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【IN THE SHADOW OF SOUL】第73回 タブー解禁 Part.1

スウィーテストな80sサウンドの最高峰を全復刻盤と紐解く

アレクサンダー・オニール&シェレール 『Never Knew Love Like This』
ジャケット画像

 

 アレクサンダー・オニールシェレールSOSバンドといったジャム&ルイス絡みのアーティストが看板となったせいか、ミネアポリスのレーベルと勘違いされることも少なくないタブー。だが、所在地はLA。前号で紹介したサセックスの閉鎖後、同社を運営していたクラレンス・エイヴァントが76年に立ち上げたプロダクションがその始まりだった。

 スタート時の配給はRCA。アルバム第1号はマイケル・ブースマンの『Heaven』(77年)で、トリニダード・トバゴ出身のギタリストをいきなり登場させたあたりはサセックスに通じる間口の広さと言っていい。78年には配給をCBS/コロムビアに切り替えているが、その前後に入社した元ギャラリージム・ゴールド、プレジデンツを前身とするアナコスティアシャロン・リドリーは元サセックス在籍組。ラロ・シフリンもサセックス設立前からエイヴァントと関係があった。

 そんなタブーのモットーは〈The Earth Has Music For Those Who Listen〉。拡大解釈すれば、人の数だけ音楽がある、と。設立当時の看板アクトは、“Wake Up And Be Somebody”でシングル第1号を飾り、3枚のアルバムを出したブレインストーム。このグループからはラモント・ジョンソンが独立しているが、彼やブラジリアン・フュージョンのマンフレッド・フェストも含めて、70年代に発表された作品の多くをジェリー・ピータースが手掛けていたことは初期の特色のひとつと言っていいだろう。

 80年代前半は、SOSバンド、ジェネラル・ケインウッズ・エンパイアの3組が中心となり、ソウル/ファンクに特化。SOSバンドは“Take Your Time(Do It Right)”(80年)をタブー初のR&Bチャート1位に送り込んだ。が、目立ったヒットはその程度。そこに救世主のように現れたのがジャム&ルイスである。当時、タイムのメンバーだった彼らは裏方としては駆け出しだったが、ソーラーの関係者を通してエイヴァントのもとにデモを持ち込むと、それがSOSバンドの“High Hopes”(82年)として世に放たれることとなった。同バンドの83年作『On The Rise』ではそのままプロデューサーに抜擢。このことをきっかけに彼らは親分のプリンスと袂を分かつことになるのだが、それと引き換えにSOSバンド、シェレールアレクサンダー・オニールの座付きプロデューサーとなり、TR-808のマシーン・グルーヴをトレードマークとしながらタブーに黄金時代をもたらすことになるのだ。上昇気流に乗ったレーベルはR.O.A.R.やデトロイトのアルバムも輩出。80年代後半にはキャシー・マティスジェイムズ・ロビンソンを迎え入れ、SOSバンドから独立したメアリー・デイヴィスロンダ・クラークデジ・フィリップスデメトリアス・ペリー、さらにはラッパーのキッド・フラッシュなど、ニュー・ジャック・スウィングの時代に適応できる新鋭も加えながらアーバン・ブラックの名門としてのブランドを確立している。

 だが、91年にレーベルがA&M配給となる前後から、多忙となったジャム&ルイスがタブーでの仕事を減らしていくと、SOSバンドら看板アクトもパワーダウン。一方ではIIクロースなどの新進R&Bアクトが奮闘し、ウェイラーズ・バンドやUKのジェイミーJ・モーガンなど、初期のようにジャンルや国籍を超えたリリースも増えた。エイヴァントがモータウンの重役に就任して以降はフェミ・クティらも入社。そんななか、95年でリリースが止まるまで一貫していたのは、アフロな視点やダンスフロアとの連携を失わなかったことだろう。ジャム&ルイスがパースペクティヴ設立時にその方針を受け継いだという点も含めて、80年代に全盛を誇り、70〜90年代を繋いだタブーの功績はあまりにも大きく尊いものだ。

 

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