THE NOVEMBERSがニュー・アルバム『Hallelujah』をリリースしてから、1か月が経とうとしている。バンドの集大成であると同時に、新境地も切り拓いてみせた同作の充実ぶりは、先に掲載したアルバム・レビューに記されている通り。そんな最高傑作を引っ提げて、彼らは9月末からツアーで日本全国を飛び回り、結成11周年のメモリアル・デイにあたる11月11日(金)に東京・新木場STUDIO COASTで行うワンマン公演でファイナルを迎える。そして、フロントマン・小林祐介の言葉を借りれば〈特別な夜を美しく記録する〉ために同日のライヴDVDを製作すべく、CAMPFIREでクラウドファンディング企画をスタート(詳細はこちら)。目標金額を早々にクリアしている。
このように絶好調に映るTHE NOVEMBERSだが、本人たちによると新作のレコーディング前には精神的な危機に陥り、どん底も味わったのだという。そんななかで製作に至った『Hallelujah』は、どのような経緯を経て世に送り出されたのか。そして、11月のツアー・ファイナルは、バンドにとってどういった意味を持つのか。Mikikiでは、音楽評論家の小野島大氏が4人のメンバーに迫ったロング・インタヴューを前後編でお届けする。まず前編では、約1年前にリリースされた前作『Elegance』のプロデューサー、土屋昌巳からバンドが学んだものを振り返りつつ、『Hallelujah』をセルフ・プロデュースで制作した経緯を語ってもらった。 *Mikiki編集部
音楽をプロデュースしてもらったこと以上に、価値観を学んだ
――アルバムがリリースされて1週間ほどが経ちました(取材日は9月28日)。反響はいかがですか?
小林祐介(ヴォーカル/ギター)「すごくいい反響がありましたね。〈これまでで一番いい〉と言ってくれる人たちがかなり多かった。僕自身もそう思ってるし、〈この人もそう思うんだ、嬉しいな〉という気持ちです」
――アルバムが完成したときの手応えとしてはいかがでしたか?
ケンゴマツモト(ギター)「それもすごくありました。その……スカッとしたものができたというか」
――やりたいことがスパッと真っ直ぐに出来た、と。
高松浩史(ベース)「そうですね。前作『Elegance』は土屋昌巳さんにプロデュースしてもらって、今回はその土屋さんとの経験があったうえでの作品だったので、そういった意味でも良い作品になったと思います」
吉木諒祐(ドラムス)「うーん、なんですかね。感動的です」
――感動的?
吉木「聴き返すと本当にそう思います。ずっと聴いてましたね。」
――自分たちの音楽は聴き返すほうなんですか?
吉木「これまでも聴くんですけど、今作はいつにも増して、ずーっと聴いてるなって。手応えのある、すごく納得できるものが出来たんだなと思いました」
――なるほど。今回の『Hallelujah』はいくつかポイントがあって、先ほど高松さんが言われたように、土屋さんのプロデュースを経てのフル・アルバムだということ、あとはMAGNIPH/Hostessにレーベルを移籍しての第1弾であること、それから(『Hallelujah』リリースまで)毎月やってきた対バン・ライヴ企画〈首〉の成果というのもあったと思います。そうしたポイントがアルバムにどういうふうに反映されたのかをお訊きしたいです。
小林「はい」
――まずは、土屋さんプロデュースのEP『Elegance』の成果はなんだったのか、それは今作にどのように活かされたのか。
小林「僕が昌巳さんとの制作を通じて学んだのは、プロのクォリティーやプロの仕事、プロが持っている能力の高さを間近で見て、自分たちの作品にそのプロの仕事がどんなふうに影響を与えるのか、目の当たりにすることができたということですね」
――はい。
小林「これまでは自分たちはこのレヴェルまでに辿り着けばいいとか、このレヴェルまでがマックスだとか、いろんなことを思い込んでましたけど、それがことごとく壊されていったというか。これはこういうものだって考え方や、これ以上はできないというちょっとした思い込みとか、いろいろなしがらみが外れていったり壊されていったり。逆に、僕らだけでは気付くことができなかった自分たちの良さを見い出してもらったり。音楽をプロデュースしてもらったこと以上に……価値観と言ったらいいんですかね? 生き方や音楽家としてあるべき姿とか、いろんなものを学びましたし、THE NOVEMBERSとはなんだろうと考える大きなきっかけにもなりました。だからこそ、昌巳さんと作品を作ったあとに、自分たちの力で(アルバムを)作ることが、本当の意味でのスタートになったというか」
美しいものを想像できたなら、もはや作れたも同然
――自分たちで勝手に作っていた限界を打ち破る、新しい価値観を知らしめてくれたと。具体的にはどういうことです?
小林「例えばですけど……、品格ってものがあるじゃないですか」
――品格?
小林「そうです。昌巳さんが話すことやすること、出す音……。物凄くありありと見られるような距離で、昌巳さんの発するいろんなものと接していると、こんなに綺麗なものがあるのかという感動が何よりあったんですね。例えばギターのサウンド・チェックで音を作るじゃないですか。〈これを録ったらきっと、こんなふうになるんじゃないかな〉と想像がつくのが僕たちのレヴェルだとしたら、昌巳さんが作った音を目の前で聴いたときには――もうこれは感覚でしかないんですけど――なんていい音なんだろう、なんて綺麗な音なんだろうといった感動があったんです。ずっとその音を鳴らしたい、弾いていたいって」
――同じ楽器で音を出していても?
小林「いや、もちろん違う楽器ではあるんですけど。だから……自分たちは音楽家なのにもかかわらず、音自体への執着が物凄く薄かったなと思い知らされましたね。それは、昌巳さんとの作業を経験して初めて気付いたことで。これまでもこだわっていたつもりだけど、昌巳さんと比べたら全然こだわってないのと一緒だったという。そういった気付きがあらゆる場面にあったんですよね。和声のデザインの仕方や、ステージ上での立ち居振る舞いだったり、何を考えてステージに上がり、何を残してステージを降りるのかということまで。それまで何とも思ってなかったこと、あまり考えもしないでやっていたことに、実はいろんな意味や価値がある。でも、それをすっ飛ばしていたり忘れていたり、余計なことをしていたことに気付いたんです。本当に一言では言い表せないくらい影響を受けたんですよね」
ケンゴ「音楽的なことは、祐介がいま言ったことに尽きますね。土屋さんの人間性というか、男としての生き方というか、話してもらったことの一つ一つに感銘を受けて」
小林「完成型のイメージを持てるかどうか、という話をしてくださったんですよ。仏像と一緒で」
――作る前から、自分のなかでイメージをちゃんと持ってるかどうか。
小林「そうです。そこから(木を)削っていって、仏様を取り出すというのが仏像の作り方じゃないですか。それと一緒で、美しいものを想像できたなら、もはや作れたも同然だと。逆に想像できないのであれば、どんなにいい木であっても何も出てこない、という話ですね。それまでの僕らは足し算的な発想で、その場での実験を経て曲を作ることが多かったんですけど、先のことを想像したり、完成したものをあらかじめイメージすることの大切さを、昌巳さんの彫刻の話からすごく学びましたね」
――成り行き任せで作ってちゃダメだと。
小林「そうですね。もちろんそういう作り方もあるんだけど、〈こういうものを作ろうと意図して作ったんだ〉と言い切れることが大事で」
――理想形を思い描いて、それにいかに近付けていくか。
小林「そうですね。理想形に近付けていくのはもちろん、それを超えてもっと上に行くためにはどうするか、感動できるものにするにはどうするか。そういう目線を持つことができたというか」