結成から25周年を迎えてもなお、不動の人気でチャートを賑わせ、ファンの心を震わせる希代のヴォーカル・グループ、バックストリート・ボーイズ。熱狂的なアイドル人気を集めたデビュー期、ミレニアムを跨いで社会現象となった時代、さまざまなプレッシャーや人間関係に苦しんだ時代、それを乗り越えて自分たちのヴィジョンを獲得した時代、折々の経験をすべて呑み込んだ5人は、また華麗なる足取りを見せてくれるだろう、あなたが彼らを愛し続ける限り……

 25年というのは、さまざまな物事が変化するのには十分すぎる歳月だ。微細な流行のグラデーションよりも大きな時間軸のなかで、価値観は何度も転換し、さまざまな最新が過去として堆積されていく。少年は青年期を経て大人になり、あまつさえ中年などと呼ばれるようになる。そんな長い年月を経過してなお、そこに堂々と立っているのがバックストリート・ボーイズ(以下BSB)だ。

 93年に5人組として歩みはじめた彼らは、活動25年を経た現在もまだ多くの人の心を掴む存在であり続けている。2017年から記録的なロングランを続けるラスヴェガスでのレジデンシー公演も評判のなか、5年ぶりに届けた新曲“Don't Go Breaking My Heart”(2018年5月)はその衰えぬ人気を改めて証明する結果となった。莫大な数字に裏付けられた商業的な成功が〈売れ線〉として軽んじられていた時代のポップスターが、数字の話しか基準にされなくなった現代も余裕で健在なのは何となく痛快にも思えてくるが、時代の評価や捉え方が変わろうと彼らの根本は往時から変わっていない。

 

時代の流れに反した結成

 BSB結成のロールモデルには、80年代末に頂点を迎えたボーイ・バンドの先達、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(NKOTB)の存在がある。世界中のティーンの心を掴んだ彼らも90年代に入ってからは逆風に見舞われ、過熱した人気も徐々に収束へと向かいつつあった。ミリ・ヴァニリ事件(レコードで歌っていなかった事実が露見して90年に受賞したグラミー新人賞を剥奪された)の余波もあっただろうが、そうでなくても巨大化しすぎた反動でNKOTB的なポップスター像が時代遅れに思われるようになっていたのは否めない。若者たちはグランジやヒップホップ勢のカジュアルな在り方に新時代のスター像やアイドルとしての親しみを見い出すようになっていたのだ。が、まさにNKOTBもリップシンク疑惑のスキャンダルに見舞われていた92年3月、フロリダ州オーランドのビジネスマンでNKOTB式の成功モデルに可能性を感じていたルー・パールマンは、地元紙に新規ヴォーカル・グループのメンバー募集広告を出稿する。BSBはそこから誕生した。

 そもそも最初に出会っていたのは、いずれもオーランド出身で、早くから芸能の道を志していたハウイーD(73年生まれ)とAJ・マクリーン(78年生まれ)の2人だ。いろいろなオーディションを受けるうちに彼らと知り合ったのがNY出身のニック・カーター(80年生まれ)。ニックもまた10歳の頃からCMや映画に出演し、歌も始めていた有望な子役タレントだった。一方、ケヴィン・リチャードソン(71年生まれ)とブライアン・リトレル(75年生まれ)はケンタッキー州レキシントン出身の従兄弟同士で、幼い頃から地元の聖歌隊などで歌っていたという。そのケヴィンはオーランドに移り、ディズニーワールドで働きながら音楽での成功を模索するようになる。やがて彼も同僚を通じてハウイーらと出会い、それぞれがパールマンのメンバー募集に応募することとなった。応募の条件は16~19歳だったにもかかわらず、合格したAJは当時14歳、ニックは12歳。さらにハウイーとケヴィンが選ばれ、最後にケヴィンの誘いでケンタッキーからやってきたブライアンが93年4月20日に加入――この日がBSBの公式な結成日となった。

 パールマンの自主レーベルから発表した最初のシングル“Tell Me That I'm Dreaming”(93年)を聴けば、最年少のニックが当時まだ変声期を迎える前だったこともあり、初期ニュー・エディションやNKOTBに通じるバブルガム・ソウルとしての魅力も感じられるはずだ。ただ、もちろん今も昔もBSBは〈ヴォーカル・グループ〉であることを常にアピールし、いわゆる〈ボーイ・バンド〉を自称したことはない。当時アカペラを頻繁に披露していたのも、先達のスキャンダルによって広まっていた〈ボーイ・バンド=歌えない〉というネガティヴな固定観念を払拭するためだった。彼らが標榜していたのは〈ボーイズIIメンのサウンドで歌うNKOTB〉というもので、実際にボーイズIIメンやジョデシィ、シャイ、カラー・ミー・バッドといったR&Bグループをモデルにしていたことも知られている。

