今年に入って新作を発表したスペシャルズやギャング・オブ・フォーの例を挙げるまでもなく、単に過去の栄光をなぞるだけでなく精力的に新たな音楽作りやツアーに取り組んでいるのが、英国のポスト・パンク世代である。スコットランドが生んだバンド、ウォーターボーイズを率いるマイク・スコットも然り、だ。40年余り前にパンクの啓示を受けてバンド活動を始めて以来、アイリッシュ・トラッドからサザン・ソウルに至るまで、マイペースに音楽の巡礼の旅を続けているトルバドールが、ソロ名義の作品も合わせると14枚目にあたるアルバム『Where The Action Is』を送り出す。
同作では長年一緒にプレイしている盟友スティーヴ・ウィッカム(フィドル)や、米ルーツ音楽界のヴェテラン鍵盤奏者、ブラザー・ポールことポール・ブラウンを含む、ツワモノ揃いのバンドのケミストリーも円熟。バンド・アンサンブルの妙と、気分が赴くままに織り込んだスタイルの多様性が、かつてなく肩の力が抜けた、カラフルで自由奔放な曲群を生み出した感がある。そんな、年齢を重ねるほどに身軽になっていくようにも見えるマイクに、アルバム誕生の経緯、そして、それぞれにユニークな曲の成り立ちを訊いた。
THE WATERBOYS Where the Action Is Cooking Vinyl/TRAFFIC(2019)
最初はミックステープみたいな作品を考えていたんだ
――前作『Out Of All This Blue』(2017年)のリリースからたった18か月のインターバルで新作が完成しましたね。
「そう、あれから立ち止まらずに突き進んだ結果なんだ。前作の延長というか、作品としては別個に独立しているけど、同じひとつのクリエイティヴな爆発が生んだアルバムだと言えるね。それにテクノロジーのおかげで、アイデアを思い付いたらすぐに自宅のスタジオでクオリティーの高い音源を作ることができるし、ここにきて曲作りに煮詰まることがなくなったんだよ」
――そのひとつの爆発を基点にして、まずは前作が誕生したわけですが、どの時点で〈ここから先は別のアルバムだな〉と手応えを得たんでしょう?
「“London Mick”と“Ladbroke Grove Symphony”の2曲を書いていた時かな。どちらも同じ時期、同じ場所での生活を回想した曲で、前作に入れようかと思ったけど、どうも馴染まなかったんだ。それから“Out Of All This Blue”も前作のレコーディング中に生まれたものの、やっぱり納得いく仕上がりを得られなくて、タイトルだけすごく気に入っていたから使ったんだよ。そのあたりで、一旦区切りをつけるべきだと感じたのさ」
――第一印象として、今作はバンドで作ったアルバムだという点に、前作との違いを感じました。前作はどこか、独りで音を重ねていったような趣が強かったので。
「実際にバンド形式で、全員揃ってレコーディングしたのは3曲だけだけど、間違いなく全体的にそういうサウンド志向だね。“Out Of All This Blue”にしても、改めてバンドでプレイしてみて、〈これだ!〉と手応えを得た。
あとは表題曲と“Piper At The Gates Of Dawn”を、昨夏のフェスティヴァル・シーズンの合間にみんなでレコーディングしたんだ。だからツアーから得たエネルギーも反映されているけど、引き続き自宅で独りで作業をすることが多くて、音源をやりとりして、僕が作ったベースにほかのメンバーが音をプラスしていくという方法もとった。“Right Side Of Heartbreak (Wrong Side Of Love)”や“In My Time On Earth”、“Take Me There I Will Follow You”がそうだね。
例えばギターとヴォーカルだけの状態で、ナッシュヴィルで暮らすブラザー・ポールに送って、彼がイカしたサウンドスケープを加えてくれる。僕から指示を与えることもないし、好きなようにやってもらうんだ」
――なるほど。もうひとつの大きな違いはアルバムの尺です。ダブル・アルバムだった前作に対し、今回は計10曲のコンパクトな作品ですね。
「そうだね。ダブル・アルバムはやっぱり長過ぎるんだってことを学んだよ(笑)。あれだけの曲数をじっくり聴くために必要な忍耐力を、いまの人々は持ち合わせていない。これが76年なら話は別だけど、レヴューを読んでいてもそれはわかった。みんな前半の1枚しか聴いていないなってね(笑)。いま思えば、2枚に分けてリリースすればよかったのかもしれない。2枚目の後半に“Didn’t We Walk On Water”や“The Elegant Companion”といった素敵な曲が待ち受けているのに、そこまで耳を傾けていない人が多いんじゃないかな。個人的に気に入っていた曲だけに残念で、同じ過ちは犯さないようにしようと心に決めたのさ」
――では今回は、そもそも1枚のアルバムとして、どんな方向性を考えていたんですか?
