本作のタイトルにもなっている〈草木萌動〉という言葉をググってみる。四文字熟語で、次のような意味を表すという。「〈草木 萌(めば)え動(いず)る〉と訓読みされまして、草木が芽を吹き始めるころの季節です。古代中国で考案された七十二候でいうと、第六侯(3月1日~3月5日)にあたります」「春の訪れを感じ、新しい命が土の中や枝々からいっせいに芽生え始める時期を表します」(〈福島みんなのNEWS〉より)。

いまは空気の冷え込んだ12月とはいえ、長谷川白紙のCDデビュー作品となる『草木萌動』を聴いていると、タイトルに掲げられた言葉に嘘はないと感じる。淡く新鮮な緑色をした植物の芽が一斉に勢いよく土を割って出てくるような、そんなイメージが思い浮かぶのだ(もちろん〈草〉や〈萌〉がネット・スラングにかけられているという点も、彼の作家性と無関係ではないのだろうが)。例えば、オープナー“草木”のイントロ。フランク・ザッパのような奇妙なアンサンブルが目まぐるしく駆け抜けた後にぶわっと視界が開けていくような展開は、その複雑さとは対照的に、実に清々しい。

せわしない、ときにドラムンベース風にバタつくビートが、異様な速さのBPMで駆け抜けていく。その合間を縫って響くシンセサイザーやエレクトリック・ピアノ、管楽器、ヴォーカル。ジャズやフュージョンの意匠を感じはするが……いったいこの音楽はなんなんだろう? その複雑さ、ハイブリッド感はまるでつかみどころがなく、(相磯桃花が描く本作のカヴァー・アートのように)ときにグロテスクでさえある。

そのいびつさを、澄んだ音像と、どこか気怠げだがエモーショナルな歌唱が親しみやすいものにしている。ポップだけれど、ポップじゃない。ポップじゃないけど、なんだかポップ。引き合いに出されるべきは、ジェイコブ・コリアードリアン・コンセプト、あるいはスクエアプッシャー? “はみ出す指”や、長谷川が編曲で参加したBOMIと入江陽の“ナニカ”からは、Corneliusへのリスペクトが感じられる(ここで彼がカヴァーしているYMOの“キュー”は、Corneliusもカヴァーしている)。が、圧倒的な、強烈な主張をもったオリジナリティーが、ありとあらゆる先達たちの音楽を組み敷いてしまっている。いったいこの音楽はなんなんだろう?

聞けば長谷川はまだ10代、現役音大生だという。〈アンファン・テリブル〉という言葉は彼のためにこそあるのでは――そんな気持ちさえ抱かせる。衝撃の『アイフォーン・シックス・プラス』から約1年、〈名刺代わり〉というには余りある、おそろしいほどの勢いと音楽的興奮、前衛性に満ちた怪作の登場だ。