自分の人生を音楽に託して、まだ見ぬ未来へ
「ゲームや映画の音楽も、私は心から真剣に作っています。そうした作品のために作曲を依頼されるのは、とても嬉しいことです。ただ音楽の長さや、全体の物語には制約がありますよね。誰かから課題を与えられて、そのために作曲するわけです。そのなかで、ずっと自分自身のために音楽を書きたいという思いを持っていました」
ゲーム『原神』などの音楽を通じて、世界中の聴き手に親しまれている作曲家ユーペン・チェン。多様な文化の音楽を取り込み、豊かな旋律とオーケストラの響きで物語を描いてきた彼が、新作『The Poem Of Life』で向き合ったのは、自分自身の人生だった。誕生から成長、初恋、仕事や家庭で得る充実、そして大切な人との別れや自らの死まで。ピアノとオーケストラのための12の楽章を通じて、ひとりの人間の生を見渡そうとしている。
「自分自身のための音楽」への思いは、いつ頃からあったのだろうか。上海音楽学院で音楽デザイン・制作を学び、早くから商業音楽の現場に関わってきたチェンは、その頃を振り返る。
「学生時代の頃からですね。その後もずっと商業的なプロジェクトを手がけてきましたが、その間も、自分のために書きたいと思っていました。依頼された音楽では、全体の物語も自分が思い描いた通りのものではなく、誰かから与えられた課題に沿って作曲することになります。そうした経験を通じて、自分自身の音楽を書きたいという気持ちが強くなったんです。今はようやく、その考えを実践できるようになりました。遠慮なく、自分が思い描いていたことを実現できるようになったんです」
ただ、その言葉を、商業音楽から自由な芸術への一方通行の物語として受け取ると、彼の歩みを見誤るだろう。作曲をどのように学んだのかを尋ねると、チェンは聴く経験と、仕事の現場での実践を挙げた。
「作曲そのものについては、独学による部分が大きいんです。ほかの作曲家の音楽を聴いている時、その過程で学んでいるんですよ。それから、もうひとつ大事なことは、様々な商業プロジェクトを手がけるなかで、自分の作曲能力を少しずつ高められました」
作曲の原点として語ってくれたのは、高校時代の夜の記憶だった。
「高校生の頃は、いつも夜になかなか眠れなくて、バッハのピアノ曲を聴いていました。最初はひとつの声部しか聴き取れなかったんです。でも、バッハではいくつもの声部が同時に進んでいますよね。それを毎晩聴き続けて、だいたい2年くらいたった頃でしょうか。もともとはひとつしか聴き取れなかったのが、だんだん四つの声部の動きを同時に聴き取れるようになりました。四つ目の声部まで同時に聴こえた時には、何かの啓示を得たような気がしたんです。これも、ひとつの学びだったんでしょう」
ひとつの旋律を追う耳が、複数の旋律の関係を捉える耳になっていく。音楽がどのように組み立てられているのかを知る、その経験を助けてくれた演奏家がいた。
「グールドが演奏する、いろいろなバッハの作品を聴いていました。“イギリス組曲”や“フランス組曲”などですね。グールドはひとつひとつの声部を明瞭に弾き分け、それぞれをとてもはっきり表現してくれます。だから、そこからたくさんのことを学びました。私の作曲は、作曲家の作品を聴くことから得たものが大きいんです。ほかの人の作品のなかから、音楽的な美意識を抽出していくんですね。理論はあとから自分で学んで補っていきました」
バッハと並んで大切な存在が、ラフマニノフだ。その音楽は、チェン自身を支えてくれるものでもあった。
「ピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番が好きです。とても美しいですよね。気持ちが落ち込んでいる時に、いつも聴いています。人生のどん底にいる時や、何か困難がある時です。彼自身が苦しみを経験し、そこから立ち直って音楽を書いたことにも、とても共感できるんです。私の人生にとって、励ましてくれるような存在ですね。だから、今回のアルバムにも、彼へのオマージュとして書いた曲を入れました」
人生のある瞬間に、他者の音楽が自分の感情と重なり、前に進む力になる。彼のラフマニノフへの思いは、後に語ってくれる、人の共感を大切にする音楽観にも通じている。
「このアルバムは、私自身についての作品です。今の私は、人生の前半では〈得る〉、これからの後半では〈失う〉という、その切り替わりの地点にいます。これまでの人生で出会ったものを音楽にしている、と理解してもらって構いません。自分が生命をどう理解しているのか、どのように体験してきたのかを書いているんです」
