Photo by SATOSHI WATANABE

生活から歌が遠ざかっている。〈一発屋〉すら生まれることがなくなって久しい荒涼としたヒット・チャートなど眺めなくても、実感として共有されるところであろう。だれも〈歌〉なんて聴いていない、ということ。それでも、時代との接点を探り、現代における歌と生活の新たな関係を見出そうとする歌い手も、たまにいる。

九州、関西、東京と場所を変えながら、そして埋火、MANNERS、ソロと形態・名義をも変えながら活動を続ける見汐麻衣は、先日ソロとしてははじめてとなるフル・アルバム『うそつきミシオ』をリリースした。石原洋をプロデューサーに迎え制作したMANNERS名義の前作『Facies』を経て、気負いをなくして正面から歌に取り組んだ本作のコンセプトは、〈歌謡曲と黎明期のニューミュージック〉。ジャンルを挙げただけで後ろ向きと捉えられかねない当節にあって、ここまで明確にそれを打ち出したものは極めて珍しい。それは、決して懐古などではない〈歌〉への信頼があるからであることが、アルバムを一聴すれば、そしてこのインタヴューを読めば、よくわかる。そしてこの作品が、平成の御代も終わりが見えてきた今日における、歌い手、歌詞、歌唱法の新しい諧和を示しているということも。

見汐麻衣 『うそつきミシオ』 Pヴァイン(2017)

 

――どの段階で〈歌謡曲と黎明期のニューミュージック〉っていうコンセプトができたんですか?

「トータルで13曲ぐらいつくったんですよ。つくってる時はわからなかったんですけど、ぜんぶできて自分で1回通して聴いたときに〈あっ、これはそういうことだ〉っていうのがあった。〈そういうのやれ〉ってことだって。自分のなかに少なからず蓄積されてきた音楽に対するいろんな仮説みたいなものをはじめてひとりで具現化したときに、それが答えとして出てきたテーマだったっていう。〈私はやっぱりこういうことがやりたいんだ〉って」

――いま考えなおしてみて、はじめて自分のソロ・アルバムをつくるにあたって、なんでそういうテーマが出てきたんだと思いますか?

「たぶん、単純に、好きなのよ。もうほんと、端的に言うとそれで。自分でも突き詰めて考えたの……突き詰めてというか、そんな堅苦しいもんじゃないけど。ちっちゃいときの音楽環境って自分に選択肢ないじゃないですか。家でかかってた音楽、テレビから流れてくる音楽、一緒に暮らしてる人が好んでかけてる音楽っていうのは無条件に聴くじゃない? それこそ小学校に入るぐらいまでは特にそうだし。それは私にとっては85年前後ぐらいまでなんだけど、当時一緒に暮らしていた叔父さんなんかが青春を謳歌していたときに流行ってた曲(フォーク・ミュージックやニューミュージック)っていうのが家で流れてるから、リアルタイムの音楽とは少しタイムラグがある。どっちが好きだったかっていうと、前者のほうだったの。

19、20歳になって福岡にいたとき〈火曜曲〉っていう歌謡曲ばかりをかけるイヴェントがあって、遊びに行ってて。そこで知ったものも沢山あって。すごく楽しいイヴェントで。他に〈ラブロック〉っていうイヴェントなんかもあって、渚ようこさんとかが出演されてたり。いろいろイベントに遊びに行くようになったなかで、平山三紀(みき)さんっていう人の “真夏の出来事”っていう曲を聴く機会があって、それがね、印象に残ってて。絶妙だなと思ったの。作詞作曲は筒美京平さんと橋本淳さんだったかな。平山三紀の歌い方がね、鼻にかかってるんだけど、絶妙な軽さと暗さがあいまってるというか。自分が親から聴かせられてた歌謡曲と言われるものとはちょっと違うふうに聴こえてきて。その1枚をなんとなく思い出したの、これ(『うそつきミシオ』)をつくっているときに。

で、その〈歌謡曲〉に〈黎明期のニューミュージック〉って入るのは、それは今日持ってきたこの本(『相倉久人にきく昭和歌謡史』)に繋がるんですけど。〈そもそも自分がなんでそういうものが好きなんだろう?〉って考えてたときにこの本に出会って、読んでたらいままで断片的に捉えてたものが、日本に限った歌謡史、音楽史がひとつに繋がってね。〈これがこうなってそしてこうなって、私はだからこれが好きなんだ〉とか……なんの話してたっけ(笑)?」

