COLUMN

80年代半ばのUKロック・シーンにギター・サウンドの復権を促したスミスの足取りを振り返ろう

【PEOPLE TREE】 スミス Pt.1

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  • 2017.10.31

煌びやかなシンセの音を聴いても気分は晴れなかった。それどころか虚しさは募る一方だった。そんな人々の心の穴を埋めるように、垂れ込めた雲の下でギター・サウンドが響き渡った。活動歴はたったの5年。マンチェスターから現れ、瞬く間に伝説となったスミスという名のバンド。拭い去れない孤独、不条理な社会への怒り、ナルシシズムと自己否認、報われることのない愛──解散から30年が経ったいまもなお、私たちはこの歌を求め続け……

 

 昨年9月、英国政府観光庁の招待でマンチェスターへ訪れた。その際、音楽と縁のある場所をインスパイラル・カーペッツのクレイグ・ギルに案内してもらったのだが、彼がもっとも時間を割いて紹介してくれたのはスミスの3作目『The Queen Is Dead』(86年)のアートワークに写っているサルフォード・ラッズ・クラブだった。中心部から少し離れた、お世辞にも治安が良いとは言えないエリアに建つ青少年クラブで、現在はメンバーの写真やファンのメッセージ・カードを所狭しと貼ったスペースも設けられ、世界中の人がひっきりなしに訪れる、言うなれば聖地。その古びた児童館のような佇まいの中に身を置き、重く淀んだ空気を吸い込み、スミスの音楽が孕んでいる失望や疎外感、怒り、平凡な暮らしの光景が自分の中で急にリアルなものとなった瞬間を、いまも鮮明に思い出す。

 解散からちょうど30年。彼らの人気はむしろ現在のほうが高まっているのかもしれない。年月の経過がもたらす評価の増幅もあるが、一度聴いただけでは魅力を理解できなくても、絶対的に支持されているためわかるまで聴き続けた結果、スミスから逃れられなくなり……といったリスナーが年々増えているように思うのだ。このたびリリースされた『The Queen Is Dead: Deluxe Edition』は、まさにそんなファンにとって思いがけない新たな福音となるだろう。

THE SMITHS The Queen Is Dead: Deluxe Edition Rough Trade/Warner UK/ワーナー(2017)

 

希望なんて存在しない

 87年の解散から遡ること5年。スミスが誕生した82年の英国では、マーガレット・サッチャーの打ち出した〈サッチャリズム〉と呼ばれる政策が推し進められていた。事業民営化と規制緩和、公共投資の抑制、社会保障の支出拡大、そして消費税率の引き上げ――79年に始まったこの経済政策は首都ロンドンに富の一極集中をもたらし、地方を疲弊させていく。造船所や製鉄所、炭鉱の閉鎖が相次ぎ、失業率は急上昇。84年には12%にまで達した。当時の閉塞感は映画「リトル・ダンサー」や「フル・モンティ」、「パレードへようこそ」からも窺うことができるはずだ。かつての産業革命の中心地となった工業都市のマンチェスターにも不況の嵐は襲い掛かり、共に労働者階級のアイルランド人を両親に持つモリッシー(ヴォーカル)とジョニー・マー(ギター)が、現実社会に明るい未来や希望を見い出せず、音楽に没頭していったことは想像に難くない。そんな2人が出会ったのは78年。場所はパティ・スミスのライヴ会場だった。後にシアター・オブ・ヘイトやカルトで活躍するビリー・ダフィからモリッシーを紹介されたマーは、モリッシーの書く歌詞に感銘を受けてバンド結成を思い描くようになる。60年代のポップスやロックンロール、70年代のグラム・ロックが好きという互いの共通項を確認した2人は、知り合って4年後にアンディ・ルーク(ベース)とマイク・ジョイス(ドラムス)を迎え、英語圏でもっとも平凡なファミリーネームのひとつを掲げて本格的に活動を開始するのだった。

 景気は最悪だったマンチェスターだが、音楽シーンは活況を呈していた。職のないワーキングクラスの若者たちにとって地元のファクトリーがリリースするレコードと、同レーベルが運営するクラブ・ハシエンダは、厳しい現実を忘れさせてくれる一時のシェルターになっていたのだ。モリッシーとマーはファクトリーのオーナーであるトニー・ウィルソンにデモテープを渡すも契約には至らず(後にトニーは〈人生最大の失敗だった〉と後悔している)、EMIなどメジャーからも門前払いを喰らう。そんななか、ある男が4人に手を差し伸べた。そう、ラフ・トレードを主宰するジェフ・トラヴィスだ。ジェフは83年5月にシングル“Hand In Glove”でバンドをデビューさせ、その直後、過去には単発契約しか結んでいなかったラフ・トレードが初めて複数枚の契約をスミスと交わすことになる。“Hand In Glove”の反応は芳しくなかったが、続くセカンド・シングル“This Charming Man”とサード・シングル“What Difference Does It Make?”は全英チャートでそれぞれ25位と12位にランクイン。一躍、注目株として騒がれるようになっていった。

