「丸二日寝てないわ」とその男がいう。思い悩むような何かがあるのか?と問うと、特に思い当たることはなく、何故かそうなってしまったというのが実際のところのようだ。実はこちらも同じく寝不足気味で、目の前で陽射しを反射してピカピカと輝く1957型シボレー・ベル・エアーが眩しすぎて、ずっと目が痛い。神奈川・三崎の花暮岸壁に時空を超えてやってきた夢の自動車。その傍らには那智勝浦生まれの異能のギタリストがアロハ・シャツを羽織り、愛機のドブロ・ギターを抱えて佇んでいる。彼の背後には300トンのマグロ漁船がデンと構えているのが見えていて、いったいここはどこなのかわからなくなることもしばしば。ライ・クーダーのアーティスト写真に似たような1枚があったような気もするが、どうも思い出せない。体調的にはかなり厳しかったはずだが、桜とサボテンが並んで咲いている場所に遭遇したときは、ちょっと撮ってくれんか?と子供のようにはしゃいでいた。花鳥風月とメキシコが共存する世界。なるほど確かにそれは濱口祐自的世界と呼べるものだ。はしゃいでしまうのも無理はない。

 

 

 


 

セカンド・アルバムのフォト・セッションから10日ほど経ったある日、低気圧の影響でどしゃ降りの那智勝浦に居た。味処〈ゆや〉でのライヴがあるというので、おっとり刀で駆けつけたのだ。いつも勝浦の新鮮な魚料理を食べさせてくれることで地元では名前の知られたこのお店。個人的には、鯨の刺身の旨さに開眼させてくれた恩人的料理店である。いまでは〈ゆや〉と呟くだけで、とろけるような食感が口いっぱいに広がり、意識は黒潮躍る熊野灘へと飛んでいく。勝浦を食べに行くなら、ゆやへ。ぜひともおすすめしたい。ところでゆやさん、店に入ると3人の音楽家のサインが迎えてくれる。いちばん上がライ・クーダー、2番目が久保田麻琴、そして3番目に濱口祐自という強力過ぎるスリートップ。三枚看板の揃い踏みが見られる食事処なんて勝浦どころか世界中どこを探したって無いだろう。

 

 

 

お店のオーナーは荒尾典男さん。ユウジさんのひとつ年上の先輩であり、付き合いはかれこれ40年以上。新宮高校サッカー部ではゴトビキ岩がある神倉神社の急峻な石段(全部で538段!)を駆け上るというスーパー・ハードな練習を共に乗り越えてきた仲間でもある。見た目も若いが気も若い荒尾さんは、那智勝浦町の町議会議員も務めるお方。そういえば、こんなことがあった。セカンド・アルバム発表に向けてユウジさんとスケジュールの打ち合わせをしていたときのこと。6月のある期間だけは大事な用事があるのでどうしても空けてほしいという。理由を尋ねると、「ツネオくんの選挙があるんやけど、選挙カーの運転手をやらんといかん」のだと。もちろん荒尾さんから頼まれているわけでもなんでもなく、ユウジさんが自発的にそうしたいと思っているだけだ。他でもない大切な先輩の大一番、俺が行かなきゃ誰が行く?ってな心意気が感じられた。どうやら、前回の選挙活動でもユウジさんはドライバーを買って出たらしい。そのときはボブ・マーリーを流しながら、人とまったく会わなさそうな山道を駆け巡ったのだととても嬉しそうに教えてくれた。静かな山間にこだました“Get Up, Stand Up”や“No Woman, No Cry”の強烈なリズムと目の覚めるようなメッセージ。ふたりがいったい何をやろうとしていたのか理解するのはいささか困難だが、少なくともこのエピソードから彼らの揺るぎない関係性だけは把握できるはず。

あえて記しておくと、荒尾さんこそ濱口祐自メジャー・デビュー・プロジェクトのキーパーソンである。彼がいなければたぶんこの計画は成功してなかっただろう。そんな荒尾さんは、ユウジさんの大事な時にはかならず東京へすっ飛んでくる。そして、夜が来ると、きまってふたりでワインとビールが楽しめる場所へと出かけていくのだが、その気晴らしがユウジさんにとってどれほど救いになっているか。それにしてもふたりを見ていると、タフさにただただ驚かされるばかり。だいたい勝浦からユウジさんの電話があるときは、真っ先に「昨日はツネオくんと飲み歩いてのぉ」というフレーズがくる。なんとかお酒の量を減らして健康に気を遣ってもらいたいところだけど、いまのところ健康のほうがこのふたりに気を遣っている様子で、かなりのVIP扱いを受けているようだ。