――このコンセプトになった理由の話ですね。

「ああ、そうね。ニューミュージックに〈黎明期の〉ってつけてるのは……まだ歌謡曲に力があって、そこからニュッと発生してきたものなのね、ニューミュージックって。世の中で一番それを言われているのは荒井由実だと思うんだけど。歌謡曲って、これは私の見解だけど、虚構とか他人のこと、他人様のことを歌ってるもので、ニューミュージックって対人間関係とか、もう少しこう、〈濃い〉というわけではないけど、相手がある、もっと小さい空間のことを歌ってる。

要は、シンガー・ソングライターって呼ばれる人たちが、職業作家に頼まずに自分たちで自分たちの曲を作って歌う。かたや歌謡曲は作詞作曲編曲家っていう分担作業があるから、できあがる世界の広さがまったく違うように思えて。それで、その〈淡水と海水が交わる場所〉っていうか、そこの部分にすごく興味があって。79年が私のなかでは歌謡曲とかニューミュージックの転換期だと思ってるんだけど、自分が好きな曲も大体年代でいうと同じぐらいの時代のもので」

――それがちょうど、生まれた年だったと?

「そうそう! 79年って私が生まれた年でもあるなと」

――“1979”の英題の“Midway”っていうのは、そういう意味だったんだね。

「そう」

――〈中間〉ってことだ。

「そう。〈中間〉ってことで」

――歌謡曲やニューミュージックの当時の歌のあり方と2017年、2010年代の、いまのポップ・ソングのあり方ってぜんぜん違いますよね。当然、空気感としては見汐さんのなかに入っているんだろうけど、そういうのはまったく意識せずにそのまま出したのか、多少言語化してみたり、意識にのぼらせて外に出したのか……。

「それはね、意識してます。そもそも、さっき〈途中で気づいた〉って言ったのはサウンド・コンセプトのことで、もともとのテーマは〈会話〉っていうのがあったの」

――歌詞を見ると、ほとんどワン・テーマですよね。

「そうそう。それはなぜかというと、これも本になっちゃうんだけど、永六輔の『無名人名語録』っていう本があって、私、それがすごく好きで。たぶんね、90年代に出てるんだけど、当時中学生のときに誕生日プレゼントでそれをもらったの」

――中学生の誕生日プレゼントに永六輔(笑)。

「変な叔父さんがくれてね(笑)。それを読んでるときに、その時代を生きてる人たちの会話が一番、時代、〈いま〉を反映させるものなんじゃないかと思った憶えがあって。あんまりいい趣味じゃないんだけど、喫茶店とかでね、隣で雑談してる人たちのなんでもない話とかを盗み聞きしてノートにまとめたりするのが好きで、そういうのばっかり集めてた時期があったんだけど。それをある程度溜まって読み返してみると、〈その時代が見えてくる〉って言い方は変だけど、やっぱり集めればね、(時代の刻印が)炙り出されるもんなんだなあって思って。

今回、一人称とかぜんぜん使ってないんですよ、歌詞に。それは意識していて、〈状況〉を説明するようなものにしたいっていうのがあって。歌い方に関しても、こぶしをとにかくなくすっていう。軽やかさを出さないと、これは意味がないって。でも日本人って好きなのよ、こぶしや深いビブラートとか。〈それはどうしてなんだろう?〉っていうのははまだ考えてるんだけど……。

ニューミュージックは、だからもうあの軽さよね。もうね、とにかくね、歌い方っていうのはとても大事だなって。ニューミュージックの、それこそ黎明期のものになると、まあ軽く歌っているなあと。ドライな感じですよね。平山三紀さんの“真夏の出来事”が71年ぐらいなんだけど、歌い方が絶妙で。こぶしがすごく利いてるわけでもないし、かといってドライですごく抜けがいいわけでもないし。それって当たり前に聴いてるけど、意外にすごい変化だなって。あれも時代を表すものだって最近は思う」

――そういった歌い方がいままたフィットするだろう、という。

「最初っから軽やかに歌おうっていうのはあったんですよ。もし私がこぶしを利かせて〈い~つで~も~〉なんて歌ったって、だれも聴かないよなって思って(笑)。一応、いろんなアプローチを試したんです。今回、中村(宗一郎)さんに録音をお願いして、ずっと2人で歌入れしてて、〈それはないでしょ(笑)〉とか(アドヴァイスをくれて)私がすぐ見失ってしまう部分を軌道修正してくれるっていうのはあったので。〈ああそうだ、こういうつもりでつくったんじゃなかった〉とか」

――レコーディングしながら歌い方を決めていったんですか?

