「女性と能」、「能と現代音楽」~表現の世界に挑戦し続ける能アーティスト
日本の能と現代音楽を融合した新しい芸術を創造しようと、世界の作曲家たちに活発に新作を委嘱する、前例のない領域の活動を展開しているのが「能アーティスト」の青木涼子だ。伝統的な能の世界には属さずに、完全に現代音楽のフィールドで活動している。
能と音楽のコラボレーション自体がこれまでになかったわけではないが、その多くは能の「舞」の要素をフィーチャーして、舞踊としての能に着目する試み。しかし本来は「謡(うたい)」と「舞」が一体で能であるはずだ。青木の活動の新しさは、この能本来の姿と現実の需要とが食い違っていることに疑問を抱いたところから出発している。
青木は能の家に生まれ育ったわけではない。中学2年の時にテレビで見た能に惹かれて、近所の教室で能を習い始めた。やがて進学した東京藝術大学の邦楽科で、最初にこの疑問に突き当たる。作曲科の学生の書いたオペラに声楽科や美術学部の学生とともに参加したが、「音楽に合わせて舞ってください」というような注文ばかり。青木は言う。
「能で何か新しい舞台作品を作るためには、謡のところに新しい音楽を作っていかなれければならないのだと感じました。しかし一方で、今までそれがやられてこなかったということは、やっぱり難しいんだろうなということも理解できました。箏や尺八などの邦楽器に書かれた現代音楽はたくさんあるのに、能には書かれてこなかった。それは音楽構造が違いすぎるからなんです。私たちはピッチ(音程)も要求されないし、リズムも、私たちの側での規則はあっても、西洋音楽の側から見るとアバウトに見えてしまうのです」
何か新しいことをやりたいと思いながらも、どうすればよいかわからぬまま大学院まで終え、ロンドン大学に留学して“女性と能”の研究テーマで博士号を取得した。このまま研究者になるのかなとも漠然と考えていた2007年、彼女に転機が訪れる。湯浅譲二が謡と室内楽のために書いた《雪は降る》という旧作の復活上演に呼ばれたことだった。
「1972年の作品ですが、初演以来ずっと演奏されていない、埋もれた作品でした。初演の時には録音テープで流していた謡の部分を、私がライヴでうたいました。もともとがテープなので、本当の意味で楽器とアンサンブルするように書かれていたわけではありません。でも、謡を音楽として扱った現代作品があることを知って、『この方向を突き詰めていけばなにかできるのではないか』と初めて思いました」(青木)
これがスタートとなった。作曲家・細川俊夫の協力を得て、武生国際音楽祭に参加するなどして出会った国内外の作曲家たちに、謡のための新作を委嘱し始めた。
能になじみのない海外の作曲家に謡の語法を理解してもらうのは難しいのではないかとも思えるが、そうではないらしい。
「逆に日本人の作曲家のほうが能を聖域視するのか、新しいものを作曲するのではなく、古典の能の素材を流用したような曲を書く人が多かった。それだと面白くないわけですよ。切り込んでいけないから」(青木)
その点、しばられる伝統のない海外の作曲家たちのほうが発想が自由で、青木の声そのものを素材として扱った、彼ら自身の音楽を書いてきた。彼女にも予想できなかったような部分にスポットが当たり、新しい発見があった。それこそが彼女の望みだった。“新しい能”を作るのではなく、作曲家たちの書いた音楽の一部に自分がいること。そんな前例が積み重なるのを見て、最近は日本人作曲家も新しいものを書いてくれるようになってきたという。
青木は今年、文化庁の〈文化交流使〉に任命されている。これは、日本文化の理解につながる活動や、海外とのネットワークを形成・強化する活動を展開する人材を海外へ派遣する制度。2003年から始まり、これまでに音楽家や作家、俳優、棋士、伝統工芸職人など実にさまざまなジャンルの人材が選ばれてきた。青木はこの活動ため、6~8月にアイルランド3都市とパリ、ベルリンを、そしてちょうどこの記事が掲載される9~11月にブダペストとケルンを訪れている。
「大きなイヴェントができる予算ではないので、現地の国際交流基金や大使館に協力してもらいながらやっていかなければなりません。それなら小さなコンサートを開くよりもインパクトがあるだろうと考えて、今後作品を書いてもらおうと考えている作曲家を招いて公開プレゼンテーションする機会にしました。現地の奏者と一緒に小さな編成で数曲演奏してデモンストレーションしたあと、招待した作曲家と対談するという企画です。パリではパスカル・デュサパンに来てもらって、フルートのマリオ・カローリとデュオで演奏しました。パリはやはり現代音楽が盛んで、彼らの仲間の現代音楽関係者が一気に来てくれました。そのぶん緊張もしましたけど、話が早いというか、反応がよかったと思います。これからブダペストでペーテル・エトヴェシュに会って、ケルンでは細川俊夫さんに来ていただくことになっています」(青木)