「実は最初は、ウォーターボーイズのアルバムではなくて、ヒップホップの世界におけるミックステープみたいな作品を考えていたんだ。通常のアルバムには入れにくい、規格外の曲を集めて。でも作業を進めるうちに、奇妙なインストゥルメンタルの断片だったりしたものがうまい具合に発展したり、ちゃんとした形態の曲が増えていって、〈だったらウォーターボーイズのアルバムになるな〉と気付いた。そして逆に、より風変わりな曲は排除していったんだ。それらはいずれ、別途ミックステープの形で発表したいんだけどね。とにかく、アルバムを構成するに足りる数の真っ当な曲が集まったんだよ。
例えば“Where The Action Is”は一種のマッシュアップだった。冒頭にロード・バックリーの声のサンプルが使われているよね。彼は1950~60年代に活躍した伝説的な話術家で、僕は彼のレコードをたくさん持っているんだ。で、最初は、僕が作ったインストのトラックに全編ロード・バックリーの声を乗せていた。それが次第に進化して、バンドの演奏が加わり、彼の声はかろうじてイントロに残っているのみ。スティーヴがファズ・ギターみたいなフィドル・ソロを弾いたりして、ウォーターボーイズの曲へと生まれ変わったのさ。そういう成り立ちの曲が、今回はかなり多いんだよ」
――この曲は、サビも古いソウル・レコードの引用なんですよね。
「ああ。ロバート・パーカーの“Let’s Go Baby”という古いソウルの曲の要素も織り込んでいるよ。彼のヒット・シングル“Barefootin’”のB面曲なんだけど、ノーザン・ソウルの定番曲で、そのサビに〈Where The Action Is〉っていうフレーズが登場するんだ。
“Take Me There I Will Follow You”もおもしろい成り立ちで、車が行き交うノイズに、僕と妻の会話が混ざったサンプルがあってね。新宿の路上で録音したんだけど、〈If You Take Me Somewhere I Will Follow You(どこか行きたい場所があるなら僕も付き合うよ)〉と僕が彼女に告げた言葉が、なぜかすごく印象に残った。これを核にインストに近い曲を作ってみたのがそもそもの始まりで、そこに少しずつパーツを書き足していったんだよ」
――“Take Me There I Will Follow You”はブレイクビーツを用いているだけでなく、ラップも披露していて、前作で取り入れたヒップホップ的手法が引き続き随所で聴こえます。
「そうなんだよ。3曲並んで収められている“Take Me There I Will Follow You”“And There’s Love”“Then She Made The Lasses-O”は、言わば、ヒップホップ3部作だね(笑)。これまでにもスポークンワードは取り入れたことがあるけど、ラップは初挑戦で、非常に興味深い体験だったよ。最初は力み過ぎててうまく言葉が流れなくて、偉大なラッパーたちの作品を聴き込んで、彼らのリラックスしたノリを学んだ。ものすごく速いラップでも、みんな力が抜けているんだよね。ラッパーに対する尊敬の念がさらに増したよ(笑)」
ボーナス・トラック“代々木公園にて”のテーマは、カラス
――先ほどお話にも挙がっていた“London Mick“と“Ladbroke Grove Symphony”についてもう少し詳しく伺いたいんですが、前者はクラッシュのミック・ジョーンズへのオマージュですね。
「うん。これはタイトルありきの曲で、“London Mick“というフレーズを思い付いて、〈ミックの曲にしようじゃないか!〉と閃いたのさ。彼は僕にとって、必ずしも最大のパンク・アイコンというわけではないし、セックス・ピストルズも好きだったけど、とにかく人間としてのミックが大好きなんだよ。当初はファンとして追いかけていて、それから顔馴染みになって、以来、たまに会うとお互いにすごく親しく接しているんだ。一緒に映画『スパイナル・タップ』を観たこととか、ここで歌っているエピソードはすべて実話だよ。
だからギターにしても、クラッシュのセカンド『Give 'Em Enough Rope』(邦題『動乱(獣を野に放て)』、78年)時代のミックっぽいサウンドを意識して、あのパンク特有の、一音を鳴らし続けるスタイルでソロを弾いたんだ」
――“Ladbroke Grove Symphony”の舞台であるロンドン西部は、まさにクラッシュが本拠地にしていたエリアですが、この曲から察するに、あなたにとっても思い入れの深い場所なんですか?
