ピアニストの中山ナミ子がディレクターを務めるスチュディオ・エクレール。中山自身が演奏家だからこそ可能な楽曲や演奏、楽器に対する深い理解のもとでアルバムを制作し、音質の高さにもしっかりとこだわり、高品質なクラシック作品を世界に届けている注目のレーベルだ。
そんなスチュディオ・エクレールの新作は、気鋭オルガン奏者・清水奏花のデビューアルバム『フルール・ドルグ』。パイプオルガンという楽器のポテンシャルを最大限引き出し、多彩な音で幅広い曲を演奏した本作は、まさにオルガンの魅力が花開いた渾身の一作である。その制作背景から清水の音楽家としてのキャリアについて、ジャーナリスト/文筆家の岩崎貴行がインタビューした。 *Mikiki編集部

下谷教会のオルガンの表現力を最大限伝えたい
――アルバムのタイトルに『フルール・ドルグ』(オルガンの花々)とあるように、バッハ、北ドイツオルガン楽派のブルーンス、フランスのヴィエルヌ、ドイツ・リューネブルクのベーム、メンデルスゾーンと多彩な楽曲が並びました。どうやって選曲したのでしょうか?
「アルバムを録音した日本基督教団下谷教会のパイプオルガンは、北ドイツ・バロック期の伝統に基づいて製作され、表情豊かに歌う魅力を持つ楽器です。このオルガンの持つ表現力を最大限に伝えたいという思いから、すべて自分の演奏したい曲で今回のプログラムを構成しました。
プログラムには、北ドイツ・バロック期のブルーンス、ベームやバッハに加え、フランス・ロマン派のヴイエルヌ、ドイツ・ロマン派のメンデルスゾーンによるオルガン曲やピアノ曲のオルガン編曲も収録しています。下谷教会のオルガンを使い、多彩な楽曲を演奏したいという思いは強かったです」
――ドイツとフランスに留学していたのですね。
「アルバムの曲は基本的に自分が弾きたいレパートリーを集めたものですが、北ドイツ・バロック期の曲を入れたのは、私が北ドイツのリューベックで3年半勉強したためです。フランスのトゥールーズでも2年学び、ドイツとフランスに計5年間留学しました。ですので、フランス・ロマン派であるヴィエルヌの作品も入れています」
――アルバム作成にあたり工夫したのはどんな点ですか?
「今回のアルバムでは、プロテスタントの賛美歌をもとにしたコラール作品を多く入れています。コラールはドイツ・バロックの作品が多いのですが、教会とコンサートホールでは意味合いが違ってきます。両方の場所で弾くとどうなるかというのは意識しましたし、アルバムを聴く皆さんが飽きないよう、いろいろな曲を入れ、曲順を工夫し、曲ごとに緩急をつけました。
1曲目のニコラウス・ブルーンス“前奏曲 ト長調”には、下谷教会のオルガンについているベルのキラキラッとした音を使いました。ベル付きオルガンは、日本の教会のオルガンでは珍しく、結果的に明るい、盛り上がる曲になったと思います。下谷教会のオルガンは北ドイツのバロック的なコンセプトで作られましたが、ガルニエというフランスの会社が手がけたこともあって、柔らかい音もあるんです。北ドイツとフランス、双方のいい要素を持ち合わせています」

高校時代から親しむメンデルスゾーン作品を収録できた嬉しさ
――アルバムの中でメンデルスゾーンの作品は特に力を入れていると聞きました。
「アルバムの中で最も収録できて嬉しかったのがメンデルスゾーンです。特に“オルガン・ソナタ第6番 作品65”には高校生の時から親しみ、東京藝術大学受験のほか、リューベックの卒業試験でも弾きました。この曲はドラマ性があり、心に響くので、大好きな一曲です。そして、メンデルスゾーンはバッハの音楽を再評価した功労者であり、メンデルスゾーンからバッハという流れは当然考えていました。メンデルスゾーンがいなければ、今のバッハの名声もありませんでした。
メンデルスゾーンのもう一曲である“厳格な変奏曲 作品54”は高校生の時にピアノで勉強しました。当時の私にはこの曲をオルガンを弾くという概念がまだなかったのですが、フランスのトゥールーズで勉強していたとき、ミシェル・ブヴァール先生がサン・セルナン教会でオルガン編曲版を演奏していたんです。サン・セルナン教会にはカヴァイエ=コルという高名なオルガン製作者による歴史的な楽器があるんですね。その演奏がすごくよくて、私もオルガン編曲版を演奏するようになりました。ロマン派的なオルガンで弾くのもいいですが、バロックオルガンでもいいと思います」
