INTERVIEW

原雅明はなぜ特殊で特別な音楽評論家なのか? 柳樂光隆が新著「Jazz Thing ジャズという何か」の核心に迫る

(左から)柳樂光隆、原雅明
 

新しい音楽は〈ジャズという何か〉から生まれている――音楽ジャーナリスト/ライターの原雅明が新著「Jazz Thing ジャズという何か ジャズが追い求めたサウンドをめぐって」を刊行した。

2014年に始めた音楽レーベル、ringsの運営なども精力的に行う原は、編集者を経て80年代後半に執筆活動を開始。佐々木敦とのHEADZ設立や雑誌「FADER」の創刊、共にLA発のビート・ミュージック屈指のパーティー〈LOW END THEORY〉とネット・ラジオ〈dublab〉の日本ブランチの企画など、ライターとしてだけでなく様々な形で国内外のプログレッシヴな音楽を紹介してきた尽力者だ。

★参考記事:いま、なぜ原雅明の周辺が面白いのか―ringsを立ち上げた音楽シーンのキーパーソン、その自由なバランス感覚の秘密に迫る

〈ジャズをめぐるサウンド史〉〈ジャズというなにかをめぐる実践的覚書〉の2部構成となる本著は、ヒップホップ~ポストロック、エレクトロニック・ミュージック、ジューク/フットワークなど〈ジャズという何か〉が存在する音楽と共に、これまで語られなかった〈80年代以降の越境するジャズ史〉を記した論考集だ。今回は書籍の刊行を記念して、原も寄稿する〈Jazz The New Chapter〉シリーズの監修で知られるジャズ評論家の柳樂光隆が原へインタヴュー。原の音楽評論家としての特異性にフォーカスした、濃密な対話となった。 *Mikiki編集部

原雅明 Jazz Thing ジャズという何か ジャズが追い求めたサウンドをめぐって DU BOOKS(2018)

 

原雅明という人は非常に特殊な音楽評論家だ、というとご本人は嫌がるかもしれないが、僕にとって原さんは特殊で、特別で、いつも唯一無二の原稿を書く人だった。彼が書く原稿はいつもとびきり個性的だった。でも、それは奇をてらっているわけでも、誇大な物語をぶち上げるのでもなく、むしろ慎ましさと丁寧さがあり、ある種の不器用さみたいものさえ感じる時がある。すでに書かれていることは書かないストイックさみたいなものもあった。

原さんが書く原稿は、今そこにある情報や、トレンドに至った文脈を整理するプロモーション的なものではない。その音楽が持つ可能性みたいなものについて、考えを巡らせた経緯が記されている、思考のドキュメントのようなものだと僕は思っている。それはその音楽が持つ、まだ気付かれていない可能性だったり、その音楽が生まれたことがこれから何かに繋がっていく予感に気付いた原さんが、論理的に文章化していく作業のプロセスが記されたもの、と言ってもいいのかもしれない。原さんは僕ら読者に答えを提示するのではなく、〈ここから一緒に考えよう〉と僕らの背中を押すような文章を書いていると僕は思っている。

僕は〈Jazz The New Chapter〉「Miles Reimagined 2010年代のマイルス・デイヴィス・ガイド」などの自分が監修した本の中に、そのように原さんが音楽から聴き取った〈可能性の種〉を載せたくて、というよりも僕自身がそれを読みたくて、いつも原稿を頼んでいた。

新著〈Jazz Thing ジャズという何か〉を読んでみて、原さんは一つの原稿の中でそうであるように、長年音楽について書くなかで思考を巡らせ続けていて、未知の可能性を探し続けているんだなと思った。過去の原稿で記した可能性という名の問いのようなものへの回答が、後々、別の原稿で提示されていたりすることの繰り返しで、様々な点と点がいろんな場所で繋がっている。

新著には僕が依頼した原稿が載っていることもあり、この取材で本のディテールについては訊かなかった。それよりも、原さんに〈どうやってこのようなスタイルになったんすか?〉とか、〈そもそもいつも何考えて書いてんすか?〉みたいなことを訊いてみたくなった。普段なかなか原さんが語ってくれなさそうなライター論、批評論みたいな話になっているが、一方で、音楽の聴き方のヒントになる話にもなっていて、〈音楽(ジャズ)をどう書く(聴く)か〉について質問攻めにした本稿は、〈Jazz Thing〉の核の部分を知るためのガイドにもなるかもしれないと僕は思っている。


 

すべてが理路整然と並べられていると、発見する楽しみを逃してしまう

――あとがきにも書いてましたけど、〈Jazz Thing〉は前著の「音楽から解き放たれるために: 21世紀のサウンド・リサイクル」(2009年)と繋がっているというか、その延長みたいなところがありますよね。