「ああ。僕とミックが会ったのもだいたいあの一帯で、ウォーターボーイズとして活動を始めた頃に住んでいたんだ。82年から85年くらいかな。故郷のスコットランドからロンドンに出てきて、最初に在籍したバンドが解散してしまった時に引っ越してきて。何しろ独りで生活するのは人生で初めてだったから、僕にとって本当に重要な時期だった。
限りなく自由で、自分と向き合うことができて、来る日も来る日も一日中曲を作ったり、音楽を聴いたりして過ごして、最初の3枚のウォーターボーイズの曲はすべてあの時期に生まれたんだ。90年代にも一時期暮らしていたけど、曲で触れている通り、その頃には住人も僕自身も変わってしまっていて、以前と同じような気分にはならなかったんだよね」
――ここ数年はアイルランドのダブリンで生活していますが、居心地はいかがですか?
「非常にクリエイティヴな町だから、ミュージシャンにとっては本当に暮らしやすくて、気に入っているよ。いまのバンドのメンバーも、大半はダブリン在住だしね」
――ラストの2曲も非常に興味深くて、まず“Then She Made The Lasses-O”は、スコットランドを代表する詩人ロバート・バーンズの詩歌を下敷きにしています。
「うん。原曲は、正式には“Green Grows The Rashes O”と題されていて、通常はもっとアップテンポで歌われるんだよ。30年くらい前だったかな、バーンズの曲にさまざまなアーティストが新たな解釈を加えるという企画があって、僕も参加したんだけど、その時にディーコン・ブルーがこの曲をプレイしたんだ。彼らはバラード調のアレンジを施していて、すっかりそのヴァージョンに惚れ込んでしまった僕は、以来何度かライヴで歌ってきた。ここにきてようやく、正式にレコーディングできたのさ。ディーコン・ブルーのコピーになったんじゃないかと不安になって聴き直したら、知らないうちに自分流のヴァージョンに仕上がっていたよ(笑)。
ブレイクビーツを使っているうえに、スティーヴ・ウィッカムは、原曲のメロディーをリール※にアレンジし直してフィドルを弾いているんだ。だから、かつてなく斬新な解釈が生まれたんじゃないかな」
※スコットランドとアイルランドの伝統的なダンス音楽の形式
――バーンズはスコットランド出身者にとっては特別な存在なんですよね。
「国民的詩人だからね。スコットランドで生まれたら、子供の頃から誰でもバーンズの作品を知っている。スコットランドのシェイクスピアみたいなところもあって、彼の作品から引用したフレーズが、スコットランドでは慣用句になっているんだ。僕は個人的に大きな影響を受けたわけではないけど、スコットランド出身者として当然のように彼の作品に親しんできたよ」
――続いてフィナーレの“Piper At The Gates Of Dawn”も、引き続き文学作品に因んでいて、ケネス・グレアム著の児童文学作品「たのしい川べ」の一部を朗読しています。
「この本は僕の世代、もしくはそれより上の世代の英国人なら、たいていの人が読んでいると思うけど、同じく過去にライヴ・パフォーマンスとして何度か朗読したことがあって、今回レコーディングに至ったんだ。朗読もバッキングトラックもワン・テイクだよ」
――あなたが語り聞かせているのは、「たのしい川べ」の中でも特に有名な、牧神パンが出現する章です。パンと言えば音楽の神と目されていて、過去にも“The Pan Within”(ウォーターボーイズの85年作『This Is the Sea』に収録)などで題材として取り上げていましたね。あなたにとって、一種の守護神みたいな存在なんでしょうか?
