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【REAL Asian Music Report】第6回 DJ KENSEIがタイやラオスを巡って芽生えた感覚とは? 旅のスケッチ集『IS PAAR』に込めた〈気配〉

大石始が伝えるアジア音楽の最前線

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  • 2016.07.06

「GLOCAL BEATS」(共著)「大韓ロック探訪記」(編集)「ニッポン大音頭時代」(著)のほか、来る7月8日には新刊「ニッポンのマツリズム」を上梓するなど多くの音楽書に携わり、文化放送のラジオ番組「MAU LISTEN TO THE EARTH」(現在は放送終了)ではパーソナリティーとしてアジア情報を発信。これまで世界の音楽とカルチャーをディープに掘り下げてきたライター/編集者/DJの大石始が、パワフルでオリジナルな活況を呈するアジア各地のローカル・シーンの現在進行形に迫る連載〈REAL Asian Music Report〉の第6回をお届けします! 今回は、タイやラオスを旅した〈スケッチ集〉なるビート・アルバム『IS PAAR』を先月リリースしたDJ KENSEIを直撃。今作がどうやって出来上がって行ったのか、リアルな現地でのエピソードの数々を交えつつ、アジアに興味を持ったきっかけから迫っていきますよ。旅先で撮影された素晴らしい写真の数々にも注目です! *Mikiki編集部

 

80年代半ばよりDJとして活動を始めたDJ KENSEIは、言うまでもなくジャパニーズ・ヒップホップおよび日本のクラブ・カルチャー黎明期より活動を続けるレジェンダリーなDJだ。そして同時に、常にさまざまな音楽へと視線を向け、貪欲に自身の世界を切り拓いてきたビートメイカー/プロデューサーでもある。このたび、数多くのDJ/ビートメイカーたちに刺激を与え続けてきた彼がキャリア初のビート集『IS PAAR』(イス・パール)を完成させた。タイと隣国ラオスを旅し、そのなかで出会った音源や人々との交流を通じて制作された音源集には、東南アジアの濃密な空気が真空パックされている。封を切った瞬間、そこからは音と共にタイとラオスの気配がはっきりと伝わってくるのだ。

過去には、屋久島やハイチを舞台にして音源を制作したこともあるDJ KENSEIは、なぜ初のビート集の題材にアジアを選んだのだろう。また、彼が現在アジアへと意識を向けている理由はどこにあるのだろうか。今回は田我流stillichimiyaの面々も参加した『IS PAAR』の制作プロセスを中心に、DJ KENSEIにじっくりとお話を伺った。

DJ KENSEI IS PAAR Mary Joy(2016)

 

2000年代前半には感じなかった感覚が芽生えてきた

――KENSEIさんがアジアに関心を持つきっかけは何だったのでしょうか。

「2000年代前半に、(ディジュリドゥ奏者の)GoRoさんたちとタイのランタ島に行ったことがあるんですよ。でも、その頃はまだそれほどタイの音楽に気持ちが向かっていなかった。向こうへ機材を持っていって、制作もしようと思っていたんですが、電圧が(日本よりも)高いことを知らず、仲間のひとりがミキサーの電源をコンセントに突っ込んだ瞬間爆発しちゃって(笑)」

――爆発(笑)!

「結局何もできなくて、自分がフィールド・レコーディングした音のイメージをFINAL DROPというプロジェクトの『ELEMENTS』(2003年)という作品のモチーフにしました」

※DJ KENSEI、井上薫、GoRo、MATSUDASHINYAによるプロジェクト

――2002年当時、ランタ島では〈Omlette Dub〉という場所で1か月ほどDJもやっていたそうですね。

「やっていましたね。自分はもともとDJとしては西洋のヒップホップやディスコをかけてたわけですけど、90年代後半からそれ以外の音楽にも関心を持つようになって。下地にあるのはブレイクビーツだけど、世界観としては西洋に囚われないものになっていった。〈Omlette Dub〉でDJをやっていたのはまさにそういった時期で、ワールド要素のあるブレイクビーツなんかをかけるようになったのはその頃」

――その頃から徐々に、アジアのさまざまな音楽に関心を持つようになったと。

「でも、当時は本当に〈点〉として聴いていた感じですね。昔シドニーに住んでいたことがあって、近いからバリ島に行ってガムランとかジェゴグに触れていたんですけど、地元の民族音楽として以上の関心はなかった。それ以外のアジアの音楽も聴いていたけど、DJとしては自分のスタイルというものがあったので、(DJでは)あまりかけていなかったんですよ。それが最近になってようやく〈線〉になってきた」

※バリ島西部に古くから伝わる、巨大な竹で作られたガムラン楽器

ジェゴクを演奏する様子
 

――では、今回のアルバム『IS PAAR』をタイとラオスで作ることになったきっかけは?

