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普通に説明するだけじゃつまらない

――〈Jazz Thing〉の前半の原稿(1部:ジャズをめぐるサウンド史)がすごくおもしろいんですけど、歴史のストーリーというよりは原さんの思考のプロセスがすごくストーリー的になってると感じたんですよ。ある意味でDJが自分でかけた曲をもとに次の曲を選んで繋いでいくような。

「無理に繋げようとは思わないんだけど、繋がりがあっても見えてこないこともあるじゃないですか。例えば、ザ・ルーツはヒップホップの文脈で取り上げられてることに、ずっと違和感があったんですよ。というのは、彼らがどこから出てきたのかがあまりはっきりしてなくて。結局初めから〈ヒップホップ・バンド〉と言われてるだけで、ヒップホップ的には中途半端な感じがずっとついてまわっていた。バンド自体は有名になっても、結局彼らのことを、誰もというと言い過ぎかもしれないけど、語れてないなと。

それを語るためには、スティーヴ・コールマンの話からちゃんと書かなきゃいけないんじゃないかなって思って。逆にコールマンを紹介してたジャズのメディアは、ザ・ルーツに全然注目してなかったので、その2つをちゃんと書けば、さらに何か発見してくれる人も出てくるかもしれないなって」

――原さんはジャズについても昔から書かれていて、90年代はレアグルーヴとかサンプリング・ソースみたいな話が多かったですけど、やはりそれとは別の書き方をしていた。それには何かきっかけが? 例えばDJでレアグルーヴものをかけてたりはしませんでしたか。

「かけてないと思う。当時は12インチで、ドラムンベースとかそういうのを普通にかけてましたよ」

――DJでプレイするのとはまた別にレコードを買ってたんですね。例えば、サン・ラーとかオーネット・コールマンみたいなものを。

「レコードは好きですけど、僕は全然コレクターじゃないし、レア盤とかもさほど興味がないんですよね、正直。もちろん聴けるなら聴きたいけど、それは僕の仕事ではないかなと。自分の仕事は、例えば新しい音楽と昔の音楽との間にどういう繋がりがあるのかとか、同時代の音楽たちが横にどういう繋がりがあるのかとか、そういう繋がりを見せていくようなことなのかなって」

――原さんの原稿には、例えばジャズと親和性のあるクラブ・シーンのビートメイカーと、ジャズ・ミュージシャンが同時に登場しますが、互いにサンプリングをしたとか影響を受けてると公言してるわけでもないのに、両者を繋げて書いている。それは両方の音楽を聴いてて共通するものなり何なりを感じて書いてるんですか。

「そうですね」

――例えば、「ユリイカ」からオーネット・コールマンの原稿を依頼された時は、オーネットを聴き込んだら別のアーティストのサウンドが浮かんだ、というところから書いたんですか?

98年11月号のオーネット・コールマン特集。原は〈「もう一つのジャズ」 への迂回〉という原稿を執筆

「90年代、オーネットは評価のされ方が微妙で、クラブ・シーンでは全然評価されてなかったんです。一方で同じく〈踊れない〉サン・ラーはすごく評価されていて、〈Saturn〉の白ジャケのレコードなんてすっごい値段で取引されていた。そういうのを見てて、オーネットは何でダメなんだろうとか、そういうことはずっと思ってて。サン・ラーはクラブ・シーンで精神的なアイコンにすらなってたけど、オーネットは全然そうじゃなくて、その評価軸がわからなかったんですよ。でもオーネットのハーモロディックなファンクって、ポストパンクやヒップホップ以降のビート感と親和性が高いんじゃないかと思ってましたね」

――なぜ評価されて、なぜ評価されないのかの基準がわからないから、逆に気になってよく聴いたと。原さんは〈音楽から解き放たれるために〉でデヴィッド・アクセルロッドについて書いてましたけど、あの原稿も、当時のアクセルロッドの再評価のされ方とは違う視点で書かれていました。当時の文脈としてアクセルロッドは、サンプリング・ソースで、レアグルーヴだったわけですが。