「言うなれば、僕の雇い主だね。パンに仕えているんだ(笑)。そういうふうに認識するようになったのは80年代初めだったかな。パンは『たのしい川べ』以外にも、C・S・ルイスの『ナルニア国ものがたり』に登場する半人半獣のタムナスを始め、さまざまな姿で小説や詩に描かれている。そんなパンに僕はあちこちで出会って、長年親しんできたから、自由や自然界を象徴する神秘的な神だという強烈なイメージを、幼い頃からずっと抱いていたんだよ」
――日本盤にはこの曲のあとに、ふたつのボーナス・トラックが収められていて、共に東京にインスパイアされた曲です。しかも“下北が好きです”では日本語に挑んでいてびっくりしました。
「どちらも今年2月に休暇で東京を訪れた時に得たインスピレーションをもとに、日本のリスナーのために特別に綴ったんだよ。“下北が好きです”はタイトル通り、大好きな町である下北沢に捧げた曲。その2月の休暇でも、下北沢のド真ん中に敢えて滞在したよ。
それから、もうひとつの“代々木公園にて”のテーマは、代々木公園にやたら多いカラスだ。毎朝あそこでランニングをしたんだけど、カラスに追いかけられて、噂話をされているような気分になったんだよね(笑)。カラスの鳴き声は、もちろん代々木公園で録音したものだよ」
人生の真実を語り続ける
――そして次のアルバムは、先ほど言っていたようにミックステープになると考えていていいんでしょうか?
「ああ、すでに作業を進めているよ。歌だったり、スポークンワードだったり、スコットランド訛りにしたり、アメリカ訛りにしてみたり、いろんな声を使っているんだ。コメディー的な側面もあるし、過激な表現を用いたりもしていて、ウォーターボーイズ名義で発表したらファンに嫌われそうだから、違う名前を考えるつもりだよ(笑)」
――ちなみに、あなたは昨年12月に60歳の誕生日を迎えましたが、どんな心境でした?
「そんなに大袈裟に捉えたりしなかったけど、すごく奇妙な気分ではあった。何しろ、60歳なのに中身は17歳のままだからね(笑)。若い頃に抱いていた〈60歳のおじいさん〉のイメージがずっと残っていて、それと現実が一致しないんだ。だからそういう葛藤は多少あった。自分という人間の捉え方を変えなければいけないんだろうかと考えたことも一瞬あったけど、〈なんでそんな必要があるんだ?〉とすぐに思い直したよ」
――17歳のままということは、昔からの価値観を維持しているということですか?
「ああ。いまもだいたい維持していると思うよ。ただ、その時々に起きることを受け入れる寛容さが、身に付いたんじゃないかな。変化に対して抵抗するべき時と、抵抗せずに受け入れて、自分も変わるべき時、それぞれ臨機応変に判断できるようになった。〈なるほど、そう来るなら、僕はこう動こう〉とかね。音楽的な意味においても、人間関係とかパーソナルな面においても。どちらの道を選ぼうと、もはや自分の核の部分は変わらないからね。
でも20代の頃は、自分の信条や自分が発揮し得る力の大きさが、自分を取り巻く環境、あるいは関わっている人たちに左右されていた。まだ人間として重点がぐらついていて、自信が足りなくて、〈君はこうあるべきだ〉とか〈これをしてほしい〉といった意見に頼っていた部分があってね。自分を確立するには、そういった意見を拒絶しなければならなかった。その点、いまはちゃんと地に足が付いているよ」
――今作に収録されている“In My Time On Earth”は、そんないまのあなたが立ち位置を再確認しているようなところがあります。
「まあね。そこまで深い意味があるわけじゃないんだけど。そもそもこれもタイトルから始まった曲で、このタイトルに相応しい曲を書きたいと、随分前から機会を窺っていたんだよ(笑)。それに、いまの世の中の社会的・政治的な様相を論じているように聴こえるかもしれないけど、実は、2008年のアメリカ大統領選挙の頃に綴った詞のアイデアを引用している。
さらに、〈僕は真実を語る〉と歌っている箇所は、イランの神秘主義者・ルーミーの詩集から拝借したから、あちこちに散らばっていた材料が徐々にひとつにまとまって、曲が完成したのさ。究極的には、世界はクレイジーで、混迷を極めているように見えて、黒が白だと言うヤツを人々は信じ込んでいるけど、そんな世界においても僕は、自分が理解するところの人生の目的を語り続ける、人生の真実を語り続ける――と歌っているんだよ」