日本のジュークが最近おもしろい、というのはややいまさらな話かもしれないけれど、多くのDJ/プロデューサーが非常に表情豊かな作品を送り出しているのを日々見るにつけ、どうも気になって仕方ない……という編集部スタッフの勢いでスタートしたこの連載。いま日本のジューク・シーンはどうなっているんだろう?ということで、それを語ってもらうならこの人しかいない!と白羽の矢を立てたのが、関西を拠点にレーベル・Booty Tuneを主宰する日本でもっともジュークを知る男、D.J.Fulltono。彼の視点を通して、いま知っておくべきジャパニーズ・ジュークの面々や海外のレジェンドの紹介、さらには自身がこれまでに体験してきたジュークにまつわるエピソードなども披露してもらいます。そんな連載初回は、2000年前後にシカゴで生まれたジューク黎明期のお話。

 


 

セレブが集うパーティーで、DJシャドウがプレイ中に〈未来的すぎる〉と言われ、音を止められた時に流れていた曲がジュークだったという話は一時期ネットで話題になりましたが、実はその未来的な音楽は過去から現在へやってきた音楽だった。そんなSFみたいな話があったら笑っちゃいますが、それはあながち間違っていない。今回はそんなお話です。

ダンス・ミュージックの歴史をいろいろ振り返ると、2000年前後って凄く重要な時期だったんじゃないかと、いまになって思います。エレクトロニカ人気が猛威を振るった時期です。90年代中期からテクノ/ハウスなどのダンス・ミュージックに没頭した僕も、オウテカキッド606といったIDM/エレクトロニカ勢にはワクワクさせられました。周りを見渡すと、いままでテクノ一辺倒だった人が変則的なビートやアブストラクト・ヒップホップ、フューチャー・ジャズ、または音響系に興味が湧いたり、ニューウェイヴっぽいエレクトロが再評価されたり、ブレイクコアがハードコア好きを巻き込んでシーンを形成したり、結構カオスな時期だったと思います。

この連載の本題である〈ジューク〉という音楽スタイルが誕生しようとしていたのもこの頃です。シカゴのリアルなローカル・シーンを世界に紹介していたレーベルのダンス・マニアから、これまでのハウス/テクノ・ビートとは違い、ベースとタムで構成されたBPMの速いビートが少しずつ登場しはじめます。

【参考音源】DJクレント“3rd World”
オリジナルは98年にダンス・マニアからリリース。これまでのゲットー・ハウスとはあきらかに
ノリが違うビートで、これが世界にリリースされた最初のジュークだと思われる。
しかし当時僕はその変化にまったく気付けなかった

 

しかしその時代、BPMが150を超えているハウスの需要は世界にありませんでした。地元のシカゴ・ローカルで生まれたばかりのジューク・シーンが世に理解されることはなく、ダンス・マニアは2001年にレーベルとしての役割を終えました。

ダンス・マニアはレーベル最後の仕事として、カタログ・ナンバー・DM283番、284番、285番のプロモ盤(ホワイト盤)をプレスしますが、レコード・ショップからのオーダーが思うように入らなかったのか、その3枚は正規プレスされることなくお蔵入りとなります。ちょうどその当時僕はダンス・ミュージック専門のレコード屋でバイトしていて、US盤のディストリビューターから流れてくるFAXに目を凝らしていましたが、残念ながらダンス・マニアの新譜情報を一度も目にすることはありませんでした。

後にわかったことは、この3枚がリリースされなかったことが、ジューク/フットワークというジャンルの運命を大きく左右することになっていくのです。

とあるシカゴ仲間のK氏にお願いし、僕がこのホワイト盤に初めて針を落としたのは、10年後の2011年。音が流れてきた瞬間、度肝を抜かれました。ここに収録されていた曲の大半は現在聴かれているジューク/フットワークそのものだったのです。つまり、2010年ごろから最新のダンス・ミュージックとして世界が注目しはじめたジュークの音楽スタイルは、2001年にはすでにシカゴのローカルなクラブで完成形が流れていたということになります。

そしてその古びたレコード盤の内側に掘られた文字に目をやると、DJクレント、DJブーRP・ブー)、そしてDJラシャド(2014年没)――いままさにシーンの核であるアーティストの名前が刻まれていたのです。鳥肌ものを通り越してパラレル感覚に陥りました。

【参考音源】RP・ブーの2013年作『Legacy』収録曲“187 Homicide”

 

【参考音源】DJラシャドの2013年作『Double Cup』収録曲“Only One”

 

今年始めにリリースされたDJクレントのアルバム『Last Bus To Lake Park』に収録されている“That Fucka”のプロトタイプであろう曲はDM284番にすでに入っているし、DM283番のタイトル曲であるDJチップの『Juke Slide』はわれわれのレーベル=Booty Tuneがつい先日リリース。

【参考音源】DJクレントの2015年作『Last Bus To Lake Park』収録曲“That Fucka”

 

【参考音源】D.J.スタック・チップのEP『Juke Slide EP』

 

さらに今年4月には、DM285番に収録されているRP・ブーの曲がUKのプラネット・ミューからリリースされるというタイムリーな情報も入ってきています。つまり現代のリスナーがいまになって2000年前後にシカゴ・ローカルで起こっていた謎に着目しはじめているのです。ジューク/フットワークは新しいダンス・ミュージックと解釈されながらも、レア・グルーヴとして楽しんでいるようにも思えます。つまりは、〈未来的すぎる〉なんて表現はパラドックスかもしれませんね。

次回は、ジューク/フットワークの音そのものの仕組みや魅力、BPMはなぜ160なのかなど、僕が感じていることを赤裸々に書かせていただきたいと思います。

 

左から、D.J.April(Booty Tune)、トラックスマン、レイ・バーニー(ダンス・マニア主宰)、D.J.Fulltono
2014年夏にシカゴのウェストサイドにあるダンス・マニアのレーベル事務所へ行った時の写真。
レイは〈いま出せば売れるぞ〉というトラックスマンからの助言を受け、2013年にレーベルを復活させた

 

PROFILE:D.J.Fulltono


 

 

関西を拠点に活動するDJ/トラックメイカー。ジューク/フットワークを軸に ゲットー・テック、エレクトロ、シカゴ・ハウスなどをスピンする一方、自身のレーベル=Booty Tuneを運営。パーティー〈SOMETHINN〉も主催する。また、プラネット・ミューやハイパーダブでリリースされたジューク・関連作品の日本盤特典ミックスCDを手掛けるほか、国内外の音楽メディアへジューク関連記事を多数執筆。2014年に5作目のEP『My Mind Beats Vol.01』をリリースしている。