「そうですね。〈Jazz Thing〉は80年代以降とジャズにテーマを絞りこんではいるんですけど」

――今回久しぶりに〈音楽から解き放たれるために〉を読んでみたんですけど、この頃ってクラブ・ミュージックとその周辺についてかなり書いているじゃないですか。でも、一般的なクラブ・ミュージックの雑誌に載ってる文章と全然違う感じですよね。例えば、DJ的に使えるとか使えないとかって話が全然ない。つまり、クラブ・ミュージックについて書いているのにDJに向けた〈お買い物ガイド〉的なところがなくて、どこに需要にあったのかがあまりわからない文章だなと。これはどういうことを考えて書いてたんですか?

「その本は90年代中頃から2009年くらいまでに書いた原稿を集めたもので、時代も扱っているジャンルも結構幅があるんですけど、その頃書いてた媒体がクラブ系の雑誌が多かったんですよ。それで頼まれるのがジャズ寄りのものとかポスト・ロック、それから音響っぽいものやエレクトロニカとか、クラブ的でも踊れないもの。あとインストのヒップホップとかだったんですよ」

――オルタナティヴなものが集まってきていたと。

「そう。別にそういうのがやりたいって言ったわけじゃなくて」

――当時DJ的に使えなさそうなものはいっぱいありましたけど、一応DJカルチャーと関係あるように12インチとかも出てて。クラブ系のメディアの紹介の仕方はそれに対する商品解説というか、DJに売らなきゃいけないところもあったじゃないですか。でも、原さんの文章ってそういう感じがなかったんですよ。

「90年代の後半頃は渋谷のレコ屋に行くのが日課だったんですけど、その頃から情報量だとレコ屋に負けるなって思ってたんですよ。だから〈新しい〉とか〈いい〉と即物的に宣伝するんだったら意味ないし、だったらもうちょっと違う紹介の仕方をしたいと思ったんです。

ちょうどその頃、セオ・パリッシュとマッドリブに取材したんだけど、セオ・パリッシュなんて〈サウンド・スカルプチャーを大学で専攻してた〉とか、いきなりジョン・ケージの話をはじめるんですよ。マッドリブは自分の父親(オーティス・ジャクソン)の話とかジャズの話をしてて。でも、クラブ・ミュージックの流れの中でそんなバックボーンについては全然紹介されない。だから、シーンがどうとか踊れるかとかそういう部分だけじゃなくて、サウンド面やバックボーンを伝えたほうがおもしろいんじゃないかなって」

――でも、一方で原さんはDJもやってたじゃないですか。自分がDJをやる時に使いやすいとか、そういうのは文章に反映しようと思わなかったんですか?

「はい。まあDJは本職だなんて思ってなかったですけど」

――それは切り離して考えていたと。

「確かにDJもやってたけど、僕はDJとして12インチを買ってたんじゃなくて、単純に聴いてもおもしろいものがそのフォーマットで出ていたから買っている感じだったんですよ」

――そもそも12インチって現場の機能性の側面が強いじゃないですか。アルバムに入ってる曲が尺を長くしてあったり、音が太くなってたりして。原さんは、その機能性というところとまったく別の語り方をずっとしてたわけじゃないですか。それって特殊だったなと改めて思うんです。

「自分でも90年代にレーベル(soup-disk)をやって、12インチを切ったりとかしていたので、作り手の立場として使えるか使えないかって判断基準は、一方ではしっかりあったのね。だけど、それと書き手というか批評家としての自分とはちょっと切り離してたのかもしれないです。〈DJ目線だけだと語れないものがあるな〉っていうことなのかな」

――なるほど。僕は、批評家としての原さんの文章に通底しているものって、自身もそんなにはっきりと確信があるわけでもない〈可能性〉みたいなものをずっと書いてる、ということのような気がするんですけど、どうですか?

「うん。そういうものじゃないと書くのだったらおもしろくないと思いますよ」

――〈Jazz Thing〉の前半(1部:ジャズをめぐるサウンド史)も、ひとつの歴史を書いたというよりは、レーベルをやったり、取材をしたり、原稿を書いたりしてきたことから生まれた原さんの〈思考のプロセス〉が書いてあるなと思ったんですよ。しかも、まだ思考の途中って感じがある。それも自覚はあるんですか(笑)?