「そうですね。そこも私のアマチュアなところなんですけど……。〈軽やかに〉っていうのは決めてたけど〈じゃあ具体的に軽やかにってどうすんだよ、おまえ?〉って(笑)」

――中村さんとのやり取りで具体的に印象に残ってる、〈軽やかさっていうのはこういうことなんだな〉って気づかされたようなことってあります?

「それは常々自分に対しても思ってたけど、改めて他人に言われてハッとしたのは、〈自己表現みたいなのはいらない〉ってこと。それだけ言うとちょっとキツい言葉に聞こえるんだけど、前後の文脈がもちろんあって。確かになあって。それはずっと自分も思ってたことで……それが悪いっていうわけじゃないけど、それを崇める傾向にあるでしょ、作品をつくるときって」

――〈自分らしさ〉みたいなものを?

「そう。でも〈必要ないよね?〉みたいな、〈それ、いる?〉っていうのがあって。もちろん、それが必要な作品もあるんでしょうけど、自分にとってそれは作品に出すものじゃないっていうか……悩む理由が〈どう歌いたいか〉になっちゃうから。〈そうだな、軽やかに歌えばいいんだ、以上、じゃあ歌いまーす〉みたいな。歌う前はすごく考えてるけど、でも歌うときにそんなの考えてたら歌えなくなるから。自分がちっちゃいときにテレビを観ながら一緒に歌ってた感じでいいや、って」

――ああ、ほんとに、ただ〈歌を歌う〉っていう。

「これは相反するのかもしれないんですけど、いま高円寺の円盤で、野田(薫)さんにピアノを弾いてもらって平岡精二さんの楽曲を歌う企画(うたう見汐麻衣)をやっていて。そっちは軽やかさとは対極っていうか。〈歌うってことがどういうことなのか?〉とか〈歌ってそもそも、じゃあ何なの?〉っていう田口(史人)さんとの会話から派生した企画で。それを今年の春からやりだして、今回のアルバムの制作期間とけっこう被ってるんですよ。だから、そっちでやってたことが影響してるっていうのもある。

歌うという行為はそもそももっとフィジカルなもので、頭で考えることじゃない。歌があればいいじゃんって。〈私がつくりました! 私はこんな気持ちなの! 聴いてください!〉じゃなくて、極論かもしれないけど歌う人は誰でもいい。歌を聴くのか、歌う人を聴くのか……もちろんそれは聴き手が何を聴こうとしてくれているのかなんだけど。私は〈歌う人を前面に出す必要ってある?〉って思うところもあって。歌があれば、あとは誰が歌ってもいい歌はいい歌だし、聴く人はその歌を聴くわけだから……っていうのをすごい思うようになって、今回こういう歌い方になったっていうのはあるかもしれない」

 

Photo by SATOSHI WATANABE

――歌うときに〈自分らしさ〉を前面に出さない、という人はもちろんいると思うんだけど、いま〈私は歌い手という、歌を構成する装置のひとつであればいい〉というところまで吹っ切れるという人はあんまりいないんじゃないかと思う。逆に、すごく歌を信頼してるというか。

「やっぱり他人の曲を歌ってわかることっていろいろあって。昔の歌謡曲というものを〈歌わされてた〉っていう言い方は変だけど、当時〈歌手〉って呼ばれてた人たちは女優さんよね。憑依的というか。〈あたしを見て!〉なんて、例えばちあきなおみの歌を聴いているときに1度も感じたことないですし。あと、あの時代の人たちは、みんながそうではないと思うけど、家族を養うために芸能界に入るとか、もうちょっと理由がいまとは違うというか……〈あたしを見てほしいから〉とかじゃなくて、時代背景としても。

江利チエミだって進駐軍のクラブで歌って、家族を食べさせなきゃいけないから。〈他人より歌えるんじゃないか、これなら飯を食えるんじゃないか〉みたいな世界だから。歌が自己表現っていうものとあんまり結びついてないんじゃないかなと、当時は」

――歌も含めた芸能のあり方として、昔の人は芸能に対する距離が遠い……精神的に入れ込んでないかもね。生活レベルから言えば、近いともいえるんだけど。

「その話からいくと、芸能に限って言えば、〈音楽がラジオやテレビから流れてきて、それを聴く、観る〉という当時の人たちの行為は、いまよりもっと受け身の姿勢だったと思う。一方的に流れてきてるものを〈いいなあ〉って聴く。情報源が少ない時代だから。

