INTERVIEW

オランダのクラシック専門レーベル〈PENTATONE〉録音技師、ジャン=マリー・ヘイセンが語るレーベルの歩みと展望

オランダのクラシック専門レーベル〈PENTATONE〉録音技師、ジャン=マリー・ヘイセンが語るレーベルの歩みと展望

ハイエンド・マルチチャンネル・サラウンド・レコーディングに特化したオランダのクラシック専門レーベル

 最近仕事で「酒」に関係する方々に話を訊いたり、作り手のもとを訪ねたりする機会があるのだが、クラシック音楽とモルト・ウィスキーの歴史やトレンドはよく似ていて驚かされる。

 かつてウイスキーは複数の酒を混ぜて作る「ブレンデッド」が主流だったため、蒸留所は自らの酒を樽ごと業者に販売するのが主な仕事だった。だが、近年は単一の蒸留所の製品を樽詰めする「シングルモルト」の人気が高まっており、蒸留所はこれらを「オフィシャルボトル(蒸留所の元詰め)」としてリリース。そして現在は、このオフィシャルを買い取り、独自の方法で熟成させる「ボトラーズ」という業者まで出現。蒸留所の魅力や個性をオフィシャルとは異なる切り口で商品化しているのだ。

 こうした動きは、1980年代から現在にかけてのレコード業界の動きと奇妙なまでに相似形を成している。帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンらが君臨した1980年代末頃までは、少数の「メジャー・レーベル」が圧倒的なシェアを誇り、そのいずれかの会社に属せるかどうかがアーティストの成否にも大きく関わっていた。だが、21世紀に入る前後からは録音や再生の技術が格段に進化&簡易化したこともあり、レコード会社の形が多様化。それらの新興レーベルは「インディーズ」と呼ばれ、アーティストの人選から録音技術、再生方法に至るまで、実に個性的な作品を発表し、百花繚乱の賑わいを見せていることはご存知の通りだ。

 そんなインディーズの世界的代表格のひとつと言えるのが、オランダの「PENTATONE」レーベル。ハイエンド、マルチチャンネル・サラウンド・レコーディングに特化したこのクラシック専門レーベルは、2001年にメジャーの名門「オランダ・フィリップス」の幹部たちによって設立された。ほぼすべてのタイトルをSACDハイブリッド盤でリリースしているので、日本でも多くのオーディオ・ファンから支持を獲得。レーベルとしてのさらなる成長と成熟が期待される最中、バランス・エンジニア(録音技師)として辣腕を振るうジャン=マリー・ヘイセン氏が来日し、これまでの歩みと展望をたっぷり語ってくれた。

 母国のハーグ王立音楽院でオーディオ録音の理論と技術を学んだヘイセン氏は、1988年から1990年までフィリップスのリマスタリング・エンジニアを務め、その後はフリーランスに転進した。

 「フィリップス時代に最初に手がけた仕事のひとつが、小澤征爾指揮・水戸室内管弦楽団の『ビゼー&ラヴェル作品集』だったので、日本にはとても親近感があります。当時のプロデューサーは厳格なことで有名なヴィルヘルム・ヘルヴェック。私は録音に関する"すべて"に近いことを彼から学びました。演奏家とともに作品を研究した後、一度全部を解体してから、それらをひとつひとつ綺麗に磨き上げ、全体を組み立て直してゆく。録音にはそういう献身さと根気強さが必要であることを、ヘルヴェックは言葉でなく、行動で教えてくれたのです」

 フリーランスとなってからも、フィリップスのエディター、リマスタリング、オーディオ・エンジニアとして同レーベルと深く関わり続けたヘイセン氏。その後、98年にフィリップス・クラシックスの技術者陣が「ポリヒムニア・インターナショナル」という新会社を立ち上げた際、彼はバランス・エンジニアとして参画。同社はPENTATONEの録音とマスタリングを一手に手がけている。要するに彼は、ポリヒムニアの一員として、PENTATONEの録音を担当しているという訳だ。

