クリアなサステイン・ギターがどこまでも伸びる。パーカッションが激しく躍動する。その瞬間、私たちに恍惚と陶酔と興奮の時間が訪れる――本能の赴くままスピリチュアリティーとセクシャリティーを追求し、旺盛な好奇心でもって時代ごとに音楽スタイルを変えながら、キャリアを築いてきたカルロス・サンタナ。彼のもとにクラシック・メンバーがふたたび顔を揃えた。そして、45年ぶりにあの日の夢が動き出し……

 もしサンタナがいなかったら、ラテン音楽はこれほどまでにポピュラー・ミュージック界を席巻していただろうか。カルロス・サンタナを中心としたこのグループが69年、〈ウッドストック・フェスティヴァル〉でロック・ファンに衝撃を与えなかったとしたら、今日のリッキー・マーティンらの活躍はあっただろうか。はたまた、サルササンバなどのダンスはこんなにも親しまれていただろうか、とさえ思ってしまう。

 デビュー以来、45年以上に渡って第一線で活躍し続け、サウンドの変化はあったものの、一貫して高いクォリティーを保ち、いまでもコンスタントに新作を届けてくれるヴェテラン・バンド、サンタナ。彼らの通算24枚目となるオリジナル・アルバム『Santana IV』は、リリースに至る経緯や背景を知れば知るほど、深く楽しめるものとなっている。

 24枚目なのに、なぜ〈IV〉なのか? それは本来であれば4作目を作るはずだったメンバーたちが再会し、本盤を完成させたから。別れた頃は音楽性の相違や感情的な対立もあっただろう。しかし、それぞれの道を歩んだ後に集結して作り上げたこの作品は、当時と同じく夢や野心をぶつけ合ったような音に満ちているし、それがまたラテン・ロックの明るく豪快なノリともよく合っていて、まさに〈奇跡の一枚〉と言いたい傑作だ。

SANTANA Santana IV Santana IV/ソニー(2016)

 

運命を変えた夜

 サンタナの出発点は、47年にメキシコで生まれたカルロス・サンタナが、幼少期にマリアッチ・バンドのメンバーだった父親よりヴァイオリンやクラリネットの訓練を受けたところから始まる。その後、彼はサンフランシスコに移住。15歳の頃にギターを手にし、ブルースやロックンロールに夢中になった。ビートルズに始まるブリティッシュ・インヴェイジョンが全米を席巻し、子供たちが西部劇ごっこのピストルをギターに持ち替えた時代だ。クリーム(とエリック・クラプトン)やジミ・ヘンドリックスなど、ロックの時代を切り拓いたアーティストにも多大な影響を受けながら、カルロスはキーボード奏者のグレッグ・ローリーやパーカショニストのマイケル・カラベロらと前身のサンタナ・ブルース・バンドを結成し、キャリアを本格化させる。間もなく、運命を決定付ける出会いが彼らに訪れた。

 それが、敏腕プロモーターのビル・グレアムだ。演劇やパフォーマンス集団の一員だった彼が、好きな音楽を聴いたり、イヴェントを行える開放的な場所としてサンフランシスコにフィルモア・オーディトリアムをオープンしたのは65年のこと。グレイトフル・デッドジェファーソン・エアプレインなどの人気バンドに加え、マイルス・デイヴィスBB・キングほか、ロックにこだわらないアーティストをブッキングしてきたこの場所は、今日のライヴハウスの先駆けとも言えよう。

 そのフィルモアに、クリームとポール・バターフィールド・バンドという黄金のラインナップが出演した日の出来事。金のないカルロスとマイケル・カラベロはタダ見をしようと試みるも、あっさり警備員に捕まってしまう。この時、オーナーのビルは罪を問うどころか、〈近々コンガやティンバレスを入れたバンドを組む!〉という2人の話に反応。リゾート・ホテルで働くなど苦労してきたユダヤ移民の彼は、ホテルのダンスホールで耳にしていたラテン音楽にかねてから興味を持っており、それとロックをミックスさせるというカルロスたちのアイデアにピンときたのだ。

 こうしてサンタナ・ブルース・バンド改めサンタナの名で再出発した若者たちは、頻繁にフィルモアの舞台に立ち、話題を集めるようになる。ハイライトとなったのが、まだアルバム・デビューすら飾っていなかった69年8月半ばの3日間。金曜から日曜にかけて開催された〈ウッドストック〉の、土曜の夕方というゴールデンタイムに、(裏方としてこのフェスに関与していた)ビルが彼らをねじ込むのだ。ロックの歴史から見ると、これは最高に有意義なゴリ押しだった。

 ブルースをベースとしたサウンドが主流の当時のロック・シーンにおいて、ラテン・ミュージックを採り入れたサンタナの演奏は新鮮だったし、白人であるグレッグ・ローリーのヴォーカルとラテン・ルーツを持つカルロスのギターやパーカッションとの絡みは、他のバンドにはない魅力を備えていた。そのステージの模様は映画「ウッドストック~愛と平和と音楽の3日間~」でも大きなインパクトを与え、同時期に“Black Magic Woman”(70年)がヒットしたこともあり、彼らは一躍人気バンドの仲間入りを果たすのである。

70年のシングル“Black Magic Woman”、2011年のライヴ映像
 
 

 

