ジャズを基盤に〈Funky & Melodious〉をテーマとして活動を続けている羽仁知治。1980年代から演奏を始め、長いキャリアを歩んできたピアニスト/作曲家が、ニューアルバム『Morning of Life』を完成させた。〈人生の朝〉を音で描いた本作は、ケニー・モズレー(ドラムス)と江口弘史(ベース)とのトリオを軸に強靭なリズム&グルーヴを刻み、親しみやすいメロディを奏でながら熱いプレイを繰り広げた快作。羽仁のオリジナル7曲が並ぶ中、ZARD“マイ フレンド”の実にファンキーなカバーが収められているのも聴きどころだ。そんな本作の背景から羽仁の経歴に至るまで、さまざまな話を音楽評論家・原田和典が聞いた。

羽仁知治 『Morning of Life』 Eighty Two(2025)

 

オスカー・ピーターソンに衝撃を受けてジャズの道へ

――初インタビューですので、バイオグラフィからお伺いします。初めての音楽体験はいつ頃ですか?

「子どもの頃、物心がついたときから家にピアノがありました。姉がピアノ教室に通っていて、姉の真似をしているうちに僕も教室に行くようになったんです。

小学生の頃はクラシックをやっていたんですけど、たまたまテレビにオスカー・ピーターソンが出ているのを見て〈ピアノでこんなことができるんだ!〉とびっくりしたんですよね。そこが変わり目だった気がします」

――それがジャズを初めて聴いた体験ですか?

「そうです。父が音楽好きで朝にラジオをよく聴いていて、バート・バカラックのテーマ音楽が流れていたのを覚えています。ただピアノという楽器において、クラシックの先生から習っていた世界とは違うものと初めて出会ったのはオスカー・ピーターソンでした。それからはピアノで好きな曲を弾けるようになりたかったので、ジャズの真似をしていました」

――その頃によく聴いたレコードや印象に残っている作品はありますか?

「中学1年の時に人生で初めて買ったレコードがビル・エヴァンスの『Portrait In Jazz』です。そこから定番のソニー・クラークやレッド・ガーランド、ウィントン・ケリー、キース・ジャレットなどを聴く時期を経て、ハービー・ハンコックやチック・コリアの時代にいって。

高校の頃は1980年代だったので、フュージョンが流行っていました。ライブハウスにも通っていて、ネイティブ・サンが全盛期だったのでJIROKICHIでライブをよく見ていましたね。当時のネイティブ・サンは迫力があって素晴らしかったです」

――プロとして活動を始めたきっかけは何でしたか?

「ネイティブ・サンの本田竹広さんが渋谷のヤマハ音楽教室で教えていらっしゃったので、そこに通うようになりました。本田さんのレッスンって本田さんと2人でセッションするような形式だったんですけど、だんだん本田さんがライブみたいにぶわーって弾きはじめて(笑)。そういうことが面白かったですね。

同じ時期にドラマーのジョージ大塚さんも教えていらっしゃって、そちらはドラム教室でしたが、ベーシストやピアニストの若者も集めて一緒に演奏するセッション形式だったので、そこに出入りするようになりました。その後、ジョージさんのバンドに入れていただくことになって、2年ほど一緒に演奏させていただきました。ジョージさんはすごくアグレッシブな方だったので、昔のオーソドックスで王道なジャズを基本にしながら、それを発展させることもなさっていましたね」

――ほかに師事したミュージシャンはいらっしゃいますか?

「サックスの植松孝夫さんのバンドで少し一緒に演奏させていただきました。さまざまなバンドで素晴らしいミュージシャンの方々にいろいろと教えていただきましたね」

――お茶の水のNARUでも演奏されていたんですよね。

「ええ。(初代オーナーの)成田勝男さんには随分お世話になりましたね」