アコースティック・ギターを携えた寡黙なシンガー・ソングライターとして、またソロ・アルバム『PICTURE』(2016年)では優れた宅録作家として、極めてウェルメイドな音楽世界を作り出してきた王舟。neco眠るで作曲やシンセサイザー奏者を務め、DJやユニット〈千紗子と純太〉などでジャンル横断的な活動を行い、その個性と才能を鮮烈に印象づけてきたBIOMAN。
この二人の稀有なミュージシャンがタッグを組んで取り組んだアコースティック×エレクトリックなアンビエント・ポップ作『Villa Tereze』が、〈電子的な軽音楽=エレクトリック・ライト・ミュージック〉を標榜する新レーベル〈NEWHERE MUSIC〉より第一弾作品としてリリースされた。
昨今世界的に〈アンビエント〉や〈ニューエイジ〉というタームが再注目され、これまで顧みられることが少なかった国内外の作品がリイシューされたり、また、そうした潮流から新たなアーティストも登場するなか、東西のインディー・シーンの第一線で活躍する二人は、今作においていったいどんな音楽世界を創り出したのか。
普段の創作においては、ともすれば完璧主義に走りがちだという王舟とBIOMAN。両人のそんな気質からすれば、高い密室的完成度や作家的個性を備えたものになるかとも想像されるが、実際にこのアルバムを聴くならば、その予測は心地よく裏切られることになる。
〈アンビエント〉とは、〈軽音楽〉とは。イタリアという異邦に身を置くことで当人たちの〈意図を超えて〉獲得された音楽成果とは。〈軽音楽〉の概念を更新する最新の試みはどのようにして起こり得たのか、その過程に迫る。
BIOMANは、イタリアの空気と合うんじゃないかって思ったんだよね(王舟)
――今回のプロジェクトはどうやってスタートしたんでしょうか?
BIOMAN「王舟となんとなくしゃべってるときに、〈今度インスト音楽専門の新しいレーベル(NEWHERE MUSIC)が出来て、そこから作品を出さないかって誘われてるんだけど、一緒にイタリアで作らない?〉って言われたんです」
王舟「俺が一昨年にイタリアにライヴしに行ったとき、一緒にツアーを回ったマッティア・コレッティというミュージシャンから〈次はレコーディングしにきなよ。俺がエンジニアやるよ〉って言われてて。今回の作品の話をもらったとき、そのことを思い出して、ちょうどいいなと思って。で、BIOMANに声をかけたのは、俺との音楽の融合というより、単純にイタリアの空気と合うんじゃないかって思ったんだよね(笑)」
BIOMAN「俺が以前、大阪のHOPKENっていう店で働いてたとき、王舟とマッティアが来て、俺がイタリア料理っぽいものを作って振舞ったっていう経緯もあって。〈BIOMANの作る曲が良いから、それをイタリアでやろうよ〉っていう感じの誘いではなかったんです。
王舟の音楽は前からHOPKENで結構かけてて、そこで耳にはしてて。誘いがあったときは、いまの王舟のモードは詳しくわからんかったけど、それでもあんま考えずに〈あ、できそうやな〉って思いました」
――実際にイタリアへ行くまではノープランだったんですか?
王舟「いや、BIOMANのおばあちゃんの家が奈良の山奥の東吉野というところにあって、そこで事前に作曲合宿をやりました。BIOMANが〈起承転結的なコード進行のない曲を作りたい〉って言ってて。東吉野で一緒にそれを聴いてみて、〈おお、俺もそれにちょっと乗っかってみようかな〉と思ったりしました」
BIOMAN「俺も東吉野で、王舟がギターを爪弾いているのを聴いて〈ああ、王舟はこんな感じでいくんだ〉って思って。お互いやりたいことを寄せ合っていった感じですね」
RECボタン押したら〈さてと〉みたいな感じでどっかへ行っちゃう(笑)(王舟)
――その後イタリアに飛んで録音を行うと。日本とイタリアの音楽制作において、まずここが違うというところはなんでしょう?