 84年2月にはファースト・アルバム『The Smiths』を発表。当初は元ティアドロップ・エクスプローズのトロイ・テイトをプロデューサーに迎えてレコーディングしていたが、メンバーがクォリティーに納得せず、ロキシー・ミュージック作品で腕を振るったジョン・ポーターを代役に起用して完成まで漕ぎ着けている。制作過程で紆余曲折はあったものの、同作は全英2位を記録。新人では破格のこの成績は、独自の視点で切り取った日常の出来事や社会問題を鮮烈に歌うモリッシーの姿が、人には言えない悩みや怒りを抱えていた若者から広く共感を集めた結果だろう。もちろん、カルチャー・クラブやデュラン・デュランらカラフルで享楽的なシンセ・ポップが全盛の時代に、粗削りながらも心の琴線に絶えず触れるマーのギター・リフが新鮮に響いた、というのも人気に火が点いた大きな理由。そうした好況をキープしようと、同年11月にはBBCのセッション音源とアルバム未収録のシングルをまとめた編集盤『Hatful Of Hollow』もリリースされている。

 当時はまだ差別視されていたゲイを楽曲のテーマにしたり、IRA(アイルランド統一を掲げて北アイルランドを英国から分離させ、凄惨なテロ行為を繰り返した武装組織)への支持を匂わせたり、バンド・エイドと発起人のボブ・ゲルドフを痛烈に批判したりと、モリッシーの歌詞や言動は常に注目されていたが、85年2月に登場したセカンド・アルバムのタイトルで彼はさらにセンセーショナルなメッセージを打ち出すことに。それが『Meat Is Murder』。〈肉食は殺人だ〉という身も蓋もないこのタイトル、日本盤の帯には〈肉喰うな!〉と赤文字で大書されていた(言わずもがな、INUの81年作『メシ喰うな!』のもじりで、両アルバムはかつて同じレコード会社からのリリース)。よりアイロニカルになって表現力が高まっていたモリッシーの言葉と、水を得た魚のように活き活きと変幻するマーのギターによって作品の完成度は上がり、見事に全英1位をマーク。各メディアが発表するその年のリーダーズ・ポールでも上位を独占した。

 

深まる不信感、埋まらない溝

 その一方でシングルのセールスは伸び悩み、メンバーはラフ・トレードに対して不信感を募らせていく。と同時に、アンディのドラッグ中毒や84年にキャンセルしたヨーロッパ・ツアーの賠償金支払いをはじめ、バンドの周辺でトラブルが多発。そうした状況下にありながら、彼らは85年11月にサード・アルバム『The Queen Is Dead』を完成させる。もともとは〈Margaret On The Guillotine〉と名付けられる予定だったというが、それに勝るとも劣らない衝撃的なタイトルだ(なお、ボツになった案はモリッシーがソロへ転向した際、改めて曲名に採用している)。〈さあ、タイトルも決まったし、いよいよ発表するぞ!〉と意気込んでいた最中、4人が他のレーベルへ移籍しようとする気配を察知したラフ・トレードは裁判所に申し立て、リリースを延期させてしまう。結局、もう1枚アルバムをラフ・トレードから出すことで両者は合意。86年6月にようやく『The Queen Is Dead』は放たれ、全英2位を記録している(首位を阻んだのはジェネシスの『Invisible Touch』だ)。

 外側からは順風満帆に見えていたものの、全米ツアーによる疲弊や契約問題、アンディのリハビリによる一時脱退と、それに伴うクレイグ・ギャノン(元アズテック・カメラ~ブルーベルズ)の加入など、内側はゴタゴタしていた。結局アンディは2週間で復帰し、急遽5人編成でツアーを回るも、ツアー終了後にクレイグはグループを去り、ふたたび4人組に戻ることとなる。なお、彼が在籍した期間はわずか半年ほどだったが、短く貴重な5人組時代に行われたマサチューセッツ州マンスフィールドでのライヴ音源が、今回の『The Queen Is Dead: Deluxe Edition』のDisc-3に収められている。

 そのマンスフィールド公演の翌月にあたる86年9月、スミスはEMIへの移籍を発表。すぐさまラフ・トレードからのラスト・アルバム作りに取り掛かり、かねてからエンジニアリングを任せていたスティーヴン・ストリートと共にスタジオへ入る。が、全米ツアーを機にこじれはじめていたというモリッシーとマーの関係性が、この頃から表立って悪化。マネージメント面も担うマーのストレスは爆発寸前だった。そのことを知ってか知らずか、モリッシーはレコーディングを突然キャンセルするなど非協力的な態度を取るようになっていく。そんな危うい状態のもと、『The World Won't Listen』と『Louder Than Bombs』という2つのコンピレーションを間に挿んで、4枚目のオリジナル・アルバム『Strangeways, Here We Come』が出来上がる。これまでよりも大幅にホーンやストリングス、シンセサイザーなどを導入し、ギター・サウンドに頼らないプロダクションを構築したのは、あきらかに〈前作の続編を作らない〉という意思表示。スミスの新たな方向性を打ち出していたのだが、皮肉なことにリリースされたのはバンドの解散がアナウンスされた直後の87年9月だった。

 もしも信頼できるマネージャーに出会えていて、なおかつ不毛に終わったアメリカ進出さえなければ、4人の物語は続いていたかもしれない。しかし、解散と時を合わせるようにして英国の経済は徐々に回復。90年代半ばには100年ぶりとなる好景気になり、〈クール・ブリタニア〉と呼ばれる時代を形成していく。スミスは最悪の時代を生きたグループであった。重くのしかかるのは鉛色の雲だけでなく、社会全体にもあった。そして解散から30年が経ったいま、やりきれない時代を背負った彼らの音楽は地球規模で社会的弱者が増えているなか、ふたたび揺るぎないリアリティーを持って私たちの心情を揺り動かす。『The Queen Is Dead: Deluxe Edition』は、その端緒となることだろう。

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