「〈タイにアルバムを作りに行こう〉という強い想いが最初からあったわけじゃなくて、まずはインドへ行くことになって、その途中でタイに寄ってみようというぐらいの軽い感じだったんですよ。インドは初めてだったので少しハードルが高いかなと思って、まずは慣らすためにバンコクへ行こうと」

――なるほど。

「ただし、ただ旅をするだけだとお金もかかるので、ウェストエンド※1やintroducing! Productionsのミックスの仕事※2を向こうへ持っていって、旅の道中で作ることにしたんです。でも実際に行ってみたら現地の音楽がダイレクトに入ってきて、2000年代前半に行った時に感じなかった感覚が芽生えてきた。それでビートのスケッチを作りはじめたら、だんだん溜まってきて、結果的にアルバムとしてまとめることになったんです。だから、僕にとってはビート集というよりは〈スケッチ集〉という感覚が強い」

※1 NYの名門レーベル、ウェストエンドの7インチ音源をミックスした2015年作『DOUBLE TROUBLE : KENSEI'S WEST END SUPER 7" DELITES』
※2 今年5月にリリースされた『Melancholic Jazz Moon BLK Vinyasa Mix』

――でも、なぜインドに?

「うーん、呼ばれてしまったんですよ(笑)。〈いま行かないといけない〉という感覚になった。インドって、1週間ほど観光旅行するだけだったらいつでも行けると思うんですけど、ある程度長い期間行こうと思うと、何らかのタイミングがないと行けない場所だと思うんですよね」

――それはインドの音楽への関心が高まったということではなく?

「まったくそういうことではなく、そういうタイミングだったんですよね。言葉で説明するのは難しいけど……やたらに〈インド〉っていう文字が目に入るとか(笑)。それでまずはインドに行こう、と」

 

モーラムのテンポ感はヒップホップと似ている

――先ほどタイで〈2000年代に行った時に感じなかった感覚〉を感じたとおっしゃいましたけど、具体的にはどのような感覚だったんでしょうか。

「モーラムにせよルークトゥンにせよ、自分のなかに入ってくるものに対して受け入れる余裕が出てきたという感覚なのかな。2000年代最初の頃に行った際も、もちろん町中でいろんな音楽がかかっていたと思うんですけど、興味がいかなかった。自分自身のバックグラウンドにはやっぱりDJのカルチャーがあって、当時はそのなかで何をやるかという気持ちが強かったわけだけど、一度それを消化することでもう少し視野を広げられるようになったのかもしれない。そのなかで自然とアジアなど、自分たちのローカルな音楽にも目を向けられるようになったというか」

ラオスの村人が歌うモーラム
 
現在も現役で活動するモーラム歌手、アンカナーン・クンチャイのパフォーマンス映像
 

――タイやラオスへ行く前に気に入っていた音源はあったんですか?

「いや、特にはなかったかな。レーベルメイトでもあるstillichimiyaの連中とはいろんな話をしていて、なかでもDJのYOUNG-Gはアジアのヒップホップを集めたミックスCDを出してるから、彼からはいろいろ聴かせてもらいましたね。ただ、現地に行くと空気と一緒に入ってくるから、ピンやケーンの音色ひとつとっても聴こえ方が全然違うんですよね」

※ピン、ケーン:どちらもタイの伝統楽器。ピンは主にタイ東北部を発祥とする三弦のリュート。ケーンは竹製のパンパイプで、日本の笙にも似た音色が特徴

タイの有名レコード店〈スーレンマ・レコード〉店主/DJのマフト・サイ擁するパラダイス・バンコク・モーラム・インターナショナル・バンドによる2013年のパフォーマンス映像。冒頭に映る男性が吹いているのがケーン、1:25~映る男性が弾いているのがピン
 

――確かに違うんですよね。モーラムにせよルークトゥンにせよ、タイのあのジメッとした空気のなかで聴くと聴こえ方が全然違う。タイに限らない話だと思いますけど、そこがローカルな大衆音楽や民族音楽のおもしろさでもありますよね。

