズ、ゴスペル、ヒップホップを有機的に結びつけ、一級のエンターテイメントへと昇華したセンス。ユニークな名曲カヴァーも含め、黒人音楽の伝統に忠実でありながら前人未踏の域に踏み込んでいったロジャーこそ〈ブラック・ミュージック〉そのものと言っていい。ザップ軍団の総帥としてファミリーを束ね、プロデューサーとして大成できたのも、そんな類稀で奇抜なセンスを持ち合わせていたからに他ならない。そうして帝国を築き上げていくオーガナイザーとしてのやり口は、彼がカヴァーで愛着を示したジェイムズ・ブラウンや、ザップのデビューをブーツィーキャットフィッシュのコリンズ兄弟とともに後押ししたジョージ・クリントンといった先達に倣うものであり、ワーナーにおける先輩にして同僚のプリンスに通じるものでもあった。

 メジャー・デビュー後は、ジョージ・クリントンのもとを離れてオハイオ州デイトンに本拠を構え、トラウトマン兄弟をコア・メンバーとしたザップの活動と並行しながらソロ作もリリースしていったロジャー。加えて、ディック・スミスニュー・ホライズンズボビー・グローヴァーヒューマン・ボディシャーリー・マードックといったザップ軍団に名を連ねる面々のリーダー作をプロデュースし、オハイオ・プレイヤーズのシュガーフットや息子リンチのソロ作も手掛けていく。80年代のロジャーは、JBよろしく〈The Hardest Working Man in Show Business〉な男だった。

 90年代には、オリジナル・アルバムとしてはソロ作を一枚残したのみだが、ザップ&ロジャー名義で“Slow And Easy”も出したし、H・タウンのような若手とのコラボでも名曲を世に放った。ロジャー亡き後は、その遺志を受け継いで活動を続ける新生ザップ(ミニ・アルバムながら13年ぶりの新作も登場予定)や甥のルーファス、それにウィンフリーフィンガズといったトークボクサーたちの作品で在りし日のロジャーが思い出されるといった具合。常に後継者が現れるロジャーの魂は永遠に生き続け、その芸は死してなおトレンディーであり続けているのだ。

【参考動画】ザップ&ロジャーの93年のシングル“Slow And Easy”

 

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