 「私は本来、バロック音楽の録音をプロフェッショナルの中心に置いているのですが、今はそうも言っていられませんから(笑)。これまでにアルフレッド・ブレンデル(p)、ジョン・エリオット・ガーディナーワレリー・ゲルギエフ、小澤征爾、ファビオ・ルイージイヴァン・フィッシャー(以上指揮者)など、名だたる巨匠の録音に参加させていただきました。あと、少々変り種ですが、アンドレア・ボチェッリ(T)の『アモーレ~オペラ・アリア集』や『 セイクリッドアリアズ』などの録音を手がけたこともあります」

 近年も、ミハイル・プレトニョフ(指揮者)、アラベラ・美歩・シュタインバッハー(vn)、児玉麻里(p)などの意欲的なアルバムを次々にリリースしているPENTATONE。中でも、ヘイセン氏が一押しする若手が、ヴァイオリニストのユリア・フィッシャーだ。

 「2009年にオランダのファルテルモントでセッション録音した『シューベルト:ヴァイオリンとピアノのための作品全集』では、あまりに的確で繊細なヴィブラートや情熱的なフレージングに心底驚嘆しました。ピアノのマルティン・ヘルムヒェンとの掛け合いも素晴らしく、まさに"完璧なデュオ"だと思います」

 そしてヘイセン氏が、「近年最も大規模で、思い出深い仕事でした」と振り返るのが、PENTATONE設立10周年を記念したワーグナー録音。主要オペラ(《さまよえるオランダ人》《パルジファル》《ニュルンベルクのマイスタージンガー》《ローエングリン》《トリスタンとイゾルデ》《タンホイザー》《ニーベルングの指輪(4部作)》:以上録音順)を同一の指揮者、楽団、合唱団で行った前人未到のプロジェクトだ。

 「マレク・ヤノフスキが指揮するベルリン放送交響楽団&合唱団とは3シーズンに渡る長期契約。PENTATONEとポリヒムニアの共同制作で、2010年11月から2013年3月にかけての公演とリハーサルを完全収録しました。しかも、ワーグナー生誕200年の2013年中すべてリリースするという超ハードワークだったんですよ(笑)。編集後のミキシングは、簡単なものから難しい順に、ステレオミックス、サラウンドミックの行程で取り組みました。あと、映画などのエフェクトであるLFEのチャンネルは音楽に使うべきではないという考えから、一切使用していません。それに、LFEのレベル設定は再生環境ごとに異なるアコースティックの影響を大きく受けやすいのです」

 2015年にはチェリストのヨハネス・モーザーと専属契約を結び、その第1弾として「ドヴォルザーク&ラロ:チェロ協奏曲集」をリリースしたPENTATONE。若手実力派指揮者のヤクブ・フルシャと、その手兵プラハ・フィルハーモニアの好サポートもあり、2人の作曲家の真髄がそこには記録されている。演奏のみごとさや、ヘイセン氏らによる高水準の録音技術。さらに近年は、ジュエルケースにスリーヴ・ケース付き仕様の豪華パッケージも徹底し、「アルバム」としての完成度を隅々まで追求する彼ら。その姿は、今はなきフィリップスの職人魂が健在であることと、前述のウイスキー・ボトラーズの独創的な取り組みや努力に重なるものを、確かな手ごたえで感じさせてくれる。

ヨハネス・モーザーの2015年作『ドヴォルザーク&ラロ:チェロ協奏曲集』オフィシャル・ビデオ 

 


 

Jean-Marie Geijsen(ジャン=マリー・ヘイセン)
PENTATONEの録音、マスタリングを担当するポリヒムニア・インターナショナルのバランス・エンジニアの一人。1984~1988年ハーグ王立音楽院にてオーディオ録音について学ぶ。1988~1990年にマスタリング・エンジニアとして働き、その後はPAエンジニアとして独立。1990年からはフリーランスとしてフィリップス・レーベルのエディター、リマスタリング、オーディオエンジニアの仕事を手掛ける。現在、クラシック音楽、特にバロック音楽の録音のスペシャリストとして活躍。

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