 

欧州での成功と逆輸入でのブレイク

 ともかくBSBが初のパフォーマンスを行ったのは結成から間もない93年5月、テーマパークのシーワールド・オーランドにおいて。彼らは地元のショッピングモールやレストランを回り、全米各地のハイスクールへも足を伸ばしながらファン・ベースを徐々に拡大していく。紆余曲折ありつつ94年にジャイヴと契約を結び、。翌95年にスウェーデンはストックホルムのシェイロン・スタジオに赴き、デニス・ポップの指揮下でレコーディングを敢行。そこから生まれたのが95年9月リリースのファースト・シングル“We Got It Goin' On”だ。同曲は全米69位という成績に終わるも、ドイツやオーストリア、スイス、オランダなどでTOP5入りを記録。先述したようにティーン・ポップが下火になっていたUSシーンに対し(94年6月にはNKOTBがひっそり解散していた)、欧州ではUK産のテイク・ザットやボーイゾーンらが独自にブームの土壌を拓いていたのだ。なお、この時期に前後して、もともとNKOTBのツアー・マネージャー経験もあったジョニー・ライトがBSBのマネージメントに加わっている。

 12月のセカンド・シングル“I'll Never Break Your Heart”はジャイヴ所属の職人ティミー・アレン(元チェンジ)によるボーイズIIメン様式のバラードだったが、これも流れに乗ってヒット。翌96年5月に登場した初のアルバム『Backstreet Boys』は本国USでのリリースこそなかったものの、同年4月に解散したテイク・ザットに入れ替わるかのようなタイミングも良かったのか、欧州諸国でNo.1を記録している。そこから最大のヒットとなった4枚目のシングル“Quit Playing Games(With My Heart)”は、翌97年にようやくUSでもリリース。これが全米2位まで浮上し、彼らは逆輸入的な形で本国でもブレイクすることになった。

 そんな凱旋劇を並行しつつ、97年にはセカンド・アルバム『Backstreet's Back』が登場。同日には1~2作目の楽曲を選りすぐった編集盤『Backstreet Boys』をUSでの初アルバムという位置付けで発表している。国ごとのディレイもありつつ、これらからは“As Long As You Love Me”や“All I Have To Give”といった珠玉の名曲群がヒットを記録。BSBの人気は世界的なものとなっていった。

 が、翌98年はBSBにとって試練の一年となった。ブライアンは持病の心臓病が悪化して手術を行い、デビュー期からのヒットの立役者だったデニス・ポップやハウイーの姉が他界。さらには成功の裏で行われていたブレーンたちによる利益の着服も明るみに出て、メンバーたちが発掘人のパールマンとマネージャーのライトを提訴、訣別するに至っている(後に示談が成立するが、パールマンの搾取にまつわる数々の訴訟は2014年まで続いた……)。こうした出来事に加え、パールマンとライトが同じフォーマットでインシンクを世に出していたこともBSBメンバーの心に大きな苦悩を与えていたようで、この時期に彼らは否応なく大人になることを迫られたと言えるのかもしれない。なお、悪党ながらもヤリ手のパールマンは以降もLFOやC・ノート、O・タウン、ナチュラル、US5といったボーイ・バンドを次々と世に出した(その多くに訴えられた)後、巨額の出資金詐欺などで獄中へ(2016年に獄死)。一方、パールマンと袂を分かったライトは引き続きインシンクのマネージメントを担当し、現在に至るまでジャスティン・ティンバーレイクを後見し続けている。

 

名声の代償

 さまざまな傷みに瀕しながらグラミーの新人賞ノミネートから始まった99年、やっと本国でも同タイミングでのリリースとなった3作目『Millennium』は全米チャート初登場1位を記録し、BSBの代名詞的なナンバー“I Want It That Way”(日本でもTVドラマ主題歌に起用)も各国でNo.1を獲得。デビュー時から関わるマックス・マーティンやクリスチャン・ランディンとのコンビネーションも完成型となり、新世紀に向けたBSBのカラーを強く決定付けることになった。翌2000年の4作目『Black & Blue』は専用ジェット機などで100時間かけて世界を巡るプロモーション・ツアーを敢行するなど、この時期の彼らは往時のNKOTBを凌ぐ勢いで社会現象化。USで初週160万枚という数字を記録した同作がインシンクと怒涛のセールス合戦の様相を呈したことで、彼らとインシンクとの間柄がビートルズ×ローリング・ストーンズやオアシス×ブラーにも似た図式で語られていたのもこの頃のことだ。