――オルガン用に編曲した曲も素晴らしく、大変興味深いです。
「ピアノ曲をオルガンに編曲する際、より自由な音色の可能性があると思います。オーケストラ曲は楽器がすでに決まっているので、ピアノ曲の編曲の方が自由に自分のイメージをオルガンで表現できますね。
変奏曲についてはオルガン編曲が2つあるのですが、今回はシュメーディングによって編曲された楽譜です。ほぼピアノそのままで省略もなく、ヴィルトゥオーゾ的な感じが強い編曲ですね。メンデルスゾーンの変奏曲を入れることができたのはとても嬉しかったです。ピアノをよく聴く人には有名な曲ですが、原曲を知らない人にも多彩な音色が楽しめるように弾きました」
――先ほどメンデルスゾーンがバッハを再評価したという話をしましたが、オルガンと言えばやはりバッハですね。
「バッハについては、アルバムに入れた“幻想曲 ト長調 BWV572(ピエス・ドルグ=オルガン曲)”はフランスの影響を受けて作られた曲です。クープランなどフランス作曲家の影響が見て取れますし、グリニーの曲を写譜していたという逸話があるように、バッハのフランス音楽に対する関心と敬意が表れています。まだ長距離移動や情報収集が困難だった時代にもかかわらず、バッハが多様な地域の音楽に関心を示していたことは素晴らしいです。
その他、バッハ作品は“最愛のイエスよ、われらここに集まりて BWV731”、誰もが知っている“主よ、人の望みの喜びよ BWV147(デュリュフレ編曲)”を収録しています」
中学時代から通い続ける地元・下谷教会への愛
――アルバムを収録した日本基督教団下谷教会との関わりを教えてください。上野駅の目の前にこのような伝統ある教会があるとは知りませんでした。
「上野の日本基督教団下谷教会のパイプオルガンができたのは2009年です。下谷教会には中学1年生の時から通っていて、当時私が高校生の時にパイプオルガンが完成しました。東京藝術大学名誉教授・廣野嗣雄先生がアドバイザーを務め、北ドイツ・バロック楽派のオルガンをイメージして作られましたが、一般的に鋭いイメージがある北ドイツのオルガンよりもかなり柔らかい、まろやかな音が鳴ります。かわいい音から荘厳な音まで、多彩な音色が出せると思います。
今私は下谷教会のオルガニストをやっていますが、教会には何人かのオルガニストがいて、牧師夫人も藝大オルガン科の先輩なんです。私は生まれも東京都台東区と地元で、大学も東京藝大なので、下谷教会にはとても思い入れがあります。ここのオルガンができてからは、留学時代を除いて高校2年生から15年くらいずっと弾いていますね」
――ドイツ系のオルガンなのに柔らかい音も出るというのは面白いですね。
「下谷教会のオルガンはドイツ系の割にどぎつい感じがなく、フランス的な音色も出せるのが特徴です。倍音が2段目に揃っていて1段目はいわゆるオルガン的な音が出る。もちろんドイツ系の音楽が一番合うのですが、音の組み合わせによってドイツものに加え、フランス系の音も出せる。そうした多彩な音色、オルガンの魅力を最大限伝えたいです」

オルガンの音は天上から降ってくる
――オルガンは他の楽器と違い、その場所に行かないと弾けませんし、メンテナンスなども大変です。アルバムの録音については苦労もあったのですか?
「アルバムの録音については下谷教会で柔らかくダイレクトな音による録音ができました。音の明瞭度が高く、響きもよかったので粒立ちがクリアになっています。オルガンの場合、送風機の音やストップ(音色選択機構)を操作する時の音などがあり、マイクを楽器に近づけると雑音まで大きく録れてしまうという難しさがあるのですが、オルガン録音の経験も豊富なエンジニアの鈴木浩二さん(ソニー・ミュージックスタジオ)によって、低音から高音までしっかり録音できました。
特にこだわったのが音の細かな変化が見える録音です。オルガンと聞くと、コンサートホールや大聖堂に響き渡る荘厳さを思い浮かべる方もいると思いますが、反対に、近くに寄って細やかな演奏表現まで聞こえる距離感が下谷教会の魅力です。牧師のお話が聞こえるような感覚で音楽が聞こえることを目指しました。結果として、心にぐっとくる音になったと思います」
――鍵盤楽器の場合は多くの人がピアノから入ると思いますが、オルガンに興味を持ったのはいつ頃ですか?
