地元・新潟を拠点に活躍するアイドル・グループ=Negiccoが、シングル“愛、かましたいの”“カリプソ娘に花束を”を含む4作目となるフル・アルバム『MY COLOR』を7月10日(火)にリリースする。これを記念し、プロインタヴュアーの吉田豪が彼女たちひとりひとりに直撃。2012年、2014年、2016年と折に触れてNegiccoへの取材を行ってきた吉田豪によるロング・インタヴューで、波乱に満ちたこの2年間を振り返る。3週連続掲載となるNegicco特集の第1回目にはKaede編を掲載。一時は転職すらも考えたという〈かえぽ〉ことKaedeは、新たな転機を迎えていた。 *Mikiki編集部
もう25だしなー、アイドルじゃないなー
――そんなわけで2年ぶりのインタヴューです!
「よろしくお願いします」
――前回の取材が2016年の8月で、アルバム『ティー・フォー・スリー』が出た直後というか、NHKホールでワンマンをやった直後だったんですけど、それを思うとこの2年間ってだいぶモードが変わった気がするんですよね。ソロだのカセットだのを除くと、リリースもシングル2枚(“愛、かましたいの”“カリプソ娘に花束を”)とベスト盤1枚(『Negicco 2011~2017 -BEST- 2』)というかなり緩やかな活動ペースになって。
「緩やかですね。NHKまではブワーッといってた気がするけど、ちょっと落ち着こう、みたいな」
――NHKで〈ちょっと待て。武道館をこのまま一気に目指すのはまず考えよう〉って状態になったわけじゃないですか。
「ああ、そうだ」
――けっこうな転機ですけど、みなさんはどう思っているんでしょうか?
「NHKの次ってZepp※とかでしたっけ? そのへんの記憶がちょっと消えてますね……うわ、ホントに記憶ないです! 〈三人祭り〉※※って3年前でしたっけ?」
――ですね。イヴェントでいうと私立恵比寿中学との〈エビネギ〉※1とか苗場の〈私をネギーに連れてって〉※2とかがあった時期で。
「〈エビネギ〉が去年?」
――2017年の頭で、前のインタヴューの時点でやることは決まってたぐらいの状態です。そして2年前のインタヴューの時点では、元BELLRING少女ハート・もえち(宇佐美萌)との対談が終わって、じつはその対談が大きな役割を果たしてたことが判明したという。
「ああ、大きかったですね」
――〈アイドルを辞めようと思ったときにこんな幸せな仕事はないって言ってくれる友達がいた〉って発言してたのが、もえちのことですか?
「そうです。〈辞めてもなんもいいことないよ〉って言われて(笑)」
――その時期、ホントに転職先を探してたらしいですよね。
「ああ、『オーディオギャラクシー』ってRAM RIDERさんのネットラジオでトラックの話をしましたね」
――一時はトラックの運転手になろうとしていたという。
「っていうか調べたときに出てくるのが運送業が多くて」
――つまり、転職サイトでふつうに調べるレベルで悩んで。
「そうですね、転職サイトに何個か登録して、〈あなたに合う情報が見つかりました〉みたいな」
――そしたら、大学まで行ったのにトラックの運転手が出てきて。
「運転ぜんぜんできないのに(笑)。免許はあるんですけど、3回ぐらいしか運転してないです」
――それぐらい本気で辞めようと考えた理由はなんだったんですか?
「25歳っていうのが一回いまある環境を手放したいみたいな気持ちになったタイミングだった気がしますね。20代後半に入るっていうことへの焦りみたいな。それで、ほかの仕事も考えてみようかなと思って調べたら、何もやりたいものがないと思って」
――アイドルを手放したいと思ったけど、代わりに手に入れたいものもなかった。
「何もなかった(笑)。でも、すごい焦ってた記憶はあります」
――ほかの人生も試してみたくて。
「でも、いまはぜんぜんそんなこと考えてないっていうか、もう覚悟を決めたので。……なんであんな焦ってたんだろうな?」
――いまとなっては、それぐらいの感じなんですね。
「なんだったんだろうっていうぐらい、あの年の9月前後は〈どうしようどうしよう〉ってなってて……あんまり覚えてないですね」
――ダハハハハ! 本気で悩んでたはずなのに!
「あのときはすごく深刻に考えてたと思うんですけど」
――決定的にこの仕事が嫌になったってわけでもなかったわけですよね。
「そうじゃないです。ただただ25歳という年齢に縛られて。〈いや、もう25だしなー、アイドルじゃないなー〉みたいな」
――そろそろ真っ当な人生に進まないとっていう。
「ちゃんと会社に入って仕事してないとマズい、みたいな。まあ仕事してるんですけど。あれ、なんだったんだろう? べつに家が危機的状況だったとかも何もないんですけど」
――手っ取り早くちゃんと稼がなければ、とかでもなく。
「わからないですけど、ホントに悩んでましたね。その当時ってほかのアイドルさんが辞めたりとかってありましたっけ?」
――その後のほうが多いと思いますよ。むしろ、いまっていうか。
「うん、ホントいまですよね」
自分たちの気持ちを保てる環境にいるから3人がいま頑張ってやれていると思うので
――それこそ震災前から活動してたような人たちがどんどん力尽きていったり、はるかに若い人たちも大人があきらめちゃったり、いろんな事情で活動できなくなっていく人たちを見てどう思います?
「本人たちが決めたことなので、みたいなグループに関しては前向きだからいいなと思うんですけど、運営がやめたかったのかな、みたいなのが見えると、〈……あれ?〉って」
――最近よくありますね、メンバーがTwitterで〈私はやめたくないのに〉みたいなことを書いてるケースが。
「そういうの見ると、何があったんだろうって思うし、あらためて自分は恵まれてるなって思うし」
――周りの大人があきらめないでいてくれているから。
「ホントに。もちろん3人のモチベーションがなければ続かないんですけど、自分たちの気持ちを保てる環境にいるから3人がいま頑張ってやれていると思うので」
――この2年間の変化っていうと、チームNegiccoに雪田(容史/タワーレコード・T-Palette RecordsのNegicco担当。通称ゆっきー)さんが本格的に入って新潟に移住したのも大きいですかね。
「そうですね、ビックリしました(笑)。個人面談で呼び出されたとき、〈俺、新潟に行きます〉って言われて、〈いやいやいやいや、何言ってるんですか!〉みたいな。またいつもの冗談かと思ったらホントに来られて。今年は珍しくめちゃめちゃ寒い冬だったんで、お子さんとか大丈夫かなと思いながら」
――どんな変化がありました? 基本、現場にはいた人だからそんなには変わらないんですかね。
「前までは社長(熊倉維仁/通称クマさん)と石川さんっていうマネージャーが車で移動するときに雪田さんも一緒に来て、プラス私たち3人だったんですけど、それが社長は新潟で仕事してっていう感じになったので」
――クマさんが現場について来なくてもいいようになった。
「で、クマさんは新潟で謎にライヴやってたりするんですけど(笑)」
――自分の人生を楽しみ始めて。
「〈俺、今日は事務所で仕事しなきゃいけないから送れない〉って言われた日に逆立ちの画像がTwitterに上がってて、何やってんだこの人って(笑)。だから雪田さんといる時間が長くなりました」
――何かプラスはあるんですか? 運転は雪田さんのほうがいいとか。
「ああ……あんまりないかな(笑)」