初めて世界に触れること、誰かを好きになること、仕事を通じて居場所を築くこと。その先には、身近な人や自分自身との別れも待っている。本作は過去の回想に加え、有限の人生を受け止める試みでもあった。
「これから〈失う〉方へ歩き始めることは、人生で必ず向き合わなければならないものです。このアルバムに取り組むことで、自分の中年の危機を乗り越えることもできました」
その音楽の旅は、誕生する本人の視点から始まるわけではない。冒頭の“Overture: The Flavors Of Life”について、チェンが説明してくれたのは、子どもを迎える側の気持ちだった。
「序曲が表しているのは、年長者、つまり子どもの両親がその子に抱く期待です。その子に託す言葉や希望ですね。アルバムを作り始めた時から、序曲を置くなら、それに対応する終曲も必要だと考えていました。序曲があるんだから、終曲も必要でしょう。最初から、そういう設計だったんです」
周りの人々が未来への願いを託し、物語の幕が開く。次の“First Breath”には、かつてチェンの耳を育てたバッハへの敬意が織り込まれている。
「この曲では、バッハの“平均律クラヴィーア曲集”の第1曲を引用していますが、ラヴェルなどの印象派を連想させるところがあるかもしれません。この曲で表しているのは乳児期で、両親がそばで寄り添っているんです。音楽が進むにつれて、その子がだんだん育っていく。赤ちゃんが這えるようになり、歩けるようになるということですね」
そこから“Waltz Of the Fireflies”と“The Wind Chaser”を経て、音楽は初恋の場面へと進む。 ここで現れるのが、ラフマニノフへのオマージュ、“Love In First Bloom”だ。
「“Love In First Bloom”は、私の実体験です。最初は2人の間に少し距離がありました。相手に告白する勇気がないような状態です。片思いというか、密かに好きでいるんですね。それが曲の終わりに近づいたところで、ようやく2人が結ばれます。音楽のクライマックスは、実際に愛が成就したところなんです。でも、最後には2人はまた別れます。その別れは、いわば〈私はそっと去っていく〉というような、淡々とした穏やかなものです。お互いの幸せを願っているんです」
初恋にも〈得ること〉と〈失うこと〉が含まれている。アルバム全体の軸となる2つの感情は、前半と後半に完全に分けられるものでもないのだろう。続く“A Journey Forged Through Fire”で描かれるのは、人生の試練である。
「題名は〈烈火をくぐり抜ける〉という意味です。実際には、仕事をしている時の状態を描いています。仕事のなかでは、苦痛と喜びが同時に存在するような状態を経験しますよね。そういうことを書いたんです」
仕事を通じた成長を、苦労の後に成功がやってくるという単純な順序に整理しないところに、現場を歩いてきた作曲家の実感がある。
「“Under The Moonlight”まで来ると、家庭を築き、仕事でも身を立てる。つまり、現在の私です。それより後は、実際にはまだ起きていないことなんです。これからの人生について、私が想像して書いたものです」
この曲が、実体験と未来の想像との境目になる。子どもの頃には、これから何かを手にする場所だった未来が、いまは大切なものを失うかもしれない時間でもある。
“Unspoken”と“Wordless Farewell”は、その後半への歩みに置かれた2曲だ。〈語られないもの〉と〈言葉のない別れ〉という題名は、言葉にしないまま抱えている思いや、言葉だけでは届かない別れを想像させる。ここから先の音楽を理解するうえで手がかりになるのは、チェンが、まだ見ぬ喪失を何もないところから想像しているわけではないということだ。
「これから、最も大切な人を失うこともあるでしょう。ただ、今の私が実際に経験していて、理解できる喪失としては、母方の祖父母を失ったことなどがあります。ここから先は、自分の未来について想像したものなんです」
すでに知っている悲しみから、これから経験するかもしれない悲しみを考える。個々の事情は違っていても、聴き手にも同じような記憶があるかもしれないし、まだ起きていない別れを思うこともあるだろう。作曲者の実人生と想像の境目が示されることで、むしろそこへ、それぞれの聴き手が自分の経験を重ねる余地が開かれてくる。
やがて物語は、自らがこの世を去る場面へと進む。“Where Longing Ends”で、ソプラノとバリトンを静かなオーケストラが支えるところは、筆者にも強く印象に残った。この2つの声は何を表しているのだろうか。
