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欧米進出と楽曲制作への積極参加

日本での成功を経て、BoAは欧米進出にも挑戦する。2008年、全編英語詞の“Eat You Up”をデジタルリリース。ダンスを前面に押し出したMVは、アイドル性を抑えた対米仕様の演出だった。セールス的には成功しなかったものの、この時のBoAの挑戦が、後にBTSやBLACKPINKがアメリカ市場で成功を収めるための下地になったと見ることもできる。

BoA 『BEST & USA』 avex trax(2009)

2010年代以降、BoAは日本でのリリースを続けつつ、活動の軸足を母国に戻していく。初期から楽曲制作に関与してきたが、2010年の『IDENTITY』、2012年の『Only One』ではその比重が増し、2015年の『Kiss My Lips』では全曲の作詞・作曲を手掛けた。

BoA 『IDENTITY』 avex trax(2010)

BoA 『Only One』 SM(2012)

BoA 『Kiss My Lips』 SM(2015)

 

後進を育てたK-POP最大のロールモデル

同時期、ドラマや映画への出演にも取り組み、オーディション番組では「K-POPスター」の審査員、「PRODUCE 101」のMCとしても活躍した。長いキャリアを積んできた彼女の言葉は、参加する若者たちにとって特別な重みを持っていたはずだ。2014年にはSMエンタテインメントの非登記理事に就任し、翌年には女性アイドルとして初めて韓国著作権協会の正会員となるなど、ビジネス面でのキャリア形成にも積極的だった。

韓国でのデビュー20周年を振り返るドキュメント「202020 BoA」
こちらは日本でのデビュー20周年の際のインタビュー映像

2022年には、SMの女性アーティストが集結したスペシャルユニット〈GOT the beat〉にも参加。少女時代、Red Velvet、aespaから各2名のメンバーとBoAで構成される7人組で、話題を呼んだ。

GOT the beat 『Stamp On It』 SM(2023)

BoA以降に登場した多くのK-POPアーティストが、彼女への敬意を公言している。aespaは「彼女のすべてがクール」(GISELLE)、「最初のK-POP女性ソロアーティスト」(KARINA)と語り、少女時代のテヨンも、デビュー前に憧れていた歌手としてホイットニー・ヒューストン、宇多田ヒカルと並んでBoAの名を挙げている。

BTSのJIMINとJ-HOPEは、初めて買ったCDがBoAのアルバムだったと明かしている。SHINeeのKEYも、デビュー前にBoAのファンクラブに入会していたほどのファンであり、共演時には「(ファン故に)あえて近づかないようにしている」と語っている。男女を問わず、後進のアーティストにとってBoAは最大のロールモデルであり、レジェンドと位置づけられていることは明らかだ。

Kep1er・DAYEONによる”VALENTI”のカバー

 

困難や喪失にも直面した25年の歩み

だが、成功の裏側で、近年のBoAはいくつかの困難にも直面してきた。番組での発言への批判、年齢・外見をめぐる中傷など、ネット上での悪質な書き込みが精神的負担となったことを、本人が率直に語ったこともある。さらに2025年には、膝の骨壊死による手術を公表し、日本ツアーの中止を余儀なくされた。長年続けてきた激しいダンスパフォーマンスの負荷が、身体に蓄積していたとしても不思議ではない。

加えて、デビューのきっかけを作った兄クォン・スヌクが、2021年に癌で亡くなっている。私生活での喪失や困難が重なっていたことを思えば、ひとりの人間として、立ち止まって人生と向き合う時間を必要としているとしても不自然ではないだろう。SMとの契約終了後の具体的な展望は明かされていないが、まずは心身を回復させるための自由な時間を求めているように思われる。

兄・スヌクは映像作家として活躍し、BoAのMVも手掛けていた。

 

世界で成功する型を最初に実践した存在

BoAは、今日のK-POPが世界で成功するための〈型〉を、最初に実践してみせた存在でもあった。才能のある若者を集め、歌とダンス、語学を含めた徹底したレッスンのもとで海外に進出し、現地の言葉で活動する。いまでは当たり前となったこうしたやり方は、当時まだ前例が少なく、BoAはその試みを一身に背負う形で歩んできた。彼女の成功が、その後のアーティストたちの道を大きく広げたことは間違いない。

一方で、若くして母国を離れ、常に結果を求められる環境に身を置き続けることは、大きな重圧やストレスを伴うものでもあった。BoAの歩みは、K-POPの華やかな成功の裏にある、芸能の世界の厳しさも静かに映し出している。

アジアのポップスシーンを振り返る上で、BoAの存在は今後ますます重要になっていくだろう。人生のほとんどを〈クォン・ボア〉ではなく〈BoA〉として生きてきた彼女が、ここでキャリアに一つの区切りをつけた。まずは、その長大なキャリアに対して労いの言葉を送りたい。

 

【2026年1月24日追記】本記事の初出時、記述の一部に誤りがございました。お詫びして訂正いたします。

 


■参考文献
ドキュメンタリー「イ・スマン キング・オブ・K-POP」
https://futabasha-change.com/articles/-/1923
https://kstyle.com/article.ksn?articleNo=1944040
https://danmee.jp/knews/k-pop/boa-story/
https://web.archive.org/web/20150208015431/http://newsen.com/news_view.php?uid=200903172126071001
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/33449.html
https://toyokeizai.net/articles/-/897313?display=b
https://www.nme.com/news/music/aespa-talk-boa-impact-on-k-pop-shes-not-just-famous-shes-a-legend-3179603