 

 

これまでにもゆやではユウジさんライヴが何回か催されているが、僕が参加するのは今回が初めて。どんな雰囲気のイヴェントになるのか、ぜひ1回体験しておきたかった。襖が外された広々とした座敷では、この日を心待ちにしていたと思わしき笑顔の観客が座布団に座ってくつろいでいる。荒尾さんに聞いたところ、今回はFacebookやTwitterの告知だけで定員が埋まってしまったそうで、こんなことはいままでになかったそう。地元での応援熱が高まっている証拠ではないか。

アットホームなムードに触れて、ユウジさんもさぞかしリラックス・ムードなのだろうと思うところだが、そうは問屋が卸さない。店の奥では緊張の糸でグルグル巻きにされた彼がいた。とはいえ、いつも以上に嬉しそうな表情を浮かべているユウジさん。「ツレがいっぱい来てくれて。やっぱり勝浦でやらなあかんのう」とMCの声もかなり弾んでいる。音響システムはオーディオ・スピーカーを4本立てた通常仕様で、鳴っているのはプレーンな濱口祐自サウンド。その響きはまろやかながら迫力もたっぷりあり、定番曲“Caravan”に代わってオープニングに用意された12弦ギターでの即興ナンバーがズドンと腹に来て、いきなり持っていかれる。「今日はギターがうまい気がするわ」と本人が言うとおり、走って跳んで滑って回って、終始躍動しまくり。サクサクとテンポよくライヴが進行しているのが妙に気になってしまったようで、はじまってから数分しか経ってないのにお客さんに「疲れてないですか? もう休憩入れよか?」と訊ねてしまう次第。

 

 

「最近はライヴがいっぱいあって助かるんや。何がええって、ギターの練習になるもんのう。ライヴが少ないと練習不足になるわ、お金も入ってこんわ、ロクなことがない」。そんなボヤキとも取れるようなMCに大きな笑い声が湧く。さすが地元!と思わされたのは、チューニング時のおきまりのフレーズ「企業秘密ですが……」を発すると、「何が企業や。どうみたって個人やろ!」とか「企業なんやったら、法人税払え~」といった的確かつ鋭いヤジが飛ぶところ。気心の知れた顔なじみとのキャッチボールも絶妙に心地良い。地元ライヴならではの趣向ということでは、弟の起年さんとの共演が最たるものだといえよう。彼がヴォーカルをとる名曲“しお風の吹くまち”、高田渡の“生活の柄”カヴァーといった泣きのフォーキー・チューンの連続パンチには思いっきり旅愁を掻きたてられたものだ。

【参考動画】濱口祐自と実弟・起年による“しお風の吹くまち”(2014年)

 

【参考動画】高田渡の71年作『ごあいさつ』収録曲“生活の柄”の
88年のパフォーマンス

 

2時間近く続いたライヴは、“Gnossiennes no.1”を弾き終えたところで、「以上を持ちまして、アンコールに代えさせていただきます」という挨拶とともに終了。さてと、これからお待ちかねのアフター・パーティーがスタートする。これから先は心ゆくまで楽しませてもらおう。今日はこれを目当てに東京から駆けつけたんだから。

ユウジさんにとって、ライヴのあとのアフター・パーティーはかけがえのないひとときであり、生きがいそのもの。アフターのためならたとえ火のなか水のなか、なのである。緊張感から解放されて、ライヴの余韻に浸りつつ友やお客さんと杯を酌み交わす。アフターがないとはじまらない、というか、終わらないのだ。でもって、ユウジさんにとって地元でのアフターは格別なものがある。後先のことを考えずに気兼ねなくお酒が飲めて、何ならそこで寝てしまうことも許されるわけで、開放感の度合いが違う。こちらとしては、彼がどこかのタイミングでふたたびギターを手に取るのを心待ちにしていたりするわけだが、いい具合に酔った状態で弾くブルースは味わいが増す場合も多い。今日なんか、そんなブルースに出会えそうな予感がプンプンしている。