「サンプリングって、過去の音楽をリスペクトする意味性も今は付加されているけど、昔は安いレコードが売ってて、誰がその音楽を作ったのか知らないけど使えるじゃんってことで使われていた。そういうおもしろさが初期のヒップホップにはあったんだけど、そのうち昔のアーティストをリスペクトして掘っていくような視点が出てきて。でも、その両面が極端にどちらにも振り切れずに揺れてきたところが、常にヒップホップやクラブ・ミュージックという広義のサンプリング・ミュージックにはあって、リスペクトと剽窃の狭間にずっといるんですよ。それがスリリングでおもしろいところでもあった。サンプリングはどこかから勝手に取ってくることで気付かないものを気付かせてくれるところがあって、そこは僕が文章を書く時に影響された部分でもあると思う。

ただ、音楽的な構造や成り立ちの部分では、そこだけに収束してしまうとつまらないなと。だから、ポスト・ロックが出てきた時にトータスの話を聞いていて、彼らはサンプリングをしているけど楽器ができるので、影響されたものを音楽的にサンプリングするというか、音楽的に置き替えるみたいな作業を生の楽器でやっている感じがしたのね。その時に、彼らがやっていることのほうがおもしろいと思ったことはあった。サンプリングの次のフェイズとして。ポスト・ロックが出てきて、ああいう楽器のプレイヤーの中でも違う視点を持った人が登場して、レアグルーヴでもないし、クラブ・ジャズでもないし、ストレートなジャズでもないっていうところで出てきたものがおもしろいなと。僕はそういった〈音楽の捉え方〉みたいなところを書いていたのはあったのかもしれない」

――原さんにとってポスト・ロックの影響って大きいんですね。さっきのお話の同じように、自身でレーベルをやってたり、彼らと直接接点があったのも大きいですよね。

「そうですね。トータスやザ・シー・アンド・ケイクは、僕がHEADZにいた最初期に初めて日本に呼びましたし。LIQUIDROOMで、バッファロー・ドーターや竹村延和などにも出てもらって」

――〈Jazz Thing〉のファラオ・サンダースとジョン・コルトレーンについての原稿が、先述のアクセルロッドの原稿の方法論と近いものに感じたんですね。ファラオがクラブ・ジャズでどう評価されているかを出発点に、ファラオ・サンダースが何かってことを炙り出した文章なのかなって気がしたんです。定番の語られ方とは違う視点を提供していくというのが原さんのテーマとしてあるのかなと。

「単に書き手として、普通に説明するだけじゃつまんないなっていうところじゃないのかな。あの原稿は〈コルトレーンはクラブ・ミュージックにどういう影響を与えたのか〉みたいなお題があったんだけど、自分としてはクラブ・ミュージックだったらコルトレーンじゃなくてファラオだよねっていうところだったので。それでファラオのことを書いて、コルトレーンとは違うよってことを書いたんです」

――基本的に書くきっかけが自身にないのは、やっぱりおもしろいですよね。

「〈Jazz Thing〉の〈Qティップとジャズ考〉も柳樂くんから依頼されたものだしね」

――依頼されて書いた記事なのに、いろんなところで微妙に繋がっている。〈Jazz Thing〉の各原稿も、それぞれが繋がっていて、ジューク/フットワークについて書いていてもオールネット・コールマンが出てきてジャズの話に繋がるんです。

「オーネットは意識的に入れたんです。ジュークってシカゴだから、シカゴ・ハウスの話も入れました。文中にもあるけど、昔シカゴでトータスらの取材をした時もポスト・ロックやジャズだけじゃなくて、シカゴ・ハウスの話もしてたから。そうやって、結果的に全部繋がってくるんですよね」

――原さんの原稿はそうやって何十年分が見えない線で繋がっている感じがあるんですよ。今回〈Jazz Thing〉を読んで、〈音楽から解き放たれるために〉に書かれてた可能性の答えが見つかったような部分もあるし、〈Jazz Thing〉もここで一区切りじゃなくて、今、ringsやdublab.jpでやっていることと一緒に、次の10年とかにまた作用していく気がします。