2016年の春にはパリで能オペラ(Nopera)《AOI 葵上》を世界初演する。フランスで活躍する作曲家・馬場法子による新作だ。馬場はすでに青木のために、《共命之鳥》(2012)という、謡と二人の奏者のための作品も書いている。
「私の動作、たとえば扇をパンと開くという振りも細かく楽譜に書かれています。勝手に舞ってはいけない。そんな提案は意外でした。新しいし、面白かったですね」(青木)
馬場は能のすべての身振りを現代音楽の中で利用できるような新たな記譜法を研究しているという。青木にとっても頼もしいパートナーだろう。
新作《AOI 葵上》はそんな二人のコラボレーションの第2作となるモノオペラ。パリで最も古い現代音楽アンサンブル〈2e2m(ドゥゼ・ドゥエム)〉(1972年創立)のオファーによって実現した。生霊となって光源氏の妻・葵の上を苦しめる六条御息所の情念を描いた『源氏物語』のストーリーは、古典的な能の代表的演目《葵上》としても知られる。今回はこの能をベースに作曲者・馬場自身がテキストを書き起こした。もちろん青木はそれをうたい演じるわけだが、さらに注目されるのは、衣装に音が出る特別な仕掛けが施されていること。たとえば袖が擦れる衣擦れの音が、その仕掛けによって増幅される。青木の所作が直接“音”として表現され、通常では見過ごしてしまうような能の微細な動きが、音響を伴ってクローズアップされるわけだ。そして前作同様、その動きは演者の即興性や偶然性に委ねられるのではなく、スコアに精緻に書き込まれた指示によって、あらかじめ規定されている。
ヴィジュアルとしての衣装という概念を超えて、音楽にダイレクトにコミットする重要な役割を担う衣装デザインを手がけるのは、世界から注目を集めるファッション・ブランドwrittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)の山縣良和。
「山縣さんはかなりぶっとんだ人で、エッジの効いた『いまの東京』みたいなイメージがパリでもウケています。馬場さんのストイックな作風と山縣さんの爆発力が出会ったらきっと面白いはずだと思いました。彼自身も楽しんでくれているみたいで、いろんなアイディアを出してくれます。ブリキのおもちゃを付けたらいいんじゃないかとか。重そうですけど(笑)」(青木)
現代音楽でもファッションでも世界の先端都市であるパリで、日本の能のエッセンスがその両分野と融合する。わくわくするような挑戦だ。作品は全編で1時間弱だが、その前半部分20分ほどを抜粋した先行ハイライト上演が、今年12月に東京・富ヶ谷のHakuju Hallで行なわれる。美しき開拓者・青木涼子の現在位置を直に目撃する貴重なチャンス。
青木涼子(Ryoko Aoki)
能×現代音楽アーティスト。東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒業(観世流シテ方専攻)。同大学院音楽研究科修士課程修了。ロンドン大学博士課程修了。湯浅譲二、一柳慧、ペーテル・エトヴェシュ、細川俊夫など、世界の主要な作曲家と共同で、能と現代音楽の新たな試みを行っている。2010年より世界の作曲家に委嘱するシリーズNoh×Contemporary Musicを主催。日本だけでなくドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ハンガリー、アメリカの音楽祭に招待されパフォーマンスを行っている。
寄稿者プロフィール
宮本明(みやもと・あきら)
1961年東京生まれ。『レコード芸術』『音楽の友』編集部を経て2004年からフリー。音楽雑誌やWEB記事への寄稿、CDのライナーノーツやコンサート台本の執筆の一方、音楽関連書籍の編集者として活動。
LIVE INFORMATION
Noh×Contemporary Music ―細川俊夫氏を迎えて
○10/21(水)19:00開演 会場:ケルン日本文化会館(ドイツ)
能古典よりデモンストレーション/ストラティス・ミナカキス:Apoploys II ホメロス時代の破片/ヴァソス・ニコラウ:マクベス 5.1/細川俊夫:二つの日本民謡 より
アート×アート×アート<能×現代音楽×ファッション>
○12/14(月)19:00開演 会場:Hakuju Hall 白寿ホール (東京)
フェデリコ・ガルデッラ:風の声/ストラティス・ミナカキス:ApoploysⅡホメロス時代の破片/ヴァソス・ニコラウ:マクベス 5.1/馬場法子:《Nopera AOI葵上》より (世界初演)
出演:青木涼子(能)斎藤和志(フルート)池上英樹(打楽器)山縣良和(衣装)
ryokoaoki.net/