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89歳のピアノ教師シーモア・バーンスタインが教える、深い愛とこころざし
イーサン・ホークが初のドキュメンタリー作品に挑戦!

 原題は『Seymour Bernstein : an introduction』。

「イントロダクション」? 一体、何の? 邦題は、そういった問いを斟酌してだろう、「大人のための人生入門」としている。なるほど。ここにあるのは、たしかに、「大人」のもの、「大人」へのものだ。目先のことに追われず、いや、追われたとしても、それに疑問を抱いたり、疲れたり、ため息をついたり、そんな「大人」にこそ必要な。

 とてもパーソナルな語りを、多くの人に、不特定多数の人たちに伝えることも、映画の役割としてある。イーサン・ホークは、老齢の音楽家と出会った。自らの抱えていることを話した。その音楽家の語りが、ありようが、自分だけではなく、もっと広く、開かれたかたちで聴かれるべきだ、と考えた。そうして、音楽家は、人前で数十年ぶりにピアノを演奏する機会も得ることになる。

 音楽家はシーモア・バーンスタイン

 全篇に、この音楽家の演奏が、というより、演奏の断片が、ピアノにふれて発された音がちりばめられている。「曲」にはなっていないかもしれない。「曲」の全貌から遠いかもしれない。だが、それゆえに、映画を観ているもの、曲の断片を耳にしたものは、欲求が高まる。この音楽が、この演奏が、聴きたい、と。

 「私は孤独を糧にしている。独りの時間が不可欠だ。頭に浮かぶ考えをきちんと整理するために」

 「音楽でメジャーになるのを目指すのは健全なこととは思えない。メジャーになった仲間たちはひどく苦しんでいる。芸術家が目指す崇高な芸術と、大衆が喜ぶものとはあまりにもかけ離れている。その落差が激しすぎて芸術家はバランスがとれずにノイローゼになる」

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 いま、手元には、映画のプレス・リリースがある。そこには「シーモアの言葉」という見開き2ページがあり、ピアニストが語ったことばがいくつも記されている。上に引いたのはここに載っていないもの。

 映画にはいくつもマクシム(金言)と呼んでもいいようなことばがある。それらのことばは観るものの聴覚に(声として)届き、また字幕として視覚に届くが、どちらもすぐに消え去ってしまう。

 作家のアンドリュー・ハーヴェイはこんなふうに言う――「人々は意図的に外に目を向けさせられている。その方が御しやすい。なぜなら大衆を消費や成功やステータスの奴隷にできれば、思うまま操れるから。だから音楽が社会で果たす役割は大きい。音楽という芸術には最も神聖な力があるから」

 シーモアはこれをうけて、こうかえす――「音楽は我々に気づかせてくれる。金や成功ではなく、心の奥にある愛情や思いやり、そして本当の自分の姿を。音楽をすべての基準にすれば、何が本物かがわかる」

 たしかに音楽をめぐっての発言ではある。だがそれを音楽だけにとどめておくことはできない。いや、それだけならあまりにもったいない。だからこその「人生入門」なのだし、イーサン・ホークは自らのしごとの方向を、シーモアのことばに見いだしたのだ。音楽は、ここでは重要なキーになっているしひとつのメタファーだ。じゃあ、シーモアが音楽とつながっているあり方を、わたしたちはどれだけ自分に重ねることができるだろう? つまりは、それは映画を観ている、ことばを読み、聴いているあなたへの試金石にもなっているのではないか?

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 すべてのことばに首肯できるわけではない。ちょっと違うんじゃないか、とおもうところだってある。そうした違いがあってこそのシーモアであり、あなた、であり、わたし、だ。

 クラシック音楽のはなしだな、と短絡されては困る。マリア・カラスが、ビル・エヴァンスが、ビートルズが、チベット聲明の僧が、アフリカのミュージシャンが、ゴスペルのコーラスが、瞬間的に映像としてモンタージュされる。すくなくとも映画は、イーサン・ホークの意図としては、こうした音楽もまたシーモアの音楽とおなじものを持っていると提示されているとみていい。

 「ピアノは人間と似ている。製造方法は同じでも、同じものはできない」――こうしたことばから、逆に、わたし・わたしたちひとりひとりのかけがえのなさが浮かびあがってくる。そして、ピアノ、ピアノの音、ピアノから生まれる音楽もまた。さらに、若いピアニストが指摘していたように、「きくこと」が、「耳をかたむけること」が浮上してくる。さらに、わたしはといえば、鷲田清一『「聴く」ことの力』とつながってくる。

 圧巻は、シューマン《幻想曲》第3楽章を、2012年4月5日にスタインウェイ・ホールでのコンサートと、自宅でのことばをまじえてのものと、モンタージュしたシーン。わたしはこんなふうにシューマンのこの作品にふれたことはない。誰でも音楽を知っている。知っているが、その知り方、その奥ゆきは違う。そのことをまざまざと知らされるのがこのシーンだ。まだまだ、わたしがふれているのは、ごく、一部。そんなふうに教えてくれる、いや、教えてではない、感じさせてくれる。

 あ、飼猫がいたらしいのに、でてこないのは、ちょっと残念……。

映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』
監督:イーサン・ホーク
出演:シーモア・バーンスタイン/イーサン・ホーク/マイケル・キンメルマンアンドリュー・ハーヴェイジョセフ・スミスキンボール・ギャラハー市川純子/他
配給:アップリンク (2014年 アメリカ 81分)(C)2015 Risk Love LLC
◎9月下旬、シネスイッチ銀座、渋谷アップリンク全国順次ロードショー
www.uplink.co.jp/seymour/