「そうそう。タイに行く前からコンピなどでモーラムを耳にしてはいたんだけど、身体にすぐに入ってくる感覚はなかった。やっぱり現地に行ってからですよ」

――KENSEIさんがタイに渡ったのが2015年9月で、帰国したのが2016年3月。トータルで6か月半ですから、結構長いですよね。

「長いですね(笑)。インドは6か月ビザが取れるので、最低でもそれだけはいようと思っていました。インドにいたのが4か月で、タイ~ラオスが2か月ちょい、最後にマレーシアのクアラルンプールに寄って帰ってきました」

――タイ~ラオスのなかでも結構移動してますよね。旅程は最初から決めていたんですか。

「あんまりバンバン移動するといろいろなものを感じられなくなっちゃうかなと思って、ひとつの町にある程度の日数は滞在しようと思っていたんですね。旅程も何となく決めていたんですけど、行けなかったところもあって。ラオスのシーパンドンというカンボジアとの国境近くの町にも行きたかったんだけど、行けなくて。それでイメージで“SI PHANDON”という曲を作ったり」

――どうやってビートのスケッチを作っていったんですか?

「どの町でも生活をしなきゃいけないので、宿に着いたら周辺を歩いて美味しいご飯屋さんを探したり、どこかへ移動したりするわけですけど、そういった特定のシーンのBGMを自分で作っていくんですよ」

――曲名にあちこちの地名が入っているのはそういうことなんですね。“Wualai Street”(チェンマイのウアライ通り)であるとか。

「“Wualai Street”はウアライ通りを原チャリで走る時のテーマ曲(笑)。“Tipanate Enterprize CD Shop”もチェンマイのCDショップの名前で、よく通ってたんですよ。すごく大きいCDショップなんですけど、置いてあるのはタイ・ポップスばかりで、モーラムはほとんどなくて。モーラムはローカルのウィークエンド・マーケットに行くとたくさんあるんですけど、大きいCDショップだとタイ・ポップスと欧米のポップスが主流。モーラムを出してくれと言ったら若い店員に〈そんなの聴くの?〉と言われたり(笑)」

曲名になったTipanate Enterprize CD Shop
 

――日本でいうとまさに演歌の扱いですね。

「うん、そういうことだと思う」

――“Lost Key (of Bike)”や“A Hardcore Driver Looks Like My Friend”という曲名もありますけど、このあたりは実話なわけですね。

「まさに。曲というよりは、そのシーン/情景の効果音的に作っていったような感覚が強いですね。スケッチでもあり、日記でもあるという」

――現地のミュージシャンによる演奏も入っていますよね。そういったミュージシャンとはどのように知り合ったんですか。

「マーケットで演奏しているストリート・ミュージシャンに声をかけたり、日本の知り合いに紹介してもらったり、ラオスに行った時にモン族のミュージシャンを人に紹介してもらったりとか……いろいろ。みんなやっぱり、本当に音楽が好きなんだなあと思いましたね。その空気を楽しみながら録れたらいいなと思いながらやっていました」

――今回はモーラムにビートを乗せるということもやってらっしゃいますよね。そうやって作業していくなかで新たに発見したモーラムのおもしろさや特性はありました?

「まず、モーラムはテンポ感がヒップホップ的なんですよ。BPMが80~90で、ちょうど首を振れるグルーヴ。自分が一番得意なテンポだし、モーラムを聴いているとすぐにビートをイメージできるんです。そういったビートはタイに行く前からずっとやってきたものなので、すぐにスケッチも溜まっていった」

――BPM80~90ぐらいの大衆音楽って世界的にもすごく多いですよね。それこそルーツ・レゲエもそうだし、日本の盆踊り歌や民謡もそれぐらいのテンポのものが多い。

「そうですよね。だから、日本に帰ってきたら〈民謡もモーラムだ!〉と思えるようになって、民謡にもすごく興味を持つようになりました」

――そういえば、70年代のエチオピアのジャズを感じさせるトラックもありますね。

「実はそうなんです。“Ethiopian Cash”なんかはまさに。僕の知り合いにエチオピアによく買い付けに行っている九州のレコード屋のヤツがいるんですね。彼がある時、〈エチオピアの札は臭い〉という話をしていて。ポケットに裸で札をねじ込むと、ポケットが大変なことになるという(笑)」

ムラトゥ・アスタトゥケの72年作『Mulatu Of Ethiopia』収録曲“Chifara”
 

――わはは、どんな匂いなんでしょうね?