BIOMAN「イタリアだからというより、エンジニアをやってくれたマッティア個人の進め方が特殊だったってことだと思うんですけど、もう全然違いましたね」
王舟「決断が超早い! エンジニアとしての領域に関係なく。〈これで大丈夫?〉みたいな確認は一切なくて〈何かあったらそっちから言うでしょう〉っていうスタイル。録音したもののプレイバックも何も言わなければ基本なし。言っても〈もうその曲のファイル閉じちゃったからさ〉っていう(笑) 。録った後、キーボードをカチャカチャってやって、音を流さずにすぐ閉じる(笑)」
――通常だったら一回はプレイバックしてミュージシャンとチェックしますよね。
BIOMAN「もちろん最終的なミックスを作る時点では〈これでいい?〉という確認メールをくれたけど。それまではバンバン作っていく。日本だと、その前の行程でディスカッションしながら高め合っていくっていうのが良い方法だと思われてるんだろうけど」
――そういう意味では、〈イタリアの人はのんびりしている〉というような若干偏見混じりのパブリック・イメージとはまったく違いますね。
王舟「そう。むしろ、仕事が終わったらのんびりするために、仕事自体がめっちゃ早い(笑)」
――マッティアにとっては急いでやっているというより、普段からそうやっているんでしょうね。
BIOMAN「俺たち二人ともめちゃめちゃ考え込んでしまうタイプなんだけど、そこをマッティアが〈いや、そんなもんこれでいいだろ〉って言って、俺たちが〈ああ、ちょっと待って〜〉っていう(笑)。でも結果としては良かったりする」
王舟「“Senigallia”で、マッティアの友達のミケーレというドラマーが来てBIOMANが作ったフレーズを叩いてくれたんだけど、なかなかうまくいかなくて。マッティアが〈BIOMANのフレーズは数学的すぎて叩くのは難しい〉と言ってて。BIOMANと俺で〈ちょっと変える方向もありなんじゃない?〉ってしゃべってる間に、マッティアとミケーレが勝手に全然違うフレーズを録ってて(笑)。
オケは外に流さずに、ミケーレがヘッドホンでクリックだけを聴いてドラムを叩くんだけど、俺たちも〈あれ、新しいフレーズを叩きだしたな〉と思っていたら、いつの間にか録音されてて、マッティアは〈今日は終わりだ。ビールを飲みに行こう!〉って(笑)」
BIOMAN「いや、俺たち聴いてないんやけどっていう(笑)」
――作曲者の意思を無視する(笑)。
王舟「でもそのフレーズが良い感じなんだよね(笑) 。しかもマッティアとミケーレが言葉で細かくやりとりした様子はなくて。でも良いフレーズが出来あがっている。不思議」
――おもしろいなあ……。
王舟「あと、ギターの録音で〈出だしでミスったからもう一回録音させてくれ〉って言ったら、全然反応がないからどうしたんだろうって思って。見たらマッティアはもうブースにいなくて、台所でパスタ作ってるんです。RECボタン押したら〈さてと〉みたいな感じでどっかへ行っちゃう(笑)」
俺たちの作ったデモを聴く作業も早送りだった(笑)(王舟)
――そういう特殊な?制作環境は、二人の意図していない形で音に反映されましたか?
BIOMAN「改めてアルバムを聴いてみると、例えば〈ここの音域が広がったな〉とかいうふうに直接的に反映されるということはないんだけど。なんとなく……いろいろ自分のやりたいようにできなかった、モヤッとした感覚が音に表れているんじゃないかと思いますね」
――それはマッティアのカラーということですかね?
BIOMAN「彼のカラーというより、特定の人の意図が反映されていないモヤッとした部分というか」
――通常、プロデューサー的視点のあるエンジニアだと、ミュージシャンと作品の全体像や最終的な着地点を描きながら進めていくというのが一般的かと思うんですが、その点マッティアはどうでした? むしろ場当たり的な……?
王舟「そうそう。良い意味で場当たり的でフレキシブル。作業の初日に俺たちの作ったデモを聴く作業も早送りだったから(笑)。20分の尺のものを飛ばしながら3分で聴くっていう」
――ほとんど試聴ですね(笑)。全体像をできるだけ緻密に把握してから作業するという感じではない。
BIOMAN「マッティアはそのときに〈なんでもその場で試せばいいんだ! 大きく構えろよ!〉って言ってて、それに俺は感動しちゃって。〈よし、いっぱい試そう!〉って思ったんだけど、でもいざ録音が始まったら全然試させてくれなかった(笑)。〈パーカッションの代わりに木の棒を叩いてみたいんだけど〉って言ったら、バッサリと〈絶対良くならない〉って。いや、試させてくれよ(笑)!」
王舟「ある曲で〈ギターを屋外で録りたい〉って提案したんだけど、外は一面の草原だから、機材ごと持ち出して広々としたところで録るのかなと思ったら、機材自体は絶対に動かさずに、ケーブルがギリギリ届く窓の外側にちょこんとマイク置いて(笑)。こっちの突拍子もない考えに対しては消極的なところがあったけど……(笑)」
――(笑)。そういう技術面の特殊さ以外にも、イタリアの風景や食事など、現地で経験したことが音楽に反映されたことはありましたか?
王舟「俺はイタリアに行ってから“Pergola”を書いたんです。これに関してはアルバム・タイトルにもなっている〈Villa Tereze〉っていう、録音のために借りたロッジのゆったりした雰囲気から影響を受けていると思う」
BIOMAN「あと、フィールド・レコーディングもしたね。ホーム・パーティーの音を録ったり。実際にそういう音も散りばめられています」