「母がピアノ科出身で、私も小学生の頃はピアノをやっていて、ピアニストになりたいと漠然と思っていたんです。中学でミッション系の東洋英和女学院に進学した時、初めてオルガンと出会いました。学校ではオルガンの音を礼拝などで毎日のように聴きます。そこで上から音が降ってくるような、天上の響きを聴いて新しい感覚を体感しました。
ぜひオルガンを弾いてみたいと思い、オルガニストの河野和雄先生に師事し、昼や放課後などに競ってオルガンを争奪して練習しました。学校にはパイプオルガンの他に電子オルガンもあったので、オルガンに出会うには最高の環境だったんです。ピアノの音色も好きだったのですが、多彩な音色が出せるオルガンに興味を持ち、オルガニストになりたいと思うようになりました。高校2年生の頃に恩師である東京藝術大学・廣江理枝教授に習い始め、オルガンの足鍵盤の表現力にも魅了されました」
これほど一つ一つ個性が違う楽器は他にない
――オルガンを語るとき、とても楽しそうにお話しされるのが印象的です。こう言っては失礼ですが、今や完全なる〈オルガンマニア〉のような感じですね。
「そうなんです、おっしゃるとおり私はまさにオルガンマニアなんです(笑)。鍵盤のタッチやペダルの違い、パイプの長さ、ストップの操作の仕方などマニアックに延々と語ってしまいます。
これだけ一つ一つ個性が違う楽器は他にはないと思います。実際に弾いてみないと弾き方のイメージが湧かないんですね。もちろんYouTubeなども参照しますが、やはり想像だけでは厳しい。ですので、この下谷教会のように自分がいつも弾けるオルガンがあることは大変素晴らしいことです」
――オルガンは持ち運びができず、ピアノのようにあちこちにあるわけでもないので、弾くために世界各地を飛び回る必要があります。世界ではどの地域に多いのですか?
「パイプオルガンはドイツ、フランス、オランダにいい楽器が揃っており、フランスのオルガンに関してはオーケストラ的な音色を出せるので、やはり色彩豊かなロマン派の作品が合います。フランクなどの作曲家がその場のオルガンのために作った作品もあり、作曲された当時のオルガンを弾けば作曲家の意図が見えてくるんです。
バッハが鑑定に行ったオルガンがドイツにはありますが、ドイツのオルガンはやはりフランスより芯がある音が出ます。鍵盤もドイツの場合はより重くなるんです。速いテンポで弾けないので、〈当時はこういうテンポで演奏していたのかな〉と、実際に楽器を弾くとよく分かりますね。
私が留学したフランスのトゥールーズも歴史的に重要なオルガンがたくさんあります。私が習っていた先生もヴェルサイユ宮殿のオルガニストを兼任しており、フランス・ロマン派が得意な先生でとても刺激的でした。オルガンと言えば、北ドイツ・バロックがレパートリーの中心なので北ドイツの楽器に興味がありましたが、私の場合はフランスにも行きたかったんです。藝大在学中からフランスに行くようになり、まずフランスに留学しました。
その後はドイツのリューベックで、バロックだけでなくドイツ・ロマン派もお得意なアルフィート・ガスト先生に師事しました。リューベックの教会にはとても素晴らしいオルガンがあります」

探求に終わりがない楽器
――今後はオルガンでどのような活動を目指しますか?
