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トレイシー・ソーンは現代的なフィメール・アイコンである―女性の連帯を歌ったダンス・ポップ作『Record』

トレイシー・ソーン『Record』

トレイシー・ソーンは現代的なフィメール・アイコンである―女性の連帯を歌ったダンス・ポップ作『Record』

マリン・ガールズ~エヴリシング・バット・ザ・ガール、そしてソロ名義でのキャリアを経て、80年代から現在にいたるまで英国ポップ・シーンで存在感を示し続けるシンガー・ソングライター、トレイシー・ソーン。彼女が、8年ぶりとなるスタジオ・アルバム『Record』をリリースした。アコースティックな趣の強かった近作と比較して、ダンサブルなビートとパワフルなヴォーカルが耳を引くアップリフティングなサウンドになった今作。M83やデルフィックなどを手掛けてきたエレクトロニック・ミュージック畑のプロデューサー、イアン・ピアソンの貢献もさることながら、ウォーペイントのリズム隊、ステラ・モズガワとジェニー・リー・リンドバーグの参加にも注目だ。本作が、多くの聴き手の予想を超える高揚感に溢れた作品になったことには、近年のフェミニズムの流れに後押しされた面もあったという。〈Time’s Up〉時代のサウンドトラックとしても世界を彩りそうな『Record』の背景を、ライターの萩原麻理が読み解いた。 *Mikiki編集部

TRACEY THORN Record Caroline International/HOSTESS(2018)

 

〈ネオアコの人〉というより、先鋭的なポップ・ミュージックのアーティスト

トレイシー・ソーン、8年ぶりのスタジオ・アルバム——そんなコピーもつけられた本作だが、印象としてはいま彼女ほど忙しく活動しているポストパンク期のアーティストは他にいない。そう、個人的に彼女は〈ネオアコの人〉というより、80年代に花開いた先鋭的なポップ・ミュージックのアーティスト。トレイシー・ソーンはそんな時代を参照しつつ、いまの音楽を作りつづけ、新たな領域に踏み出している。ソロ・アーティストとして、執筆家として、そして女性として。

近年の精力的な活動は2007年のソロ・アルバム『Out Of Woods』から始まったが、彼女のより詳細なプロフィールを知るのに最適なのが、2012年に発表された自叙伝「Bedsit Disco Queen: How I Grew Up And Tried To Be A Pop Star」だ。イギリスでベストセラーとなったこの本では、最初はマリン・ガールズというガールズ・バンドの一員として、82年から2000年までは、伴侶でもあるベン・ワットとのユニット、エヴリシング・バット・ザ・ガールの一人として、さまざまな音楽シーンを駆け抜けた経験が綴られている。

マリン・ガールズの83年作『Lazy Ways』収録曲“A Place In The Sun”
 

彼女のパブリック・イメージはその間に大きく変化した。まずは、インディー・シーンのロマンティックな歌姫。エヴリシング・バット・ザ・ガールが次々ヒットを放つようになると、王道ポップ・シンガーに。そしてダンス・シーンが盛り上がった90年代には、数々のダンス・トラックにフィーチャーされるディーヴァとなった。「Bedsit Disco Queen」では時々にその役を演じようとして、フィットできない自分の〈そぐわなさ〉を軽やかな筆致で描いているが、80年代当時のシーンの描写も魅力だ。カーディガンにドクター・マーティン姿でイデオロギーについて語り、コンセプチュアルなポップを目指すアーティストたち。トレイシー・ソーンのルーツがそこにあることを思うと、彼女が歌うパーソナルな曲に社会的なエッジがあるのも、さまざまなコラボレーションやサウンドの幅に静かな先鋭性があるのにも納得がいく。

マッシヴ・アタックの94年作『Protection』より、トレイシー・ソーンをフィーチャーした表題曲
 

2000年にエヴリシング・バット・ザ・ガールは解散し、2007年にダンサブルな『Out Of Woods』を発表するまでトレイシー・ソーンは沈黙していた。その間3人の子どもを育てていたようだが、そんな経験もまた、彼女が再び綴り出したストーリーに豊かな色彩を与えている。2007年以降に発表された他の作品には、アコースティックな曲調に戻った2010年のアルバム『Love And Its Opposite』や2012年のクリスマス・アルバム『Tinsel And Lights』。「Bedsit Disco Queen」の続編のような著作「Naked At The Albert Hall: The Inside Story Of Singing」も2016年に出版している。 また日本では未公開だが、「he Falling」(2015年)という映画のサウンドトラックを手がけたことも。「ピクニック・アット・ハンギング・ロック」(75年)や「乙女の祈り」(94年)を思わせる少女たちのミステリアスな物語に、甘くメロウなトレイシー・ソーンの歌声が彩りを添えていた。そしてベスト盤の趣もある『Solo: Songs And Collaborations 1985-2015』のリリースを経て、本作『Record』に至っている。

