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日本でのヒット連発と安室奈美恵への敬愛

大きな転機となったのは2002年だ。4枚目のシングル“LISTEN TO MY HEART”がオリコン5位を記録し、スマッシュヒットとなる。CMタイアップやテレビ出演も増え、日本語での巧みなトークとともに、お茶の間への浸透が進んだ。続く8枚目のシングル“VALENTI”はチャート2位、約20万枚を売り上げる自身最大級のヒットとなる。康珍化による〈タイトなジーンズにねじこむ/わたしという戦うボディ〉という強烈なフレーズを、堂々と歌い上げる姿は強い印象を残した。同名アルバム『VALENTI』はミリオンセラーを達成し、「NHK紅白歌合戦」への出場も果たしている。

以降も“メリクリ”“DO THE MOTION”などのヒットを重ね、チャート上位を安定して維持。人気アーティストとしての地位を確立した。avexの方針のもと、クラブミュージック系プロデューサーとの共演も積極的に行い、Mondo Grosso“Everything Needs Love”やm-flo“the Love Bug”などでは、現在聴いても新鮮な歌声を披露している。三浦大知やSOUL’d OUTとのコラボレーションも、この時期の重要な仕事だ。

BoA 『BEST OF SOUL』 avex trax(2005)

BoA 『OUTGROW』 avex trax(2006)

MONDO GROSSO 『MONDO GROSSO OFFICIAL BEST』 A.S.A.B(2021)

m-flo 『MF10 -10th ANNIVERSARY BEST-』 rhythm zone(2009)

コラボレーションこそ叶わなかったが、BoAにとって特別な日本人のアーティストのひとりが、安室奈美恵だ。韓国でも高い人気を誇り〈韓国でもアムロのようなスターを!〉と、当地の音楽業界では特別なロールモデルとされてきた安室に対し、BoAも強い敬意を抱いていた。2018年の安室引退時には、Instagramで〈幼いころからの憧れ〉〈歌番組で隣になった時、一言も喋れなかった〉〈先輩、本当に愛しています〉と率直な思いを綴っている。

 

日韓の転換期に切り開いたK-POPという道

BoAが日本でブレイクした2000年代初頭は、日韓関係においても転換期にあたる。2002年の日韓ワールドカップをはじめ、「冬のソナタ」「猟奇的な彼女」などドラマ・映画による韓流ブームが起こる一方、教科書問題や首相の靖国神社参拝といった政治的摩擦も存在していた。それでも文化やライフスタイルの面では、改めて〈最も近い国〉として韓国への関心が高まっていた時期でもあり、BoAの成功は、こうした時代の空気と無縁ではなかっただろう。

彼女に続く形で、2005年に東方神起、2006年にRAIN(ピ)が日本デビューを果たし、その後もBIGBANGや少女時代が登場する。〈K-POP〉というジャンルが台頭し、現在へと連なる流れが形成されていった。

BoAが後進のK-POPアーティストと異なっていたのは、グループではなくソロで活動していた点、日本語詞を軸に日本市場に向き合った点、そしてSNSやファンダムではなく、テレビとお茶の間が主戦場だった時代に活躍した点にある。彼女の存在が〈K-POP〉という道を切り開いたことは、疑いようがない。