「この人ぐらいギターだけに集中することができたら、誰だってギタリストになれる。こんな不器用な人間がこれだけの演奏家に成れたのは、ひとえにものすごい時間をギターに費やしたからや。俺はバイクから女までいろんなものに興味を向けてきたけど(笑)、アニキはギターと酒しかない人生を送ってきた。他のことやったらなんでも勝てるけど、その一途さだけはかなわんとこや」。

アフターが始まって少し経過したところ、隣に座った起年さんが、ギター(と酒)によって人生を救われた男の話を熱く語りはじめた。〈その男〉は一般人と真逆で、酒とギターにのめり込むことによってここまでまともに生きてこられた。たいていの人のように、浮世の憂さを晴らすためにギターや酒に逃げることなど彼にはあり得ない話だ。ギターと酒が法であり、掟の世界において長年真っ当な市民として暮らしてきた彼の奇特な生き方が決して逸れないように、周りの理解者たちがしっかりとガードしてきたという歴史もこの街にはある。「人間、何かを極めようと思ったら一種の○○○にならなあかん!」と目の前で熱弁を奮う起年さんを見ながら、この人はユウジさんが正気で生き続けられる世界において、もっとも屈強な門番であり続けてきたのであろう、と思う。「○○○っていうのは、スペシャリストってことやの」とすかさず見事なパスを入れてくれた荒尾さん。そして「まぁ女性に対してはずっと幼稚園生レヴェルのままやけどの、ユウジは」と彼らしい明るく朗らかな調子でナイスなフレーズを放ったところ、「あんたは横綱やけどな!」と起年さんからの切れ味鋭い返しが。「いや、この人は理事長や、チクショウ」と少し離れた場所でユウジさんが嘆くように吠えた。

 

 

ユルくて楽しい時間が流れていくなか、起年さんが〈竹林パワー〉の思い出を聞かせてくれた。「日本中からたくさんの人が集まってきてくれての。外国人もおったよ。店にはいろんな音楽、いろんな酒、そして親父が描いたいろんな絵が飾ってあって……」。胸躍るようなリズム、未知の味がする外国産のお酒、絶え間なく続く笑い、そしてとびきり極上のギター演奏……。いまもなお竹林パワーの思い出は彼に甘い感覚を運んでくるようだが、もっとも印象に残っているのは「店にはいつも親父が座っていた」ことなんだとそっと教えてくれた。「ま、いちばんええ思いしたのは起年くんやもんな」という前にもこの連載にご登場いただいている山口学さんのツッコミに笑いながら、竹林パワーでのアフターはいったいどんなんだったのかとぼんやりと想像していた。

寛大で心優しき仲間たちが集まった今夜のアフター。彼らはユウジさんに手を差し伸べずにはいられない第一級のファンたちであり、みんながみんな、俺が(私が)いちばん濱口祐自のことを知っている、と主張するような目をしているが、思い返せばユウジさんの周りにいるのはそういう人ばかりじゃないか。彼からよく聞かされるのは、好きなときに知人の宅に自由に出入りすることを許されていて、別荘や空き住居の合鍵をたくさん預かっているという話。嘘だよ、そんなのちょっと聞いたことがない、と最初は思っていたけど、これが事実なのだ。モテモテぶりは上昇の一途を辿っているし、ひょっとしたら最近は合鍵の数がもっと増えているかもしれないけれど。

秘訣など、きっと何もない。人間味に溢れ返っていて、ハンパなく情に厚いところがそういうことを招いているのだろうが、とにかくユウジさんが何よりも大事にしているのは、目の前にいる人が友だちになれるかどうかの見極め。なれると踏んだらたちまちオープンになって、大胆に腹をパカッと割ってしまう。相手が大物ミュージシャンであろうが、生意気な高校生であろうと、友だちは友だち。それ以上でもそれ以下でもない関係を取り結ぼうとする。基本はどんな人でもウェルカム。だからいつでもどこでも誰彼かまわず名刺を渡してしまう。いまさっき道で出会ったばっかりの人にもホイホイ渡してしまうので、それはさすがにやめようよ、と言っているのだけど、「そうかぁ、みんな知ってくれたらええやないか」と不思議そうな顔をしている。自分を尊大に見せることなどもってのほかで、アーティストにありがちなミステリアスな振る舞いなどまったくもって訳がわからない。彼の歌を聴いてみれば良い。そこにはピッタリ等身大のユウジさんしかいないから。平和、愛、友情、自然を謳う若きシンガー・ソングライターたちは彼の曲を参考にしたほうがいいだろう。