 

いまの女性の姿とその連帯を歌った、高揚感に溢れるキラー・チューン

面白いのは、そうした彼女の活動が、ここ最近のフェミニズムの流れや女性のエンパワメントと出会ったことだ。きっと子どもたちの巣立ちという人生の節目とも重なって、刺激を受けたのだろう。『Record』というアルバムを、トレイシー・ソーン自身は〈9曲のフェミニスト・バンガー〉と評している。バンガーとは強烈にアガるキラー・チューンのこと。イギリス人だったら轟音で鳴るアップビートなダンス・ミュージックを思い浮かべるところだが、その通り、ギターとピアノ中心にシンプルにまとめられた『Love And Its Opposite』とはまったく違う、80'sテイストのエレクトロニックなポップ・ソングが集められている。それがいまの女性の姿とその連帯を歌っているのだ。〈さあ、また始まるわよ〉という呼びかけで始まる『Record』というアルバムのタイトルには、たぶんこの瞬間を〈記録する〉という意味も込められている。

おそらくそのコンセプトから生まれたのだろう、本作では若い女性アーティストとのコラボレーションも目玉だ。2曲目“Air”にシンセサイザーとヴォーカルで参加しているのはロンドンのソロ・アーティスト、シュラ。歌詞は〈私は女の子に生まれて/男の子が好きになったけど/男の子はみんなガーリーな女の子を好きになった/私には吸える空気が必要〉という息苦しさから、〈もう気にしない/私は空気のように自由/あなたがいないふりをする〉と少しほろ苦い、でも力強いステートメントへと変わっていく。

そのパワーが最大となるのが、アルバムの中心曲でもある9分間の“Sister”だ。ベースとドラムで足音のようなリズムを刻むのは、ウォーペイントのステラ・モズガワとジェニー・リンドバーグ。さらにはトレイシー・ソーンのアルトに重ねて、コリーヌ・ベイリー・レイが美しい高音のヴォーカルを聞かせている。

2017年1月、大勢の女性が集まって世界の各都市をピンクに染めたウィメンズ・マーチにインスパイアされたという曲は、横と縦に繋がっていく女性のシスターフッドについてこう歌っている。

〈私に突っかかるな/私のベイビーを傷つけるんじゃない/痛い目に遭うよ〉

〈あなたは男/ああ怖い/わかってる、世界はあなたたちのもの/
私なんて女の子みたいに戦うだけ〉

〈でもいまの私は、私の母親/私の姉や妹/だから女の子みたいに戦うのよ〉

〈Fight Like A Girl=女の子みたいに戦う〉はへなちょこな男のケンカを指す表現だが、そんな上から目線を逆手にとって、〈そうよ、私は女として戦う〉と皮肉るユーモア。トレイシー・ソーンのエンパワメントには、ありのままを晒せられる知性がある。

 

ダンスフロアという自由が、これまでといまを繋いでいる

他の曲もパーソナルな思い出に裏打ちされていて、痛みや失意もちゃんと描かれているのがいい。レナード・コーエンの歌を聴きながらキスをしたギタリストの男の子に捨てられ、ひどく傷ついたけれど、教わったギターの3コードがドアを開いてくれた——と語る“Guitar”。ミッドテンポで戦時下の家族の歴史と、ロンドンという街への思いを綴る“Smoke”。避妊ピルについての“Babies”では、思春期の悩みも描かれる。〈ちょっと触られるだけで怖くなった/私は無知で、キャシーとクレアの話しか知らなかったし/ハラハラしながら日記を確かめた/だって赤ちゃんは欲しくなかったから〉。

前作『Love And Its Opposite』では、年齢を重ね、母として、中年の女性として表現するトレイシー・ソーンがいたが、『Record』にはどこか活き活きとした新たな解放感がある。最終曲“Dancefloor”で彼女はこう歌い上げる。〈ああ、でも私がいたい場所はダンスフロア/お酒を飲んで/誰かが耳元でいまは夜の3時過ぎだって言うような/他にいたい場所なんてない〉。この曲にあるのは、年齢も役割も何も関係ない、ダンスフロアという自由と、音楽が与えてくれる高揚感。それがこれまでといまを繋いでいる――ひとりの女性に戻ったときの、そんな思いだ。そう言い切れるのはきっと、若い頃のまま大人になったような人。いまのイギリスのカルチャー・シーンで、トレイシー・ソーンが体現するのはそんなフィメール・アイコンなのだと思う。

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