COLUMN

【連載:PEOPLE TREE】自分たちの信念をDNAに刻み続けてきたバックストリート・ボーイズ、25年のヒストリー

【PEOPLE TREE】 BACKSTREET BOYS

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SHOW ME THE MEANING OF BEING LONELY
バックストリート・ボーイズを頂点へ導いたスウェーデンの職人たち

 2013年、BSBがハリウッドの〈ウォーク・オブ・フェイム〉で星の除幕式を行った際、ゲストとして祝福に表れたのがマックス・マーティンだった。現在は世界的なプロデューサー/ソングライターになった彼だが、その名が世に出る契機こそBSBの諸作だったわけで、両者は互いに名を高めてきた間柄とも言える。そして、そんなマックスを成功へと導いたのがいまは亡きデニス・ポップという男だ。

 デニス・ポップはスウェーデンのストックホルムで80年代からDJとして活動、レーベルを運営しながらハウスやレゲエなどのレコードを制作していた人だ。90年にはドクター・アルバンと組んで“Hello Afrika”などをヒットさせ、92年にはシェイロンなるスタジオを設立。そこで仕上げたのが後に世界中に広まるエイス・オブ・ベイスの“All That She Wants”(92年)である。以降もデニスは多くのユーロ・ポップ作品を生み出していくが、そこに弟子として加わったのが無名のバンドで活動していたマックスだ。やがてデニスの制作パートナーに抜擢された彼は、3Tやロビンを共同で制作している。その流れでBSBのデビュー曲を手掛けたデニスとマックスはインシンクのデビュー曲“I Want You Back”(96年)も制作。他にもクリスチャン・ランディンやラミ・ヤコブら才能豊かなクリエイターを抱えていたシェイロンは、チームで多くの仕事を請け負ってUSやUKにも名を売っていく。BSBのブレイクを受け、デニスは新人ファイヴのデビュー作『Five』(98年)で総監督を担当。並行してブリトニー・スピアーズも手掛ける予定だったが、その最中にデニスは癌に倒れ、35歳の若さで亡くなってしまった(ブリトニーのデビュー作はデニスに捧げられている)。

 その後、シェイロンのディレクターを継いだマックスはBSBとより強固に組んで『Millennium』を作り上げるが、そこに収録された“Show Me The Meaning Of Being Lonely”のMVはデニスに捧げられたものだ。シェイロンは閉鎖された2000年、マックスはマラトーン・スタジオを新たに設立し、より広いフィールドへ踏み出して現在に至るまで活躍していくことになる。 *出嶌孝次

 

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