「ここには2つの意味があります。男性の声と女性の声があって、一方は造物主を表し、私の魂を迎えに来ます。女性の声は、自分の魂がこの世を離れていくことを表しているのかもしれません。とても理想的な状態で、円満にこの世を去るということです」
死は生きている間には経験して確かめられないものだからこそ、それをどのような音楽として思い描くかに、作曲者の願いが現れる。続く“The Unfinished Poem”では、中国の伝統文化に由来する意味が音楽に託されている。
「“The Unfinished Poem”の最後には、7回のアクセントがあります。この7回は、中国の伝統文化でいう〈頭七〉に魂が戻ってくることを意味しています。その後、魂が転生していくんです。だから、その次に置いた最後の曲は、魂が新しく転生することを表しています」
堂々たる終曲である……ところがもう1曲、“Life, Like A Dream”が続いていく。その理由を尋ねると、チェンは二つの見方を示してくれた。
「最後の曲は、魂がこの世を離れた後で、次の輪廻を探していくことです。現実的に見れば、それは自分の次の世代ということですね。ニュー・ジェネレーションです。神秘主義的に言えば、自分の魂が次の世代に宿る、あるいは自分の魂が次の世代へ転生することを表せます。そうやって生命が受け継がれていく、ということです」
自分の人生の終わりを、その先に続くものとの関係で捉える。音楽がもう一度先へ進むことで、アルバムの時間も、ひとりの人間の一生を越えていく。そして、この終曲は冒頭の序曲に対応する。
「最初の曲は、年長者があなたに託す期待を表しています。両親が子どもに抱く希望ですね。でも最後の曲は、自分自身が生命について得た感慨を表しているんです。最初と最後では、2つの違う感情なんですね」
誰かの期待を受けて生まれた人が、自分自身の人生への理解を得て、次の世代へ何かを手渡す。序曲と終曲の対応には、前後の世代との結びつきも見えてくる。バッハやラフマニノフへの敬意と、中国の文化に根ざした死生観が、一人の作曲家の人生のなかでつながっている。
『The Poem Of Life』の先には、どんな景色が広がっているか?
今回の作品について、チェン自身はどのようなジャンルに位置づけているのだろうか。
「多分、クロスオーバー・クラシックだと思います。いわゆるクラシック音楽と大きく違うのは制作方法です。それぞれの声部を別々に録音してから、ミキシングしてひとつにしています。クラシック音楽のように全てのパートを同時に録音するような音楽ではないんです」
その一方で、生演奏の可能性もひらかれている。オーケストラを率いて世界ツアーをしたいのか? それとも世界各地のオーケストラと共演したいのだろうか?
「私は世界中のオーケストラと一緒にやりたいですね。会場によって、ピアニストも違うかもしれません。私自身は作曲家であると思っていて、それが自分の使命だとも思っています。違う演奏家、世界各地の演奏家に自分の作品を演奏してもらえば、また違った感覚が生まれると思うんです。ただしレコードは別で、自分も演奏に参加します。録音と演奏会は、その点では違うものとして考えています」
演奏する人によって作品が違う姿を見せる。それを楽しむ発想は、クラシック音楽のあり方に通じている。自分のイメージと違う解釈が生まれることも、刺激になるのだろうか。
「とても好きです。実際、それは文化同士の衝突でもあり、学びでもありますよね。そうすることで、自分の音楽に対する感覚を広げることもできます。文化を伝えるということも、音楽家の使命のようなものだと思っています」
これまで日本では、残念ながら中国の作曲家はあまり紹介されてこなかった。唯一の例外といってもいいのは、現代音楽と映画音楽の両方で成功したタン・ドゥンだろう。日本の音楽ファンに薦めたい中国の作曲家をチェンに尋ねてみると……
「もちろんタン・ドゥン先生も尊敬しているのですが、陳其鋼(チェン・チーガン)先生をぜひ推薦したいですね。中国的な特色があって、印象派の要素も取り入れている。その2つをとてもうまく融合し、西洋の管弦楽という方法で表現しているんです。私と違って先生はもっとアカデミックな立場の方ですが、とても尊敬しています」
エンニオ・モリコーネの抒情的なメロディが好きな人には、きっとチェンの音楽も心に刺さるはずだ。
「モリコーネの音楽はもちろん知っていますし、とても好きです。心の底から出てくる本当の感情が感じられますから。音楽と人との間には、その両者を結びつける何かが必ず必要だと思っています。それは人間に共通していて、共鳴できるものであるはずです。とても傷つきやすい、そういう感情もありますよね。久石譲先生の旋律も、一瞬で心に突き刺さります。美しいものには、いつもどこか似たところがあるのかもしれません」