精神と官能の旅

 ファースト・アルバム『Santana』(69年)とセカンド・アルバム『Abraxas』(70年)を経て、70年作『Santana III』で当時17歳だったニール・ショーン(ギター)が加わり、バンドはさらにエネルギッシュでダンサブルな音世界を構築。2作目、3作目が相次いで全米No.1をマークして絶頂を極めるが、ここで問題が発生した。カルロスがインド出身の宗教家であるシュリ・チンモイに帰依して、自分たちの音楽でも精神性を追求するようになるのだ。それをきっかけにメンバーが次々と脱退。グレッグやニールたちは西海岸ならではのロック性を求めてジャーニーを結成し、大成功を収めたのだった。

70年作『Santana III』収録曲“No One to Depend On”
 

 71年末、オリジナル・サンタナは実質的に解散状態。それでも何とか完成させたのが72年の4作目『Caravanserai』であり、翌年には初の来日公演も実現する。ちなみに、横尾忠則の描いた天才的なアートワークと共に、日本が世界に向けて永遠に胸を張れる名ライヴ盤『Lotus』は、73年7月3~4日の大阪厚生年金会館でのパフォーマンスを収めたもの。以前、僕はこの初来日ツアーについての原稿を〈サンタナは来なかった〉と書きはじめた。

 つまり、自分が本当に観たかった編成ではなかったのだ。ジャズ・シンガーのレオン・トーマス、名コンガ・プレイヤーのアルマンド・ペラーサと、ビッグネームが並んではいたものの、カルロスを支えたオリジナル・メンバーと呼べるのがマイケル・シュリーヴ(ドラムス)、ホセ“チェピート”アリアス(ティンバレス)だけというのはいかにも寂しく、また開演前の1分間に行われた〈瞑想〉にも抹香臭さは増すばかり。頭上にクエスチョン・マークがデカデカと浮かんだことをよく覚えている。しかし、演奏が進むにつれてエロティックなリズムがステージから溢れ出し、結果として、それまで味わったことのないタイプの昂揚感に包まれた素晴らしいコンサートだった。

 いま聴いても『Lotus』がおもしろいのは、客席の戸惑いを反映してか、バンドも最初は硬いのだが、中盤あたりからのインタープレイの密度、とりわけアフロ色を強めたラテン・パーカッション群とカルロスのロングトーンを効かせた官能的なギターによって、会場を熱くしていくのが伝わってくる点で、確かにそれは特別なライヴと言えた。

 以降、サンタナはカルロスのその時々の音楽趣向(ジャズ/フュージョンやレゲエ、ブラジル音楽など)を打ち出しながら、マイペースにキャリアを重ねていったわけだが、99年にまた別のスウィッチが入る。それが、多くのゲストたちとコラボレートしたアリスタ移籍作『Supernatural』だ。ここから“Smooth”など複数のシングルが大ヒットし、グラミーではその年の最多となる9部門を受賞という、バンド史上最高の成績を上げた。世界中が〈サンタナ・マジック〉、すなわちラテン音楽とロックが濃密に混ざり合う楽しさに、改めて夢中になった瞬間と言っていい。グループのキャリアを踏まえた陽気なサウンドが人々を虜にし、2000年代以降はそうした方向性を推し進め、アルバムでは積極的に若手スターをフィーチャー。ライヴも歴代の代表曲を織り交ぜた演出で、どんな人でも楽しめること間違いなしのエンターテインメントとして完成されていった。

99年作『Supernatural』収録曲“Smooth”

 

 

〈クラシック・サンタナ〉の復活

 しかし、カルロスとかつての仲間たちの頭の片隅には、例の宿題がずっと残っていたようだ。そして、年齢を重ねることでわだかまりも薄れ、自然と互いに歩み寄っていったのだろう。数年前からカルロスがインタヴューなどで語ったり、ニールがSNS上で呟くなど、ファンをそわそわと落ち着かなくさせていたのが、幻に終わった初期メンバーによるアルバム、そう、『Santana IV』の噂だった。

 レコーディングはカルロス、グレッグ、マイケル・カラベロ、マイケル・シュリーヴ、ニールという、いわゆる〈クラシック・サンタナ〉に、現メンバーのベニー・リートヴェルド(ベース)、カール・ベラーゾ(パーカッション)を加えた7人編成で行われた。懐かしのメンツだけであれば、どこか回顧趣味的なサウンドに流れていたかもしれない。だが、いまもフロントラインで精力的な活動を続けているプレイヤーが参加することで、アグレッシヴさが随所に盛り込まれ、活き活きとした音が鳴らされている。

 新旧メンバーが一緒に曲作りを行った“Caminando”や“Fillmore East”“Come As You Are”などは、まさしく〈III〉の続編と位置付けるに相応しい出来だし、先行シングルとなった“Anywhere You Want To Go”や“Shake It”でのグレッグの骨太なヴォーカルを聴いていると、改めて〈73年に自分が観たかったのは、このバンドだ〉との思いが沸き上がってくる。もちろんカルロスのギターも負けてはいない。この人にしか出せない熱い涙を引き出すセンティメントが炸裂した“Suenos”での官能的な陶酔感は、きっと新しいファンを生み出すことだろう。また、アイズリー・ブラザーズロナルド・アイズリーもゲスト・シンガーとして2曲参加と、サンタナだけじゃなく、ひとつの時代への讃歌のようになっている点も素晴らしい。

 カルロスは「魔法に掛かったようだった」と言い、ニールは「カルロスと僕はかつてより繫がっているように感じる」と発言。ファースト・アルバム『Santana』のジャケットを発展させたようなアートワークも、メンバー同士のリスペクトとマジックが作り出したこの〈奇跡の一枚〉を、さらにスペシャルなものとしている。長い時を超えてこんなことが現実に起こるのだから、音楽って本当におもしろい。