 3大ドームでの5公演が即完するという待望の初来日公演が実現した2001年には、初のベスト盤『The Hits: Chapter One』が日本でもミリオン・ヒットを記録。ただ、〈第1章〉に区切りをつける表題からも察せられるように、成功に伴うストレスがメンバー個々を蝕んでいたのは疑いなく、AJはアルコール依存症でリハビリ施設に入所したのもこの年のことだ。この後にはインシンクも活動休止を選んでおり、狂騒的なボーイ・バンド・ブームにも収束が訪れつつあった。いずれにせよ一時代を築いた彼らにも自分たちのアイデンティティーや個人での表現を考えて立ち止まる時が来るのは当然だろう。2002年にはいち早くニック・カーターがアルバム『Now Or Never』でソロ・デビューを果たすも、ソロ活動を優先したとして他4人との間に溝が生まれ、一時は4人がニック抜きでアルバム制作を始めるなど不和も表面化(後にニックとブライアンは1年ほど口をきかなかったことを告白してもいる)。結果、グループは〈第1章〉に幕を引くことになる。この活動休止状態は、2003年にトーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」にAJが出演して依存症の克服を報告した際、サプライズで4人が出演するまで続いた。およそ2年ぶりに公の場で5人が顔を揃え、そこから関係修復が始まったのだろう。休止中にプライヴェートを充実させ、熱狂のプレッシャーやストレスからしばし解放されたBSBは、来日公演も含む2004年のツアーから改めてスタートを切ることになる(ニックはパリス・ヒルトンとの交際でゴシップ欄の常連となっていくのだが……)。

 

共に成長してきた大人のスター

 復帰シングル“Incomplete”が登場した2005年、時代は変わっていた。同時代に覇を競ったボーイ・バンドたちもいなくなったシーンではオーディション番組発のポップスターが主流となり、歌って踊るタイプのグループは懐かしいものとなっていたのだ。BSBもまた時流を睨んでスケールの大きいポップ・ロックやカントリー寄りの作風にシフトし、5年ぶりのアルバムとなる『Never Gone』もヒットを記録している。同作の立役者となったダン・マッカラはブライアンがCCMフォーマットで発表したソロ作『Welcome Home』(2006年)をはじめ、以降もメンバー個々のソロ作に貢献していく頼もしい相棒となった。

 そんななかで2006年6月には演技など他の活動への挑戦を理由としてケヴィンが脱退するが、この離脱は個人の意志を尊重した友好的なもので、他4人は〈ドアは常に開いたままにしておく〉と声明を発表。関係の破綻や活動休止を経験したことで、各々の理解や結び付きはより強くなっていたのだろう。新メンバーを探すリアリティーTVの企画などをすべて断った4人が次作に冠したのは『Unbreakable』(2007年)というタイトルだった。以降もケヴィンがライヴに飛び入りすることもあったが、4人編成での活動はそこから数年続いていくことになる。

 一方、2006年にテイク・ザットの再結成が成功したことをきっかけにNKOTBやボーイゾーンら往年の大物たちも再始動し、グループ・アイドルに対する再評価が定着しはじめた2009年、ずっと止まらずに歩んできたBSBは4人体制での2枚目のアルバム『This Is Us』をリリース。久しぶりにとびきりポップなダンス・サウンドを披露して現役ぶりを見せつけた。そして2010年のアメリカン・ミュージック・アワードにてNKOTBと合体した期間限定ユニットのNKOTBSBを結成。2011年には彼らのツアーが全米で大成功を収め、共に成長してきたファンたちの層の厚さと広がりを改めて体感することになったはずだ。その間にもメンバーのソロ活動は活発化していくが、それらがグループの活動に軋轢を生むものでないことはもはや明らかだった。そして、2012年にはケヴィンが再加入を発表して、ふたたび5人が顔を揃えている。ハリウッドの殿堂入りを果たし、〈ウォーク・オブ・フェイム〉に名前が刻まれた2013年、実に8年ぶりとなる5人でのアルバム『In A World Like This』が登場。リリース元のK・バーン(K-BAHN)とは5人のイニシャルを繋いだレーベル名だ。

 以降の5人は、近年ブリトニー・スピアーズやマライア・キャリーらが成功させている常設劇場でのゴージャスなレジデンシー公演、〈Backstreet Boys: Larger Than Life〉をラスヴェガスで開催。〈最速でチケットが売れたレジデンシー公演〉という記録も打ち立て、追加を重ねて2019年までの公演が決まっている。このたび登場したニュー・アルバム『DNA』はそんな多忙の合間を縫って制作された5年ぶりの新作となるが、先行で公開された楽曲を聴き、パフォーマンス映像を観るだけでも、年輪を重ねつつ華のある存在感はやはりスターのそれだと痛感させられるはずだ。BSBの曲を聴いて育ち、DNAを受け継いだ者たちが活躍するシーンにおいて、BSB自身がどのように自分たちの持ち味を証明していくのか、この先も楽しみで仕方ない。 *出嶌孝次

バックストリート・ボーイズのベスト盤。

 

メンバーのソロ作を一部紹介。

 

関連盤を紹介。