「それもある。全然ありますよ」

――原さんってものを言い切る部分もかなりあるんですけど、一方で、まだ頭の中でモヤっとしてるものをそのまま出せるというか。それがすごくおもしろいし、一つの特徴なんじゃないかと。

「〈音楽から解き放たれるために〉を書いてる時にすでにそうだったけど、ディスクガイドとかカタログ本みたいなものがすごく増えちゃったでしょ。アーカイヴ化されてわかりやすく見えやすくしたのは確かで、いい面もあるんだけど、その一方でだんだん音楽について書くことの面白味がなくなっちゃった気がしていたんだよね。〈なんだこれ〉みたいなモヤモヤっとしたものを後あと感じたりとか、そういう、音楽を理解するうえでのプロセスが自分にはあって。それが初めからわかった気になっちゃうことに面白味を感じなくなっちゃったんですよ」

――なるほど。

「僕はセレクトショップって苦手なんだけど(笑)、そういうのも同じで、〈セレクトしてくれなくていいや〉というところがあって……。キュレートする人はもちろん必要だと思うんだけど、全部が理路整然と並べられていると、発見する楽しみを逃しちゃう気がして。ジャズ史もそうで、これまで系統だって語られてきたのが今〈Jazz The New Chapter〉とかでまた覆されようとしてておもしろいなと思うけど、依然として今まで語られてきたジャズ史がありますよね。同じようにヒップホップとか他のジャンルでも正史ってものが形成されてそうなってきてると思うんですけど、そこに対して抗いたい気持ちはずっとあるんですね」

――整った歴史みたいなものから零れ落ちたものを書くというか。批評的な関わり方ですよね。原さんは自分の中で意識してる批評家像ってあったりしますか? 僕は蓮實重彦の表層批評とかはちょっと原さんっぽいなと思ったことがあって。〈今このスクリーンに何が映ってるのか〉を語っていくように、原さんもわりと〈今鳴ってること〉に非常に自覚的な書き方をされるじゃないですか。

「なんだろうな、あまり意識したことはないんだけどね(笑)。編集者として映画も扱っていた頃に映画批評で影響力のあった蓮實重彦もそうだし、あと山田宏一もなるほどなと思って読んだりはしてたけど、もしかしたらいまも影響として残っているものがあるのかもしれない」

――音楽評論家ではいますか?

「得るものがあった音楽書はたくさんあるけど……評論家個人でいるかなあ? でも〈Jazz Thing〉を書く上で、『ジャズ・イズ』(82年)のナット・ヘントフや、あとロバート・パーマーやグレッグ・テイトといった、ミュージシャンとの距離に自覚的な評論家が書いたものを読み返してみて、日本のジャズ評論より聴き方や捉え方の提示という面では、いまもしっくり来るものがあると改めて思いましたね」

――海外の雑誌はどうですか? フォームとしては、原さんは海外のメディアの書き方には遠くないんじゃないかなと思うんですよ。インタヴューを引用しながら、自分の視点でストーリーを作る感じとか。

「佐々木敦くんと『FADER』を作る時はよくチェックしてて、特に『WIRE』っていう雑誌からの影響は確かにあったね。『FADER』の初めの頃には提携するようなことも考えていたし。当時、特にクラブ系の媒体は『NME』とかUKの雑誌に影響を受けてて、それこそシーンの話をするような書き方の文章が多かった。でも『WIRE』は同じUKの雑誌でもそういう話じゃなくて音楽そのものとか、パーソナリティーじゃなくアーティストの視点で音楽的にどういうことを考えているかを書いてたんです。多様なジャンルのものが一緒になってるとか、一つのジャンルに特化せずに混ざってるとか、そういうスタンスから出てくる記事はおもしろいなと思って」

――なるほど。

「あと、『WIRE』にも寄稿していたデヴィッド・トゥープの本には影響を受けました。彼が最初に出した『Rap Attack』(85年)という本があって、トゥープ自身が黎明期のヒップホップの現場に行って取材して書いてるんだけど、ラップのルーツを西アフリカの音楽やビバップなどに繋げることをいち早く書いていた。シーンのドキュメントにもなっているけどそれだけではない本で、元々サウンドアート的なことをやってた人が興味を持って書き始めたものだからでしょうね。

その後出版された『Ocean Of Sound』(95年)では、サウンド面からいろんなものを繋げて書いていて、彼がコンパイルしたコンピレーション(95年『Ocean Of Sound』)もおもしろかったし。そういうサウンド面で繋がっているものたちを音と言葉の両方で提示するみたいなやり方には影響を受けたと思うんですよね」

過去の素材を拾って筋道を立てていく作業は、DJの感覚にも近いのかもしれない

――原さんは、音楽の背景の選び方も特殊だと思うんですよ。普通は誰の影響を受けてきたとか、共演してきた人の話とかが多いんですけど、原さんはかなり前から音楽シーンというより地域のコミュニティーみたいなものに着目してましたよね。例えばLAのdublabみたいな地域のラジオをdublab.jpとしてやったり。そういうものに目が向いたきっかけはあったんですか?