こうした旋律への思いを、チェンは中国の伝統的な歌へとつなげて語ってくれた。
「旋律は受け継いでいくことができるんです。たとえば、中国でとても有名な“茉莉花”という旋律があります。何百年もの歴史がありますよね。旋律は、人々に最も受け入れられやすいものです。だから私は、劇伴を書く時でも、自分の純音楽作品を書く時でも、それを〈歌〉として作曲します」
自分の表現を突き詰めながら、人々に伝わるものを作る。その2つを同時に求めるチェンに、オリジナリティをどう考えているのかと尋ねると、自身の音楽哲学をたっぷりと語ってくれた。
「私自身が実現したいと考えている良い音楽作品には、5つの要素があります。1つ目は、〈独自性〉があること。つまり、唯一無二であることです。聴いた瞬間に、私が書いた作品だと分かって、ほかの誰かを思い浮かべない。久石譲先生と私の音楽を混同するようなことがない、ということですね。自分自身の音楽の言葉を持っていることです。2つ目は唯一無二であるだけでなく、伝わり続けなければいけないので〈普遍性〉が必要です。多くの人が、その音楽を好きになれること言い換えられます。3つ目は、人間の感情と関係があって、共感しやすいことです。たとえば、宇宙の外にあるような、目に見えないものは、人から少し距離があると思います。そのエネルギーを音楽で伝えようとしても、人は簡単には受け取れない。でも、愛や悲しみを書くなら、人間の感情に関係していますよね。人間のネガティブな側面を書いてもいいと思います。それも人が捉えられるものですから」
つまり、自分自身の言葉を持ち、広く伝わり、人の感情に共鳴するということだろう。残る2つの要素は、作品を受け取った後の聴き手の経験に関する視点である。
「4つ目と5つ目は〈表象〉と〈理象〉です。これも作曲家や芸術家が追求すべきものです。〈表象〉は分かりやすいですね。表に出ているもの、直接感じ取れるものです。油絵を見る時、最初に目に入ってくるものがありますよね。それが何かを私たちは感じ取れる。目に直接伝わってきて、すぐに捉えられるものです。音楽でいえば、技術的なものかもしれません。でも、良い芸術作品には、内側に〈理象〉も必要です。これはもっと深いところにあるもので、聴き手や観客が何度も考え、推測していく必要があります。芸術家が表現したいことを、直接答えとして教えるのではない。聴き終わった後、見終わった後に考えて、そこで初めて得られるものなんです。内在的で、簡単には捉えられないものかもしれません。良い芸術作品には、そういうものも必要だと思います。これで5つの要素ですね」
こう考えているからこそ、オリジナリティばかりを重視する価値観には懐疑的だ。
「作曲家のなかには、そのうちのいくつかだけを満たしている人もいます。たとえば、オリジナリティだけを求める。とにかく唯一無二であればいいと。でも、その独自性が、より多くの人には受け入れられない可能性もあります。それでも作品として成立はしますが、私から見れば、そこまで良い状態とは思えないんです。普遍性が最もよく証明されるのは、その音楽が伝わり続けること、多くの人が好きになれることだと思います。そうした完璧な状態に到達するのは、本当に難しい。私もまだ、その方向へ努力を続けているところです」
ただしチェンは、このアルバムで示した旋律中心の音楽に留まり続けるつもりはないという。
「私は変わりたいと思っています。過去の私は、旋律を強調しすぎていたのかもしれません。今回のアルバムも旋律が中心ですが、この先は、その比重を適度に弱めてみることも考えています。ハーモニーやテクスチュアなど、すべての要素のバランスをうまく取ることで、もっと良い作品になるかもしれませんから。これからももっと多くのアーティストと仕事をして、違う道を歩いたり、これまでとは違う試みをしたいですね。今回のアルバムはとてもクラシック音楽に近いものですが、もう次のアルバムの準備もしています。まったく新しい自分を作りたいんです」
クラシック音楽への愛情が深く刻まれた今回の作品は、新しい音楽へ進むための節目でもあった。
「今回、クラシックの作曲家たちへのオマージュになったのは、ドイツ・グラモフォンという音楽レーベルが私のなかでとても重要な位置を占めているからでもあります。自分自身が納得できる答えを出したかったんです。なんとか作り終えたら、ひとつの願いを果たせたように感じました。だからこれからは、もっと思い切って新しい挑戦ができます」
『The Poem Of Life』の最後で音楽が次の生へ向かっていくように、作曲者自身もまた、これまでの歩みを受け止めながら、その先へ進もうとしているのだ。