「いや~、わからないんですけど、すごいみたいですよ。“Ethiopian Cash”は彼が送ってくれたエチオピアの音源にインスパイアされて作ったトラックなんですけど、そういったやりとりをしていたのもタイに滞在していた時だったので、今回の作品に入っていても違和感ないだろうと」

――演歌的ともいえるエチオピア独特のあのムードが、今回の流れのなかに入っていても違和感ないのがおもしろいですよね。

「そうなんですよね、共通する匂いってありますよね。エチオ・ジャズやモーラムの、あのいなたい雰囲気はこれまで自分の世界観にあまり採り入れてこなかったんだけど……とはいえ、K DUB SHINEの“機能停止”(96年に制作)という曲(のリミックス)でエチオピアの曲をモチーフにしたこともあります」

――へえ、そうなんですか!

「ただ、当時はエチオピア自体に強く関心があったわけでもなくて。やっぱり20年ぐらい前からの点がどんどん線になってきている感覚はありますね」


ローファイな感じの気持ち良さをタイで再確認した

――ところで、制作のために向こうへ持っていった機材はどのようなものだったんでしょうか。

「インターフェイスとMac、VestaxのVCI-380というDJコントローラー。自分的にはVCI-380が一番ターンテーブル感があって、なおかつトリムも付いていて音もいい。それでVCI-380を持っていきました。基本的にはそのシステムのなかで何とかする。マイクも持っていかずiPhoneで録りました」

――フィールド・レコーディング音源だけじゃなくミュージシャンの演奏も?

「そうそう。向こうはMP3文化じゃないですか。その感じを出したくて、あえてiPhoneで録りました。自分自身、ハイファイな方向に行きすぎていた時期もあったけど、ここ最近はヒップホップのローファイな感覚に戻っているところもあるんでしょうね。ハイファイだったらいいわけではなくて、ローファイのほうが気持ちいい時もある。モーラムのカセットテープの気持ち良さとかね。そういったことをタイで再認識したこともあって」

――考え得る限り最小のシステムで臨んだわけですよね。制作にあたって問題などなかったですか? 電圧のこととか……。

「10年以上前と同じ過ちは二度と繰り返すまいと、そこだけは気を付けました(笑)。あとは、Wi-Fi環境。バンコクは比較的問題ないけど、ほかのエリアはやっぱり厳しい。大容量のデータを送っているうちにWi-Fiが切れちゃったりすることはありましたね。ネットカフェで5、6時間ダウンロードしていても、あと少し!というところで落ちてしまうという(笑)。チェンマイから先のほうにいくとキツかったし、ラオスはもう全然ダメ。メールはできるけど、データのやりとりはきつかった」

――最後に2つだけ質問させてください。stillichimiyaもそうですけど、アジアへ意識を向けているアーティストやDJが最近増えているように思うんですね。どういうところに理由があると思います?

「みんな本能的なところで欲しているものがあるんでしょうね。情報や知識の面で反応しているというより、すごく感覚的に刺激される何かがあるのかもしれない。あと、自分のアイデンティティーについても考えざるを得ない時代になってきているし、自分を表現するうえで本質的なものであるとか、ルーツ的なものがどんどん重要になってきていると思う。そういう意味でも頭ではなく、身体がアジア的な刺激を欲しているというか。水とか空気に近いレヴェルでの感覚」

stillichimiyaの2014年作『死んだらどうなる』収録曲“Hell Train”
stillichimiyaの2014年作『死んだらどうなる』収録曲“Hell Train”
 

――現代は家から一歩も出なくても世界中の音にアクセスすることができて、なおかつそれを使って新しい音を作ることもできるわけですよね。でも、KENSEIさんはわざわざタイやラオスに足を運び、そこの空気を吸ったり水を飲んだりしながら音を作っているわけじゃないですか。そこには情報/知識と体験/経験の差があるような気がします。ネット上で情報や知識を蒐集することはできるけれど、個人的な体験や経験値はどうやっても蒐集することはできない。

「うん、そうですね。地産地消じゃないけど、現地で食べる食べ物って特別じゃないですか。そういうものなんだと思う」

――このアルバムを聴いてKENSEIさんのように旅をしながら音源制作をしたくなるビートメイカーも出てくるのではないかと思うんですが、彼らに何かアドヴァイスがあればお願いします。

「そうですね……自分らしいやり方で、ということですかね。人の真似をすること自体が悪いと思わないし最初はそういうものだと思うけど、自分が感じたものを表現しようと思うと、自然と自分にしかできないものになる。それに対して素直にやっていったほうが人に届く気がしますね」

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