79年あたりにウォークマンが出てくるんだけど、そこから個人でカセットテープなんかを編集しだすでしょ? 曲順変えたりとか、好きな曲だけ一本にまとめたりとか。そうなってくると聴き手も受け身でただ聴かされてたものが……聴き方にも変化が生まれて、いまはもうアルバム通してさえもなかなか聴かないでしょ? 〈このご時世で(『うそつきミシオ』を)どういう風に聴いてもらえるのかな、ただの懐古主義としてとらえられるのか、どうなんだろう?〉と思ったりもして。でも、懐古主義なつもりはまったくなくて。……いま、こんだけ軽いものが多いじゃない?」

――多い。

「それは私、みんな正解だとは思うんです」

――ニューミュージックとかニューウェイヴって言われるものは、60年代的なグラグラ煮立ったものの揺り戻しっていうところも大きいと思うんですよね。いまはなんなんだろう。意味的なものに飽きたクールさなのかな。見汐さんは昔からプラスティックっていうか、情念を込めたりはしない、節はつけるけど。

「だって、こんな声だし。私が〈あ~たしは~〉なんて歌ったって、まず需要ないだろうなっていうのもわかるし」

――でも、見汐さんがそう歌ってなかったわけでもない。

「うん。ただ、自分でそこはちゃんと……ジャッジしてきてるから。だから、実際歌ってみて、お客さんの反応見て、〈あ、これはいま違うんだな〉って思うことは常々あるし。〈じゃあ、やめとくか〉っていう。サービス精神っていうか、そういうものは自分のなかにもあるわけですよ。だから……性質ですよね。もともと本来持ってる自分の声の質だったり、自分の性質だったりがそうさせる、ってところがたぶん大きいんだろうなと思うけど」

――それと自分の好みとかが一緒になってポコッて生まれたのが今回のアルバム?

「でも、探すよねやっぱり、どんな歌が自分に合ってるんだろうっていうのは。歌をはじめたときはすごくたくさんの音楽を聴いてたし、どんな歌でも歌ってた。それは他人様の前でっていうよりも、まあ母親の飲み屋でとか。それこそ育った環境が大きいんだけど、〈歌を仕事にしよう〉ってあるとき思ったんじゃなくて〈歌っときゃ金になるんだ〉っていうような家で育ってるから※。

そこで覚えていくものっていっぱいあった。〈これはこういう人がつくってるんだ、この曲またこの人がつくってるわ、この曲もまたこの人がつくってる、筒美京平っていうんだ、へー〉とかさ。今回の作品とは特に関係のある話じゃないけど」

――関係なくはないんじゃないですか? 今回の制作にあたって、それを思い出した、そこに立ち返ったという点では。

「そう。なんか思い出したんだよね。……歳ですかね(笑)」

――気負いがなくなったってことじゃないの?

「うん。気負いがなくなったんですよね。あのね、たぶんね、身の程を知ったんだと思う。以前はその時の自分ができる以上のことを求めることでそこから音楽的な発見や面白さが生まれるんだと思っていて……それが気負いなんだけどね。MANNERSでのミニ・アルバムの後に曲を作っていたんですけど、このままの状況で続けていくのはいまの自分には無理なんじゃないかって思って。

(MANNERS)ですばらしい人たちと一緒にやったことで、自分の目線で一回きちんとやってみようって思ったのがたぶん、大きいのかもね。ほんとに自分が好きだったもの、ほんとに自分が興味のあったものをもう1回手繰り寄せていくと、〈歌謡曲とニューミュージック〉っていうのは外せないんだなあと思って。

……文脈で何かが語られるってことが、あるときからなくなってしまったと思うんですよ。で、私はそういうものからも音楽を教えてもらっていたギリギリ最後の世代なんですよ」

――ぼく(85年生まれ)らはもうあんまりなかった。例えばジャンルで括ること自体にもネガティヴなイメージがあったりする。

「それは純粋に音楽だけを見てる作業ではないかもしれないけど、でもそういう文脈――音楽がなぜそうやってつくられてきたかとか、なぜこの人が携わるようになったか、〈こことここってそうやって繋がってそういうサウンドが生まれるんだ〉とか〈なんでそういうリズムを入れようと思ったのか〉って、その音楽自体について語られるものからも得てきたのね。批評している人たちの文章が、まあ面白いですよ。話逸れたけど、時間をかけて自分のなかで咀嚼してきたものをここにきて形にできるようになった……ってことなのかな」

