MONOの2年3ヶ月ぶりの新作『Nowhere Now Here』がリリースされる。バンド結成20年目にして10枚目のアルバムとなる本作の出発点は〈怒り〉だという。前作後に起きたさまざまなトラブルと、それに向きあったメンバーたちの絶望や無力感、疲労感、怒り、先の見えない暗闇=〈Nowhere〉から、そこを抜けだし光を得た〈Now Here〉までの道程を作品に刻み込んだ、と彼らは説明する。今回のインタヴューでは、マネージメントとのトラブル、創立以来のメンバーの脱退など、多くの苦境に遭遇しバンドの存続さえ危うくなったという状況を、リーダーでありソングライターであるTakaakira ‘Taka’ Gotoが赤裸々に語ってくれた。

今回Tamaki(ベース)が初めてヴォーカルをとった歌もの“Breathe” が収録されたものの、彼らは音だけですべてを語ろうとする。その音に込められた情念の深さ、エネルギーの強さ、決意の固さが聴き手を圧倒する。何度聴いても全貌が見えない。聴くたびにいろんな表情がある。怒りだけではなく悲しみも喜びもあり、さまざまな感情が重層的に連なり、波のように寄せては返し溢れてくる。だから何度聴いてもいろんな発見があるのだ。新ドラマー・Dahmを加え、前作同様、シカゴでスティーヴ・アルビニのエンジニアによって録られた全10曲は、深く、強く、激しく聴く者の感情を鼓舞する。

MONO Nowhere Now Here Temporary Residence Ltd./Pelagic Records(2019)

バンドは消耗し切っていて、一歩も動けないような状態だった

――いよいよ2年3か月ぶりに10枚目の新作がリリースされます。

「バンドが来年(2019年)、結成20周年なんですよ。〈10枚目のアルバムは20周年〉っていうのは、ずっと頭のなかにあって、そこに向けて進んでいたんですけど、そう簡単には行けないようなことが起きちゃって。アルバムをリリースしてツアーを始めたら、次のアルバム(の曲)を書くようにしてるんで、このアルバムのドラフト自体は、2017年の夏には仕上がってたんですよ。その後に、ソロ・アルバムを出したんです」

――Behind the Shadow Drops名義の『H a r m o n i c』(2017年)ですね。

「バンドが大きくなるにつれてスタッフも増え、自分たちがインディペンデントでやってきたことが、だんだん大きなひとつの会社になっちゃって、〈削げていく〉感じが僕のなかであったんです。で、初心に帰ってソロ・アルバムを出して、ソロでツアーをやってみようと思ったんですよ。自分は何をしたくてここまで来て、どういうふうに考えてこの先進んで行くか再認識したくて。で、ヨーロッパからマレーシア、中国まで、1か月間ひとりでソロをやった。それでツアーを終えて戻ってきたら、2018年のMONOのスケジュールが白紙だったんです。

通常僕らは、だいたい2年先のスケジュールまで決めてずっとやってきた。でも今回バンド結成以来初めて次の年のスケジュールが決まっていなかった。それまで自分たちがやりたいようにやってきたつもりだったんだけど、誰かに任せた途端、来年のスケジュールがまったく決まってない状態になってしまった」

(左から)Dahm(ドラムス)、Tamaki(ベース/ピアノ)、Takaakira ‘Taka’ Goto(ギター)、Yoda(ギター)

――なるほど。

「いろんなトラブルがありバンドは消耗し切っていて、一歩も動けないような状態だった。スケジュールもまったく決まってなくて、普通のバンドだったらここで解散するんだろうなってムードに包まれてたんですよ。その時点ではホントに〈Nowhere〉、まったく何も見えない状態です。

20年やり続ければ、いろんなトラブルはある。ドラマーが辞めたこともそうだし、お互いが毎年同じ気持ちであるとは限らない。かと言って、馴れ合いでダラダラやるようなバンドでもないんで、緊張感を持ってやってきたんですけど、なんかもう、ここで進むか(バンドを)辞めるかっていうポイントに来ちゃったんですよね。

いつも思うんですけど、逆境のときに人生ってわかるじゃないですか。むしろ伸びるときなんだなって。僕らは何度もそういう目に遭ってきたし、そういうときは逆に燃えるんですよ」

※Yasunori Takadaが2017年12月に脱退

 

TamakiとYodaと僕が出した音は何物にも代えられないんだなって、改めて思いましたね

――いったい何があったんです?

