近衞秀麿(1898-1973)の幻の音源が、感動のCD化!

 昨年8月のBS1スペシャル『戦火のマエストロ・近衛秀麿』の放映以来、CDの復活や関連書籍の発売など日本指揮界の先駆者、近衞秀麿(1898~1973)の芸術や生き様に注目が集まっている。1300年の歴史をもつ貴族の家系に生まれ、兄は戦前の宰相、近衞文麿、自らは指揮者、作曲家として欧米の一流オーケストラで活躍。ナチス・ドイツでは同盟国日本の首相の弟として「音楽大使」となり旺盛な指揮活動の傍ら、人道的見地からユダヤ人救済の運動にも関わった彼。その生涯はまさに波乱万丈だったが、西洋音楽黎明期にあった日本人指揮者がベートーヴェンシューベルトなど200年前の古典音楽を現代オーケストラ用に自ら改訂し、ヨーロッパ楽壇の第一線で指揮台に立ち本場の聴衆を魅了した、という事実が現代の我々に驚きをもって受け止められているのである。

近衞秀麿,近衞交響楽団 ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」<近衞秀麿 版> フォンテック(2016)

 今回のCDの音源は1962年、筑摩書房の『世界音楽全集』のためにフォノシート(塩化ビニール製の極めて薄いレコード。安価で、軽く、しなる材質から雑誌の付録などに利用された)5枚に録音したものである。既にマスターテープが紛失しているため、フォノシートから音録りされているが、モノラルながら明晰で力強い音で復刻されている。演奏は近衞独自の改訂が入ったもので、運命主題を際立たせるために音を抜いたり、響きを豊かにするために楽器を足したりと、細やかな工夫が凝らされている。こうした改訂は19世紀生まれの本場の巨匠たちが常識的に行っていたことだが、その仕事の丁寧さに彼の個性が窺える。全曲の造形は実に端正で、音楽は流麗に運ばれ、楽曲は気品高く息づいている。そして音楽的エネルギーは巧まずして終楽章に向け高まってゆく。近衞が描く終楽章の晴れやかな解放感は極めて感動的で、たった30分の音のドラマにも拘わらず深い感慨を催させる。

 厳しい時代を生き抜いた彼の人生そのもののように響く、と言ったら言い過ぎだろうか。