――さっきぼくは〈歌への信頼〉って言ったけど、こうやって話を聞いてると〈ジャンルへの信頼〉というのをすごく感じる。いまってジャンルを区分けすることを非常に嫌がるし、言うほうも失礼なことかのように言うじゃない? でも、ほんとはみんなそういうものに育てられてきたはずだし、オリジナリティというのはそういったジャンルに分けたくらいでは当然失われないものだし。見汐さんは、そういうところをすごく信頼してると思うんだよね。見汐さんは自分のルーツやバックボーンに、本を媒介に戻りなおして……。

「だから、ほんとに私にとってたぶん書籍って(音楽)作品と同等ぐらい重要なんだろうね。それを書いてた当時の人たちもね、もちろん。まあ、間章さんとか意味がまったくわかんないから」

――(笑)。

「今野雄二さんとかもそうだけど、20歳そこそこの自分に〈なにを言ってんだろう?〉ってクエスチョンをとにかく与えてくるわけですよ。それは聴いてみないとわかんないし、聴いてもわかんない。それこそ15年ぐらい経って、ふっと聴いたときに〈あっ!〉ってなる瞬間もあったりするわけよ。私はそれが音楽を聴くことの醍醐味のひとつだと思ったりもしてるし。湯浅(学)さんも同じようなことを言ってて……やっぱり時間をかけないとそもそもわからないもののほうが圧倒的に多いと。だけど、みんなそこを端折りたがると。

みんなお金がないからCDが売れないんじゃなくて、そもそも聴く時間がない。何するにしてもみんなすごく時間を合理的に考えるっていうかさ。だって、『うそつきミシオ』を35分にしてるのも、全部通してアルバムを聴くことに割ける時間ってそれぐらいなんじゃないかと。歌があるものだと余計に。40分超えてくるとたぶんキツいだろうなって思って。1曲削ってるし。1枚通して聴くってことが、いまの人はたぶんもう……いまの人っていうと違うね、いまを生きる人たちの暮らしのパターンでいうと、ほんと寝る前の30分とか(笑)」

――が、ギリギリ拝借できる時間?

「そう! 〈ギリギリ1枚通して、まだ聴けますよね?〉って」

――1曲削ってるんだ?

「それはこのアルバムにはそぐわないと思って、収録しなかった」

――そう言われてみると、確かにこの長さにも〈聴きやすさ〉を感じたのかもしれない。

「かといって、内容が薄っぺらいというわけでは、私のなかではもちろんないですし」

――1つのテーマ、さっき出た〈会話〉っていうテーマで重ね塗りしてるから、短くても薄さはまったくないよね。いろんな色で塗ってるけど、塗ってる範囲が集中されてる。

「もちろんそう。あとはだから、長く続けていくしか……細々と(笑)。細々と続けていくには、みなさんに買ってもらえないと続けていけないんですけど……(笑)」

 


Photo by ATC

LIVE INFORMATION
見汐麻衣『うそつきミシオ』 〜ソロ・デュオ・トリオ・バンドセット〜 ツアー2018

ソロ
2018年1月20日(土) 富山 DOBU6(ワンマン公演)
2018年1月21日(日) 金沢・石引 じょーの箱
2018年2月17日(土) 札幌 サロンタレ目(ワンマン公演)
2018年2月18日(日) 仙台 teato 
2018年3月17日(土) 福岡 gigi
2018年3月18日(日) 福岡・田川 コメグラ

デュオ:見汐麻衣(ヴォーカル、ギター)、野田薫(ピアノ)
2018年3月21日(水・祝) 広島 ふらんす座(ワンマン公演)

トリオ:見汐麻衣(ヴォーカル、ギター)、池部幸太(ベース)、野田薫(ピアノ)
2018年3月23日(金) 大阪 HOPKEN
2018年3月24日(土) 京都・木屋町 UrBANGUILD
2018年3月25日(日) 名古屋・金山 ブラジルコーヒー

バンドセット:見汐麻衣(ヴォーカル、ギター)、坂口光央(キーボード、シンセサイザー)、池部幸太(ベース)、光永渉(ドラムス)、潮田雄一(ギター)
2018年4月19日(木) 大阪・梅田 Shangri-La
2018年5月2日(水) 東京・渋谷 TSUTAYA O-nest

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