「(日本の)マネジメントから僕たちが望んでるものを得られなかったんです。僕たちがやりたい音楽の世界を、僕たちより知ってる人がいなかった。タッグを組んで、お互いのためにプラスになる生産性はなかった。それはあの会社だけの問題じゃなくて、日本の音楽が海外に進出できていない理由のひとつだと思う。全世界での活動をマネージメントできる組織が日本にあるのかっていうと、ない」

――MONOの場合、それまで特定のマネージメント会社と関わりを持たずに来たんですよね。

「マネージメントを持ったのは1回で、その後アメリカの税金のこととかあったんで、自分でアメリカに会社を興して、そこに代理人を立てたんですけど、そいつが700万円持ち逃げして、とか(笑)。以来、お金の管理もマネージメントも自分たちでするようにしてたんですけど、今回、一緒にやらないかって話が来た。でも、ダメでした。それでそのマネージメントとは手を切った。そのタイミングで、ずっと煩わしいと思っていたものが全部なくなったんです。だから僕としては……すんごい〈fuck you〉な年でしたけど、すんごいスッキリもしたんですよね」

――それが2017年?

「2017年の12月です。2017年の10月に僕がソロ・ツアーから帰って来て、11月にそのへんの問題が全部明るみに出て。ベースのTamakiから電話がかかってきて、〈ストレスで息ができない〉って言うんですよ。それが"Breathe"って曲になるんですけど。

ヨーロッパのエージェントとも同じような問題が起きた。それまで僕らは友達で、もう何年も仕事してた。それがマネージメントをその会社に預けた瞬間から一切連絡がなくなって。でも僕のソロ・ツアーのブッキングはやってくれた。そのとき初めて何があったのかを聞くわけですよ。〈Taka、だから僕はもうMONOはやりたくないんだ〉って。ちょっと待てよ、僕は何も知らないよと」

『Nowhere Now Here』収録曲“Breathe”
 

――うーん、なるほど。

「しばらくしてそのエージェントからメールが来た。〈会えて良かった〉と。彼が2018年1月から2020年までの全部のスケジュールを組んで、僕に送ってきてくれたんですよ。そこには2020年の20thアニヴァーサリー・ショーの会場の写真もあって、もうブッキングしてあった。ここでシングルをリリースして、ヨーロッパ・ツアーをやって、アルバムをリリースして、最後の20thアニヴァーサリー・ショーはここを押さえて、オーケストラも入れて、と。

それをそのままアメリカのエージェントにシェアしたら、じゃあアメリカはこことここに入れさせてくれと。今度はアジアのパートナーが、じゃあアジアはここで、中国はここで、オーストラリアはここでって(決めてくれた)。たった一日で2020年までのスケジュールが全部決まった」

――完璧じゃないですか。

「僕らは20年間ずっとそうやってきたんですよ。そのスケジュールをTamakiとYodaに見せた。〈僕たちは辞めることもできるし、解散することもできる。でもこれを一緒にやらないか?〉って言ったら、みんな〈やりましょう〉って言ってくれた。だからホントに、ホントに、長年のパートナーが一瞬にして全部を肯定してくれたんですよね。僕が始めたバンドですけど、やっぱりメンバーがあってここまで来られたんで。TamakiとYodaと僕が出した音は何物にも代えられないんだなって、改めて思いましたね。

バンドを20年やってるといろんなものが膨れ上がってくるんで、一回シンプルにして。だから、いまはホントに素晴らしい時期を過ごしてる。さっきも言いましたけど、逆境は人生がわかる瞬間なんだと思いました。ここを乗り越えられれば、またひとつ上に上がれるんだろうなと思ったし。〈夜明けの前のダークネスなんだな〉ってわかってたから」