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現代ジャズの領野を拓く6年ぶりの3作目

 このところピンク・フロイドをまとめて聴き直す機会があり、本作収録の“Dream State”の冒頭に〈すわこれは“吹けよ風、呼べよ嵐”か〉といろめきたったが、かたや20世紀のプログレッシブなスタジアムバンド、こなた21世紀米国西海岸ジャズの旗頭ともなれば、結びつけようにも無理がある。とはいえジャズにとどまらない浩瀚な知識と志向を自家薬籠中のものとするカマシ・ワシントンともなれば、妄言の類が那須与一ばりに的を射ることもあるだろうし、そもそもかような妄想をあそばせられる間口の広さをもつ音楽家こそ類い稀といわなければならない。もっともこの曲の冒頭のシンセベースパートは楽曲の主眼ではない。アウトキャストのアンドレ3000を客演にまねいたこの曲の重心はスタッカート気味のフルートのリフレインにあり、これを主題にリズムが土台をつくりサックスとシンセが彩色をほどこすような構成をもっている。ビートこそ強いが、アンドレ3000が昨年リリースした『New Blue Sun』を彷彿するアンビエントな風合いの一曲で、本作『Fearless Movement』の内容の多彩さを象徴する一曲といっていい。この曲のなりたちについてカマシは、以前の録音のお返しで今回参加してもらおうと何曲が用意していたものの、フルート持参で現場にあらわれたアンドレの意を汲み、彼の吹くフレーズをもとに現場で即興的に仕上げたのだとオフィシャルインタヴューで述べている。いかにも鷹揚な、しかし機をみて敏なる展開であり、事実楽曲に耳を傾ければ、カマシの選択あやまたずというほかない。本作にはほかにも、おなじみのサンダーキャットを筆頭に、コースト・コントラのラスとタジのオースティン兄弟、遅咲きのラッパー、Dスモークらが登場し、Dスモークは“Dream State”の直前の“Get Lit”でかのジョージ・クリントンとマイクをつないでいる。この2曲とBJ・ザ・シカゴ・キッドが参加する“Together”をあわせた中盤でメロウさを強調することで、アルバムはより起伏に富んだ表情をみせる。ではこのたびのアルバムの主題とはなにか。

KAMASI WASHINGTON 『Fearless Movement』 Young/BEAT(2024)

 『Fearless Movement』の題名には、不安を捨て、動き、音楽に身を任せることで前に進むという意図をこめたとカマシはいう。それにあたり普段の日常や身のまわりの人たちとの関係に焦点をあてたとも。結果生まれたのは「ダンス・アルバム」とも呼ぶべき作品だったが、カマシのいうダンスとはジャンルとしてのそれというよりは、リズムの力強さや躍動感といった抽象的な側面に親和的で、ここにカマシ一流の気宇壮大さを招来する遠因もある。その点で本作は6年ぶりとはいえ『The Epic』『Heaven And Earth』の過去2作の系譜に確実につらなるといえる。他方で旧作にあった内圧のようなものは減退し、それが風通しのよさを覚える一因にもなっている。端的にはこれまでCD3枚組があたりまえだった分量が2枚組に変化し、おなかいっぱい度が下がったというエントロピー的な観点だが、娘ができたことによる心境の変化が影響した面も少なくないとカマシ・ワシントンは述懐する。

 「世界全体を見る視点が変わったんだ。彼女の視点から世界を見て、物事を考えるようになった。父親になり、大切な存在ができたことで、僕を奥へ奥へと導き、自分を見つめ直させてくれた」

 コルトレーン・チェンジに比するほどの変化をもたらす他者をえて『Fearless Movement』は文字通り前進へ駆動する律動をたくわえる。目のさめるようなアドリブよりマッシブなサウンドが持ち味のカマシらしく、本作もまたソロパートに耳を傾けるよりは楽曲ひいてはアルバムの全体を矯めつ眇めつすべき一枚といえるが、“Lines In The Sand”のテーマに戻る直前のスリリングな展開など、ライヴ音楽としてのジャズの面目躍如たる局面はいくらもある。

 終曲はアストル・ピアソラの“Prologue”のカヴァー。アメリカン・クラーヴェ期のピアソラの掉尾を飾る作品の劈頭においたこの曲を、カマシはドラムンベースを彷彿する微分的なビートを背景にテンポアップすることでダンサブルであるとともに達意の演奏者の受け皿ともなるトラックに仕立てている。原曲とは風情はまるでことなるが、しかしピアソラ的な冴え冴えとした響きとはひと味もふた味もちがうウォームな音響空間はまろやかな滋味をかもして聴きあきない。

 


カマシ・ワシントン(Kamasi Washington)
ロサンゼルスで生まれ育ったサックス演奏者、バンド・リーダー、作曲家。世界中をツアーし、今までケンドリック・ラマー、フローレンス・アンド・ザ・マシーン、ハービー・ハンコックその他多数のアーティストたちと共演・コラボレーションしている。また2020年、長年の友人でありコラボレーターでもあるロバート・グラスパー、テラス・マーティン、ナインス・ワンダーとスーパーグループ、ディナー・パーティーを結成し、彼らのEP『Dinner Party (Dessert)』はグラミー賞の最優秀プログレッシブR&Bアルバム賞にノミネートされた。