 

 

誰よりもユウジさんを良く知っている起年さんがふたたび話し始める。「世界の好きなギタリストでいえば、濱口祐自は5本の指に入る。アニキってこと抜きにしてもそう思う」。勝浦には、ほかの地域の人とは少々異なる厳しい判断基準を持ったリスナーも多いのかも。クラシックの難曲をバリバリ弾き倒していた時期のユウジさんを知っているのだから当然か。「でもよぅ、こんだけ視野の広い音楽家は他におらんと思うで。この人のおかげで俺は広い世界を教えてもらったんや」。ちょうどそこに、うっすらと部屋に流れていたユウジさんお手製のミックスCDからウェス・モンゴメリーの曲がかかる。「世界最高のウェス! 起年、ウェスくんには勝てんやろ」と話を遮るように僕と起年さんの間に、ユウジさんの長い指が割って入ってきた。一気呵成に捲し立てるユウジさんに、「ウェスくんのう」と柔らかくほほ笑む起年さん。やがて、どんだけ練習したらこんなに弾けるようになるんやろ?と兄弟のギター談義が始まった。インクレディブルなジャズ・ギタリスト、ウェス・モンゴメリー。確かユウジさんはこの人を聴いて、ジャズには進まないと心に誓ったんだった。どれだけやってもこの人の演奏には勝てない。上には上がいる、世界は広いと若き日の彼は悟ることになる。「この人は神様や! バッハを超えたぁる。これはヤバい!」。ユウジさんが唾を飛ばしながら興奮気味に喋る。「つまり、ジョゴヴィッチみたいな人なんやな」と今朝4時まで男子テニスのマスターズ・モンテカルロ大会決勝を観ていたという荒尾さんがビシッと一言。「いやいや、いずれニシコリも抜くと思うで。な、桑原くん!」と起年さん。アレ、いま錦織くんの世界ランキングって何位だったっけか。そんでもって、ユウジさんのランキングはいったいどうなんだろう?

【参考動画】ウェス・モンゴメリーが演奏するセロニアス・モンク作曲“Round Midnight”

 

ユウジさんの前にワインの瓶が並べられていき、ギターをふたたび手にしたくなる雰囲気が徐々に高まっていく。ハイライトがようやくおとずれた。果たせるかな、この夜に彼が奏でたブルースは、めっぽうスマイリーでハートフルな響きを湛えていた。隣の部屋でバタンキューしたレストラン〈と、cous cous〉のオーナーシェフ・濱野さんがゴロゴロ揺れながらリズムを取っているように見える。そんな最高に愉快な雰囲気に包まれたこの安全地帯において、喜びを噛みしめながらじっくりギターと会話する彼。以前にもどこかでこんな心地良い感覚を味わったことがあるような気がするが、ちょっと思い出せない。何にせよ今晩は、誰にも気にすることなくこのまま眠りの世界へと入っていってOKですよ。

外に出ると雨はすっかり上がっていて、空には星が瞬いていた。後で聞いたのだが、ユウジさんはそのあと、荒尾さんと連れ立って勝浦のビールとワインが楽しめる場所へと繰り出していったそうだ。ふたりはあの頃と同じように威勢よく掛け声を合わせながらスナックをハシゴしたのだろうか。ユニフォーム姿のユウジさんと荒尾さんが夜霧のなかに吸い込まれていく画をイメージしていた。勝浦のアフターは長くて濃く、そして険しい。

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PROFILE:濱口祐自


今年12月に還暦を迎える、和歌山は那智勝浦出身のブルースマン。その〈異能のギタリスト〉ぶりを久保田麻琴に発見され、彼のプロデュースによるアルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』で2014年6月にメジャー・デビュー。同年10月に開催されたピーター・バラカンのオーガナイズによるフェス〈LIVE MAGIC!〉や、その翌月に放送されたテレビ朝日「題名のない音楽会」への出演も大きな反響を呼んだ。現在、待望のニュー・アルバムを鋭意制作中! 最新情報はオフィシャルサイトにてご確認を。