韓国出身のシンガーBoAのSMエンタテインメントとの契約終了が話題になっている。2000年のデビュー以来所属してきた事務所を離れ、キャリアに一区切りをつけた形だ。2000年代には日本でヒット曲を連発、K-POPとJ-POPの橋渡し役も担ってきた彼女。その功績を称えて、ミュージシャン/ライターのKotetsu Shoichiroが25年強の活動を振り返った。 *Mikiki編集部


 

K-POPが一般的ではなかった時代に現れた苦難の天才少女

歌手・BoAが、25年にわたり所属してきたSMエンタテインメントとの契約を終了したことを、今年1月12日に公式サイトで発表した。これまで応援してくれたファンへの感謝とともに、会社との話し合いを経て、契約を満了したことを伝えている。

BoAは2024年の段階で、SNSで〈私の契約は2025年12月31日まで〉と投稿しており、その際には断定はしていないものの、引退を示唆するような言葉も添えていた。K-POPブーム以前から活動を続けてきた彼女の歩みを、ここであらためて振り返ってみたい。

BoAことクォン・ボアは1986年、韓国・京畿道九里市に生まれた。音楽好きな2人の兄を持つ3兄妹の末っ子として育つ。転機が訪れたのは11歳の時だった。ストリートダンスにハマっていた兄の付き添いで、地元のショッピングモールで開かれたB-BOYダンスコンテストを訪れ、BoA自身もその場でダンスを披露する。これをきっかけに複数の芸能事務所からスカウトを受け、その中の1社だったSMエンタテインメントと契約。練習生としての日々が始まった。

当時の韓国では、K-POPという言葉すらまだ一般的ではなく、アジアや欧米市場に通用する歌手を育てることは、どの芸能事務所にとっても大きな目標だった。SM創設者のイ・スマンはじめ、トレーナーやコーチは皆、BoAの生まれ持ったスキルに驚いたそうだ。歌やダンスだけでなく、語学を含めた徹底的なトレーニングを受けることになった。

天才少女の華々しいスタートのようだが、私生活は決して恵まれていたわけではない。父親が手掛けていた放送関係や流通の事業はうまくいかず、家庭の経済状況は厳しかったという。デビュー直前には一家が離散し、倉庫のような仮住まいからレッスンに通っていた時期もあった。加えて、当時の韓国のレコード会社はまだ育成システムが十分に整っておらず、雨が降れば水が溜まるような地下の粗悪なスタジオで練習を重ねていたとも語られている。

 

即ブレイクせず、ホームシックにもなったデビュー期

2000年8月、アルバム『ID; Peace B』で韓国デビューを果たすが、年間ランキング59位と、大きなヒットには至らなかった。翌年にはavexと提携し、日本市場にも進出する。だが日本デビューシングル“ID; Peace B”はオリコン20位、続く“Amazing Kiss”も23位と〈鳴り物入りのデビュー、即ブレイク〉とはならなかった。慣れない日本での生活では、ホームシックになったことも。

この頃、BoAが心の支えとして聴いていたのが、宇多田ヒカルの“time will tell”だったという。また、日本での活動では同い年でデビューも近かったCrystal Kay、松浦亜弥と友人になり、現在も交友関係にあるという。

ちなみに、デビュー前に一度は離れ離れになった家族も、BoAの成功によって再び一つになる。彼女が一家の〈稼ぎ頭〉となり、江南に家を構えたことで、一家離散の状況から立ち直ったという。マイケル・ジャクソンや安室奈美恵のような、幼少期から芸の世界に身をおいたポップスターの人生の波乱を感じさせるエピソードでもある。