
〈お婆ちゃんになってもできるか?〉という価値判断
――“ひかり”という曲もありますけど、ゆうさりさんの曲には〈光〉という言葉がよく出てきますよね。星もまた光を放つものだと思うんですけど、〈光〉がご自身の曲によく表れる理由はなんだと思いますか?
「視覚的に飛び込んでくるものは、自分にすごいインパクトを与えてくるなと思います。素直に綺麗だなと思うし、ちょっと考えてみると、この世で見えているものって全部光の反射だから、〈すべてだ〉とすら思うし。〈光〉という言葉は口触りもいいし、つい使ってしまう、でも大事なものですね」
――〈ゆうさり〉というお名前にも夕方の光のようなイメージはありますよね。
「そうですね。青葉市子さんのエッセイを読んでいたら〈ゆうさり〉という言葉が出てきて、そこから借りてきたんですけど。自分の本名よりも大きなものをやりたいという気持ちがあったんです」
――ゆうさりさんの描く光は、自然光的というか。ネオンのような光ともまた違うものを感じます。
「そうですね(笑)」
――朝から夕方にかけての太陽が移動することで生まれる〈時間の変化〉としての〈光の変化〉とか、夜になっても見える星や月の光とか。そういうものを音や言葉を通して描かれている感じがします。ゆうさりさんの音楽に触れていて思うのは、とても肯定的な音楽だなということなんです。時間が流れていくことや、人がそこにいること、光によって物事が照らし合わせられることを肯定しているような感覚があるなと思うんです。
「たしかにイライラはしていないですよね(笑)。……曲を作るうえで、やりたいこととやりたくないこと、できることとできないこと、それぞれあると思うんです。私のやりたいことは〈ずっとある曲〉を作ることで。普遍的なものというか、〈お婆ちゃんになってもできるか?〉ということが価値判断にあるんです。
逆にやりたくないことは……あまりないけど、〈ずっとはできないだろうな〉とちょっとでも思うような曲は、作るのをやめちゃうんです。恥ずかしくなっちゃうので(笑)。
じゃあ、そのふたつを基準に置いておいて〈自分にできることはなんなんだろう?〉と思ったとき、自分の感覚から影響を受けて曲を作ることができるんです。さっきも言ったように綺麗だなと思った感覚とか、友達といたときの感覚とか、そういうものを曲に書いているから、肯定的なものになるのかなと思います。ある意味、受け身ではあるんですけどね。
そんな中で〈自分にできないことは何かな?〉と思うと、感情が先立つ音楽が全然書けないんです。〈私はこれに怒っています〉とか〈私はこれが悲しいです〉とか、そういうものを曲に持って行くことができない。悲しければしばらく寝込むし、怒っていたらイライラして寝るし(笑)。そこをあまり曲につなげることができないんです」
――感情と音楽に距離があるんですね。
「感情とまだあまり上手く付き合えていない感覚があって。〈曲にするまでもないでしょう?〉と思ってしまうんですよね。嫌なことがあったら人と話して解決を図るべきだけど、〈あのときの、あの景色がすげえ綺麗だったんだよ!〉ということは、人に話しても仕方がないことだったりするじゃないですか。そこにある感覚を、自分のしっくりくる形に落とし込みたいというエネルギーが生まれるから、曲を作っているのかもしれないです。
自分がそういう人間なんだからこそ、感情が先立って作られたものに触れると〈エネルギッシュで素敵だな〉と思うんですけどね。人の心を、スピード感を持ってサッと惹きつけるものはそういうものだと思うし。それが自分にできないのはコンプレックスだし、それが理由で人に通り過ぎられてしまうことは悩ましく思っていて。
でも、それが難しくても、一人ひとりの時間に対して自分の音楽があって、その人の綺麗だと思ったことやグッときた感覚に自分の音楽がハマったら嬉しいことだと思います。私はそういう感覚を音楽から受け取ってきて、助けられてきた部分が大きいので。なので、私の光の時間や景色に対して肯定的な印象を持ってもらえたのなら、嬉しいなと思います」