「先日Mikikiにも記事が出ていたオルガニストのイヴ・レヒシュタイナーさんとはトゥールーズ留学時代にお会いしました。彼が現在ディレクターを務める〈Toulouse Les Orgues〉というオルガンフェスティバルがあるのですが、2016年にピエール・ド・マンシクール国際オルガンコンクールで優勝した翌年、フェスティバルに演奏者として呼んでくださったことがきっかけです。レヒシュタイナーさんは今年2月に来日しますが、3月の盛岡公演では、私はアシスタント、アテンドをやります。楽しみですし、彼のような世界の音楽家からいろいろ学びたいです。
また、最近はラヴェルやドビュッシーなどの曲をオルガン用に編曲されたものを演奏することが増え、オルガンの曲は幅広く多彩になっています。私も含めて特定のテーマに沿った曲を集めたコンサートなども多くなり、〈光〉をテーマにしたコンサートをやったこともあります。教会では荘厳な音楽を弾くことが多いですが、コンサートホールではキャッチーで聴きやすい曲を演奏することも大事だと思います」
――日本にもパイプオルガンが結構ありますが、宝の持ち腐れというか、十分にオルガンを生かし切れていない感じがします。
「日本ではパイプオルガンが全国各地のホールなどにも設置されています。ですので、オルガンを目にする機会は結構あると思いますが、実際に目の前で音を聴いたことがない人はまだかなりいると思いますね。そうしたオルガンを聴いたことがない人にもぜひオルガンの多彩な音色や響きを生でもCDでもいいので一人でも多くの方に聴いていただき、可能性の広がりがある楽器だということを知って欲しいです。
最近はホールでオルガンを弾く体験ができたり、見学できたりする機会も増えてきました。パイプオルガンは巨大なものから小さいものまでとてもたくさんの種類やサイズがあり、それぞれの個性は国や建物ごとに全く違いますね。例えば、サントリーホールやミューザ川崎シンフォニーホールのものは電気信号でリモート演奏できるものだったり、神奈川県民ホールのものはパイプが横についていたり。北ドイツに行くと奏者の背中にパイプがあるユニークな楽器もあり、見た目にも楽しめます。とても手間のかかる楽器ですが、自分で納得する音がつくれたときの面白さや気持ちよさは何物にも代えがたいです」
――オルガンを弾くとまたオルガンが弾きたくなる。終わりがありませんね。
「これからもなるべく多くのオルガンを弾き続け、探求し続けていきたいですし、フランスのカーンやリヨン、ドイツ、さらにイタリア、スイスなど世界でまだ弾いたことがないオルガンも、一生に一度はぜひ弾きに行きたいです。持ち運びができないような大きなオルガンはその場所に行かないと弾けない楽器ですし、そうしたオルガンを弾くとまたオルガンへの興味が増し、どんどん弾きたくなります。探求に終わりがない楽器ですね」

RELEASE INFORMATION
リリース日:2026年1月20日(水)
品番:ECL105
価格:3,300円(税込)
TRACKLIST
1. ブルーンス:前奏曲 ト長調
2. J.S.バッハ:最愛のイエスよ、われらここに集まりて BWV731
3. J.S.バッハ:幻想曲 ト長調 BWV572
4. ヴィエルヌ:《24の自由な形式の作品》作品31 第1巻 第5曲 前奏曲
5. ベーム:天にましますわれらの父よ
6-8. メンデルスゾーン:オルガン・ソナタ第6番 作品65
9-27. メンデルスゾーン:厳格な変奏曲 作品54(シュメーディング編曲)
28. J.S.バッハ:主よ、人の望みの喜びよ BWV147(デュリュフレ編曲)
PROFILE: 清水奏花
東京藝術大学、同大学院修士課程を修了。修了時に大学院アカンサス音楽賞を受賞。フランスのトゥールーズ地方音楽院に留学し、Perfectionnement課程を修了。その後、ドイツのリューベック音楽大学にて修士課程ならびに国家演奏家資格課程を最高点にて修了。オルガンを河野和雄、廣江理枝、ミシェル・ブヴァール、ヤン・ヴィレム・ヤンセン、アルフィート・ガストの各氏に師事。トゥールーズ国際オルガンフェスティバルやオルレアンのサント・クロワ大聖堂、ナウムブルクの聖ヴェンツェル教会などフランス、スペイン、ドイツでも演奏活動を行う。2016年、第6回ピエール・ド・マンシクール国際オルガンコンクールにて優勝ならびに聴衆賞受賞。2021年、第8回デュドランジュ国際オルガンコンクールにてファイナリストに入賞。青山学院大学オルガニスト。日本基督教団下谷教会オルガニスト。
オフィシャルサイト:https://kanakashimizu.com/