「LA勢との繋がりも、向こうからアプローチがきたんですよ。彼らがまだラジオを始める前の98年くらいに、dublabを始めたフロスティとDJのノーバディが日本にやってきて。彼らは僕が当時やってたレーベルの音源をチェックしてたようで〈会いたい〉と言われて、その時に初めて知り合って、今度ラジオ始めるからと聞いたんです」

――カルロス・ニーニョなども彼ら経由で知り合ったんですか?

※原の主宰レーベルdisques cordeから関連作をリリースをしていた

「そう。なのでそのへんはすごく自然に繋がっていった感じなんですよ」

――カルロス・ニーニョが主宰していたビルド・アン・アークに対する書き方も、原さんはほかと違ってたのを覚えています。メディアでは〈クラブで使いやすいスピリチュアル・ジャズ〉みたいな感じで紹介されてましたし、レコ屋でもその感じで売られてたんだと思うんですけど、原さんはコミュニティーの歴史やコミュニティーの教育を介した人との関わり方とかを書いてましたよね。

「それはやっぱり、向こうの情報を直で知っちゃったからというのはデカいのかもしれない。dublabの連中と知り合う前に、Mary Joy Recordingsがリヴィング・レジェンズやフリースタイル・フェローシップとその周りのアーティストとか、LAのアンダーグラウンドなヒップホップの音源をリリースしてたのね。

それでフリースタイル・フェローシップのエイシーアローンらが来日した時、僕は雑誌のblastで彼らの取材をしたんだけど、LAのジャズ・シーンの話になって。〈自分たちのコミュニティーのすぐ近くにワールドステージっていう場所があって、そこでビリー・ヒギンスがジャズを教えていて……〉って話をその時初めて聞いたんです。そんな交流あったんだって思ったし、そしたらカルロスがビルド・アン・アークをやるのも理解できて、そこからだよね。だから、たしかに〈クラブで使える〉とか〈スピリチュアル・ジャズが〉ってのとは違うのかも」

disques cordeからリリースされたカルロス・ニーニョ&フレンズの2012年作『Aquariusssssss』収録曲“Mezame(Awakening)”
 

――それはやっぱりレーベルの運営をしたり、ライターとしての立場とは別の関わりがあったのが大きいですね。

「たまたまなんだけど、そういう繋がりがあったり、作品をリリースするような関係になったから知ることもできたのかもしれないです」

――基本的になりゆきだと。

「行き当たりばったりみたいだけど、まあそうですね」

――以前原さんに〈書きたいものを書くことと、仕事で頼まれたから書くことについてどう思うか〉と訊いたことがあって。この本でも書いているように〈基本的には来た仕事をやってるだけ、自分から進んでやることはない〉と答えてくれたのを覚えてます。でもそれは今もそうですよね。前著も〈Jazz Thing〉もそれまでの仕事をまとめたものですけど、今回はより〈なりゆき〉が繋がりはじめた気がするんですよ。こうやってまとめて読むと、なりゆきで受けた原稿で気付いたことや調べたことがずっと頭の中に残ってて、それがその後にも反映されていってるんだなって。

「それはあると思いますよ」

――だから、最初に何か確信があって結論に向かって書いてる原稿とは違う形になるのかなと。偶然頼まれて書いた記事で浮かんだ小さな思考が、最終的にすごく大きな総体の重要なピースになるんだなと。それは自覚あります?

「基本的に依頼が来たものをこなしてるのはそうなんですけど、記事を書いた時には気付かなかったことが時間がたってから出てきたりもするんですよね。〈Jazz Thing〉でも、過去の取材原稿を読み返して、当時はカットしてた発言を拾ってきたりしているし。

あとはRed Bull Music Academyの仕事もしてたから、そのレクチャーの場での発言を拾ってきたりとかもしてるんだけど、そういう過去の仕事で得た素材を拾って筋道を立てていくような作業っておもしろいんですよ。それはどこかでDJの感覚にも近いのかもしれなくて、思考をチョイスしたり再構成したりする感覚なのかもしれないけど、それで見えてくるものがあるんです。それは初めに結論があってそこに向けて書くのとはまったく違うし、僕は多分それじゃ書けないタイプなんだと思います」

――ずっと手さぐりな感じがありますよね。

「与えられたテーマについて書く時も、何も出てこなくて書いてるうちにあーこうかなって思ってきて、それに向けて書いていくことはありますよ」

――基本的に書きはじめたら繋がっていくと。

「そうそう。書きはじめないと何も見えてこないかもしれない」

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